カウントシープ
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2005年01月21日(金) 感触の保続

ボクはTシャツを、プラスチックケース1つを埋めるくらい持っている。正確には、ボクと相方の兼用のTシャツで、DOGDEPTのヤツが半分位、後はふらりと出歩いているときに買ってきたもの。

どれも気に入っているけれど、特別気に入っているのはたったの3枚。一枚は寝巻きとして着ているもので、あとの2枚は相方が沖縄から持ってきた(相方は沖縄からやってきた/現在の居住地は沖縄ではない)もの。
他に沢山あるのについそればかり手にしてしまうので、段々草臥れてきている。

身体に接触するモノには、どうしても心地よさを求めてしまう。もちろんここに一枚のTシャツしかなければそれを着るだろうけれど、選択肢があれば気にいったものに手が伸びる。
お気に入りのタオル、毛布、靴下、歯ブラシ…
かくして気がつけばいつも同じものを選んでいる。

感触において、多分ボクは多少固執傾向にあり、これは幼児性を含むように思う。ライナスの毛布よろしく、何か同一のもの、それも感触を主体とした物体に対する愛着。いつも抱いているヌイグルミ(これは少女より少年のほうに多いエピソードという印象)、口元に寄せているガーゼのハンカチ等。幼い子供達には、失いたくない何かの変わりに、安心を保障する何かの変わりに、手にする対象が必要なのだ。

しかし、水色の毛布もヌイグルミもまた、段々と草臥れ色褪せていく。ヌイグルミは汚れて耳や手がとれてしまう。そうしていつか対象と離れる日が来るのだ。それは新品の同じ製品では成り代わることができない、二度と戻らないもので、以後は手に触れられない記憶として、保続されていく。


ロビン