カウントシープ
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2005年01月23日(日) 一対一

ボクは犬を3匹飼っている。猫もいるが犬は3匹だ。ボクが犬を飼ってから、まだ一匹も死んだことがないが、相方は子供の頃に飼い犬を失った経験がある。その犬が死んでから大人になるまで、次の犬を飼えないくらいに悲しんだらしい。

今いる犬が死んだらきっと悲しいだろう。それは他の2匹がいても悲しいだろうが、きっといなくなった犬を偲んで泣くとき、残った2匹を抱きしめたりして、犬がゼロよりは他の犬がいたほうが、悲しみは幾分和らぐような気がする。

では、人間は?
家族として人間が複数で集まって住んでいる場合もあるだろうが、ボクの文化圏では、伴侶としての愛する対象は1人に限定されている。
もし、特定の対象を選ぶことが無ければ、亡くした時の悲しみも、全てを失ったような感覚ではなくなるのではないだろうか。1人だけを愛した場合、二分の一の確率で残される側になるというのに、どうして1人だけを選び特別なものにしてしまうのだろう。

頭では解っている。
一対一の関係はおいておいて、失くすとき身を引き裂かれるような苦しみを味わうのは、それに値するくらい深く愛したからで、他者を深く愛することこそ生きている喜びであり、共に感じることこそ心を満たす行為なのだから、誰かを愛するということとそれを喪失する悲しみというものは常に一重だ。


ロビン