カウントシープ
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2005年01月24日(月) 音潜

中学生の頃、音楽に逃避していた。
何も考えたくないときや、1人の空間が欲しい時、両耳にイヤホンを差し込んで好きな音楽をひたすら聴いたりした。これでウルサイ親ともキョウダイともオサラバ、このアルバム一枚分だけの逃避行。
多分、世界から逃避していた。何が嫌なのかも解らず、もやもやとした渦巻きを胸に抱えて転がっていた。みんなそんな頃だった。

今でも音楽に引き込まれる。引き込まれたい自分がいて、潜るような感じ。

世界を知覚するのに最も活躍するのは視覚のように思う。目で見て判断することこそ人間の得意とする情報処理だ。けれど世界を一時的に変化させる切り替えスイッチは、視覚よりも聴覚のほうが相応しいように思う−ボクにとっては。
物理的に、目の前にお気に入りの何かを繰り広げることは多少困難だ。晴れ渡った青空も花もお気に入りの絵だって直ぐには用意できないし(家族写真とかはその一種なのかな)、その点音は簡単に用意できる。音楽を携帯する機械が発達しているからだ。
目を閉じて好きな音楽を聴いている時、図らずも頭の中には何かしらのヴィジョンが浮かび、脳内のスクリーンに広がっていく。そうして聴覚と視覚の両方向からトリップしていくとき、少しだけ開放されたような感じがする。

人の作った音楽のいいところって曲が終わったら戻ってくるところで、終わらない音楽があったら大変。


ロビン