DETHの戯れ言
未来過去
2005年01月23日(日)

贅沢。


ふと思ったのだけど一般庶民たるわたくしが娯楽としていることで一番、時間的空間的贅沢なものは何かなと考えた。では、贅沢って何だ?って事を疑問に思う人は多いと思う。勿論敵だ。ごめん、戦争終わったからもう敵じゃないんだね。一応、制限や無駄が多いことを贅沢と定義してみた。異論は掲示板かメイルで待っている。


レベル1。
読書、ものを読む。これは一番贅沢度が低い。理由は簡単で、希少なものや、大きな画集、分厚い辞書みたいなものを除けば、どこでも、いつでも読み始め、途中で止めることが出来るから。一番制限がない。その上、こと小説などの文だけの本に限れば複製が簡単に出来、外出先でも読めるということも考えれば一番程度が低いのも理解していただけると思う。

レベル2。
テレビなどを見る。まず場所が極端に限定される。携帯型テレビや携帯電話やPDAなどが便利になったおかげで外でも見ることは可能だけれどもまだまだ普及はしていない。普通は居間や自室のテレビの前である。次に時間的制限を見てみるとビデオの普及で放送時間に自分の生活時間をあわせる必要はなくなったし、1時間の番組を細切れに20分ずつ見ることも可能になった。しかし正味1時間の番組を30分で見ることは(早送りでもして内容を飛ばさない限り)不可能である。これが本であれば(読み手の能力にもよるが)普通1時間かかる本を30分で読むことも2時間で読むことも可能となる。つまり、テレビは番組時間を視聴者が制限されているのである。

レベル3。
映画、コンサート、劇、等。これらは場所が自宅からわざわざ公演場へ足を運ばなくてはいけないだけでなく、時間も相手に制限されている。途中で抜けることも不可能ではないが早送りのように間を飛ばすことも、細切れにすることも出来ない。最も不自由かつ贅沢なことでないだろうか?



「文が段々短くなってきたのって眠いから?」
否定しきる勇気ないな…。
今日は特に本を読まない珍しい日でした。
(百年女王の続刊とエマノンの続刊を見つつ)


      

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