「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年07月09日(金) |
好奇心 自分を語ること 戦争に付いて 生きる環境に付いて 生き方 |
休日の朝、仕事の日と同じように眼が覚めたので、以前から気になっていた「エアフロントオアシス」という場所へ行ってみました。名古屋空港のすぐ傍にあり飛行機の離着陸が間近で見られる場所なのです。私の他にとても大きなカメラを持った男性が何人か居ました。女性は私一人でしたので一瞬躊躇しましたが、それでも私の眼はすぐに始めて飛行機を見たときのように大きな飛行機に釘付けになりました。飛行機って本当に大きいですね。そして離陸時のエンジン音には不思議な魅力を感じます。あのような大きなものを子どもの頃にしっかりと自分の眼に焼き付ける機会があったなら、私はきっと「パイロットになりたい」と思っていたことでしょう。 飛行機を待っていたらなんと、透かし羽とクマバチが花の蜜を吸いに来ました。私は暫く飛行機の事を忘れてクマバチの黒くて可愛らしいお尻を写真に収めることに夢中になっていました。
「優しさ」とは何でしょう。広辞苑で「優しい」という言葉を引いてみると、「周囲に気を使って控えめである」とあるのです。そうですね。過去には私の中にそのような人格が存在しました。そしてその時とても疲れる生き方をしていました。例えば他者と同じ場所に居て、私が相手を傷つけないように考えながら語るとき、そこには「そんな私を受け入れられたい自分」も存在するのです。評価の世界ですね。私は私を語るだけでよい事を知らずに生きていたのです。
私は過去、優しさを持って人と接していた頃、心の無意識の部分に「目の前の人に受け入れられたい」という欲求が存在していました。当然受け入れられるので「優しい私」で居ることが私の生き方のひとつになっていました。けれど実際は「本当の私」ではありませんでした。そして考え続けているうちに、過去の傷の中で学んだ優しさは自分も他者も傷つけるのだと知りました。あれから半年。私の中で何が変わったでしょう。例えば他者と語るときには、私は何を考えているでしょう。私はただ私の事を語ればよい。他者と語るときとても大切で、そして楽なことなのですね。自分を語る事をたくさん取り入れて、日常の生活の中で練習していけばよいですね。
戦争は人と人との私利私欲が始まりなのですね。誰もが皆生きていく分だけのモノに満足していられたら、 誰もが皆穏やかに隣の畑を見つめていられたら、戦争というものは存在しなかったのですね。 私たちもクマバチや糸とんぼと同じ 「 いきもの 」 であるのに、私は過去に生きる分以上のものを欲しがってきたのは何故でしょう。私は過去、私の欲求するモノの何もかもを満たされていませんでした。満たされないままの私で居た頃、私は子どもが望む自然な欲求を無視し続けました。自分がされてきたように。そして現実では必要以上に何かを欲しがる大人として生きていました。子ども達はそんな私の生き方を見ていました。そして今、私は自分の欲求を知り本当に必要なものだけで生きる事をしています。
いろんなことをしてみたくなっています。私は自分に沸き起こる欲求を一つずつ満たして行ってみようとしています。この欲求を感じることがとても大切なのだろうと思います。 この何日かの遊び心の中に見えるものは、過去に満たされていなかったという事実と、本当はうんと小さな子どもの頃、私は自分の知らない多くの何かを心行くまで掴んでいたかったのだという事実です。
海に落ちている貝殻は丸いのです。パキッと割れたのだろうと思える切断面すら何となく丸く柔らかいのです。水は本当に不思議です。水道の蛇口から流れるどんなに細い水も、流れる時間の長さに比例して、落ちた先を溶かしていくのですね。細くて長い水に冷たさはありません。あるのは柔らかさなのです。
海岸に落ちている石ころの丸みは水の優しさを知る機会になりました。夜の星空を眺め海の向こうの島を見ることは、自分が今立っている地球を知るきっかけになりました。小さな子どもが目に映る全てのものを手に取りその感触を確かめ、小さな不思議を見つけていくことは、自分が生きている事を知り、自身の可能性に心を輝かせるチャンスなのですね。
私は今一人で生き、自由な時間を持ち、常に自分の心を意識しやすい状況が出来上っています。時間に追われ殺伐とした社会の中で、ゆっくりと生きる事が出来ている自身の環境を踏まえて、私はこれからも静かに自分を見つめながら、より多くのプラスの経験を心に積み重ねると共に、心を癒やす作業を進めていきます。静かに そっとね。21:00
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