「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年07月03日(土) 人手不足 雇用者がする事 働く人がする事 凛として。 評価 柔らかく口を閉じ優しく生きる

 昨日の仕事はとても忙しかったのですが、私の周りは常にゆっくりとした時間が流れていました。昨日は久々に担当する仕事で、その作業の多さには限界を感じました。自分がしている事を認識しながら、一つ一つ丁寧にやっていくとしたら、私には到底時間が足りないと思えました。それでも、一日を終えてみるとなんと、私は昨日一日の仕事時間を「辛い」とは感じてはいませんでした。何故でしょう。もしかすると完璧さを求めない自分でいられたのかもしれません。そして、確かに私は今の自分に出来るだけの事をしただけなので、頑張りも投げやりも落胆もない自分でいられたのかもしれません。

更に私が昨日一日働いてみて感じたことは、夜勤だけでなく、昼間の仕事でさえも明らかに人手不足で動きが取れないということです。慢性的に無理な環境で職員や利用者などを動かしているのであれば、今の状況で物事がプラスに動くとは思えませんでした。私は仕事を終えた後、他の職員に伝えました。「今日の仕事ではっきりと分かったことがあります。この人数ではとても動けない」と。異論を唱える人はいませんでしたし、逆に同じような訴えを聞きました。そして一人の人は「だから慣れた人はやめちゃいけないんだよ、回らなくなるから」と言いました。私はこの意見に共感することは出来ませんでした。

いろんな事は憶測や風の便りの中ではなく、自分自身で確信したものを使って考えることが大切なのですね。そしてそれがプラスに動く秘訣でもあるのですね。

それにしても何かの規則や決まりを決めた人は、自分たちが決めた規約が社会の中でどのように動いているのかをしっかりと把握する義務があるのです。現場に立って状況を把握し適宜改善していくことで初めて、規約を決定した者の責任を果たすことになるのだと思います。

そして職場の規約の元で働く私たちがすることは、自分たちがより働きやすい職場になるように、問題となっている事実を持って改善する事を訴え続けることなのです。私たちが自分の心を大切にしながら働く為には、このことはとても大切なのです。


 昨夕、家の近所を散歩しました。約一年前から何度でも通ってきた道なのに、昨日の私にはまるで始めて通る道のように思えました。不思議な感覚を感じながら、目の前の光景を見ているのが “ 私自身 ” である事の確信も得ていました。 “ 私自身 ” は今確かに道を歩いている。この景色を見渡している。家を出て道を歩き、次の行く先を決めて歩いている。この確信の後ろで、私の背中に凛とした何かが1本通っているようにも思えました。

「“ 私自身 ” が生きる」とはどういうことでしょう。現実で私の目は目の前の景色を視界に取り入れ、思考は視界に入った景色を見ている自分を知っている。そしてその中で自分が何をしているのかをはっきりと感じていることなのかもしれません。
「 生きていきたい、生きていきたい 」と私の細胞の全てが語っているように思えました。

夕暮れ時にサンダルをカラカラ鳴らしながら、この感覚を過去にどこかで感じたと思いました。それは一年前、L.Aでスクールからステイ先の家までの道を一人でのんびりと歩く私の姿でした。そうだったなぁ。私はいろんな事を考えながらいつも生きていたのですね。何時もいつも。1年前も5年前も、10年前も20年前も、そしてもっともっと前から、私はずっと生きてきたのですね。そう考える私の中に何か言い表せない感情がこみ上げていました。



 私は少し前に、今ゆっくりした時間の中で自分と向き合い心の問題に付いて考え続けられるのは、一人の時間を持てることがとても大きいのだろうと思いました。それでも社会では子育てをしながら仕事をする人もいる。私も過去にはそうしていたのです。

あの頃、自分と向き合うことが出来なかったのは何故でしょう。私は過去に、母親・妻という役割に押しつぶされていたのです。母親であり妻である前に、一人の人間として生きているはずだったのに。

私自身が役割を持つことで苦しむことになったのは何故でしょう。他者の評価を基準にして生きていたからですね。過去には私という人間の価値感は元の彼の評価で決まっていたのです。家の中では彼の評価を、子ども達の学校に行けば教師の評価を、実家に帰れば親の評価を、私が何処に居ても付き纏っていた他者からの自分に対する評価。これこそが私が苦しみ潰されることになった根底のひとつだと確信します。そして、その大元は、やはり過去に私を否定し続けた親からの評価にあったのですね。

 
 『愛するということ』という本の中に「道を知るものは(道に付いて)(好んで)語らない。道に付いて語ろうとするものは(どれほど語りたがっても)道を知らない人である」と書かれていました。なるほど・・・と思います。これまでの私は実際には多くの事を知っていないのです。ですからこれからは、私は柔らかく口を閉じたまま、静かに優しく生き続けていきます。

これも書いておこう(独り言)
「AはAであり、同時にAではない」「われわれは存在するものであり、存在しないものである」始め意味がわかりませんでしたが考えているうちにとても面白くなりました。私は哲学が好きです。


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