カウントシープ
indexpastwill


2005年01月22日(土) 何を食べよう?

生きている者はみな、動くためのエネルギー補給を必要とする。ボクは人間で、およそ先人が試し食した物質−すなわち食物−を毎日摂取する。ボクが仕事をするのは、ボクが生きていくために必要な糧を得るためでもあり、仕事から帰ればまずは晩飯を作ることを考える。

一方、ボクの家には沢山の本がある。人形もいるし、犬も猫もいる。ステレオ、テレビ、カメラ・・・人間は広がりすぎて、生きることに直結しないものまで必要とする種族になったが、本来生き物にとって本質は生きながらえること、生きて自分を分かつこと−すなわち繁殖−を目的にしていたはずであり、食べることはあらゆる生きていくための手段の中でも、もっとも生に直結している。

食物は外から来る物である。人間の身体をも構成する分子を組み替えた代物、神の手によって生み出された有機物の集合体、それは人間のそれとも似通った分子の複合体、それを食物と呼んで外部から取り入れている。

1つの疑問は、免疫系が異物とみなせば直ちにアレルギー反応を起こし攻撃開始するのに対し、何故食物(と我々が呼ぶ物)はスルーすることができるのか。捕食する側が、本来の防壁−免疫力と呼べるような力を失いつつあれば、今まで侵襲なく取り入れていた異物に攻撃を受けうることもあるだろうが、それでは、全ての異物には多少の危険があり、その敷居は免疫力によって個人差があるのだろうか。

また、もう1つの疑問として、何故同属を食べてはいけないのか?
倫理的な観念はともかく、同じ分子の複合体なら、豚や牛の肉と人間の肉にどんな差が生み出されるのか?牛に牛の肉骨粉を食べさせたために狂牛病が起きたという説がある。人が人を食べる種族にも、同じように脳が海綿状に変化する現象が起きたという話を聞いたことがあるが、同種を食べると何故プリオンが発生するのだろうか。
同種を食べた結果脳にダメージを受けるという自戒的な現象を起こすのは、種の保存のための自然の法則なのかもしらないが、すでに自然の法則めいたものを破り続ける我々に、神の手はもう働かないのだろう。


ロビン