「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年07月07日(水) 双眼鏡 人生を楽しむこと 社会の中に生きる大人 生きる意味

注文していた双眼鏡が届いたので夜空を冒険してみると・・星が輝いていました。星の名前は分かりませんでしたが、ひとつは青くひとつは緑色、そしてもう一つはオレンジに輝いているように見えました。
そして今日は、なんと蜂の巣を退治するシーンに出会いました。蜂は水に弱く白いものには反応しないらしいのです。白い服に実を纏い、水を使えば私も蜂退治が出来るかもしれません。

ところで玄関の前に藤の花がありますが、どういうわけか今頃花が咲いていて、今日くまばちが蜜を吸いに現れたのです。熊蜂のお尻を見たことがありますか?真っ黒につやつやと光っていてプックリと膨らんでいて、本当はとてもかわいいお尻なのですョ。



 殆どの事を仕方なくやっているように見える大人が多い中で、何でも楽しんでいる大人を知っています。本当は人はこんな風に目の前のことに常にプラスの発想をしていきながら楽しんで生きていくのですよね。私の親は自分の人生どころが人の人生すら疎ましく思って居るように、私の眼には映っていました。


私を育てた親は何をしていたのでしょう。これから生きようとする私の目の前で、人生に投げやりに生きることの見本を見せていました。

もしも苦しくて辛くてそれでも何かを頑張り続けるのが人生だとしたら、私たちはいったい何の為に生まれ何の為に生きているのでしょう。私は苦しむ為に生まれてきたのではありません。生きて、自分の人生を使い切る為に、自分の細胞を使い切る為に、その為に私はここに居るのです。私はもっともっとたくさんの事を楽しみたいと思います。

私の楽しみ方はこれまでの遊び方とは少し変わるように思えます。何故なら、今の私は遊びを通して成長している自分を感じるから。私は遊びの中に知識と知恵を取り入れるのです。そして自分の持つ価値観をより確かなものにしていくのです。おそらくはそれが社会に出て感情に巻き込まれないことに繋がるでしょう。

本来はこのようにして遊びの中で成長していくのでしょう。いろんな知識は遊びの中で自然に吸収され、そして自分自身が生きていくための知恵として変えていくのでしょう。知識も知恵も生きていく中でごく自然に吸収されていくのでしょう。子どもとはそういうものでしょう。私は今まで何をしていたでしょう。私は今まで本当に遊んだことが無かったのかもしれません。私のこれまでの遊びの殆どは現実の辛さから逃避する為に存在していたのでしょう。子どもの頃の水遊びも成人してから見た映画の一つも。けれど例えそうであっても、私の五感には子どもの頃に感じ続けた土の匂いが染み込んでいるのです。

 職場の宴会を断りました。私自身の歓迎会も含まれていたのですが、何しろ煙草の無いところに行きたいのです。職場では辛抱しながら仕事をしている私です。いつも職場の中でしか出会わない人たちに興味が無いわけではないのですが、心が悲鳴を上げるとでも言うか、私の心に意識を向けてみると、とても行きたいとは思えないのです。不思議ですね。私は自分の気持ちを大切にしたいのです。そして私は自分の時間を大切にしても良いのです。それはどんな時もです。

 私の中には実にたくさんの感情が常に入り乱れています。それらの殆どは過去に持たされた中でのマイナスの感情です。そして社会に出た時、癒やせていない部分はマイナスの感情に巻き込まれています。巻き込まれない為に、プラスの好奇心とプラスの思考を使って生きるのです。


 よく考えてみると、この家の中も社会の一角ですね。そして私は社会の一員ですね。そして私は社会に生きる大人の一人ですね。人間の大人が持っているのは感情とプラスの好奇心、自分で掴んだ知識と抑制力、知識を知恵に変える能力ですね。では人間の大人は、これらを使いどのように生きてるののでしょう。私は今はどのように生きているかな?

 私の細胞レベルで「きっとそうだろう」と思えることが、ひとつ頭に浮かんでいます。今はまだ書きません。私が持っているものは私の思考と感情の部分で確信へと変わるまで、私は自分の中で吟味し続ける必要があるのです。これも人間の大人の知恵かな・・。8:00


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