カウントシープ
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時計を取りに街に出かけた。入院前に預けたあの時計だが、相方が退院する前日に、修理が終わったという電話が入ったのだ。やっぱり時計は持ち主と共にあるものなのか。
ちょっと、大きなおじいさんの古時計 みたいだ。
おじいさんと一緒に古時計が壊れて動かなくなるところが、センチメンタルでこの曲のもう1つの魅力だけれど、他にこんな風に[実は悲しい童謡]って多いよね。グリーングリーンだって、明るいフレーズで皆大好きなこの曲も、最後の歌詞ではパパがもう死んでいないことを示唆しているし。
そもそも童話自体が結構シュールで、驚くことや楽しいことと同時に悲しいことも盛り込まれていて、理不尽なことも力いっぱい盛り込まれているし。今思い出したけれど、[花さか爺さん]の飼っていたシロという犬は、隣のおじいさんに殴り殺されちゃったんだよな。良いおじいさんはその遺灰を枯れ木に巻いて桜を咲かす話だったけれど、シロのことを思うと浮かばれない。
[スーホーの白い馬]も、とても悲しいお話だった。白い白馬が血だらけになって矢が沢山刺さっても走ってご主人様のところに帰ってくるのだ。お話の中の動物達はいつも、死んでまた桜の花や馬頭琴になって戻ってきたり傍に居てくれたりして、対象の消失と同時に、ずっと一緒に居られるという、物質的でない想像の世界へのイメージがこの頃に形成され、悲しみを乗り越える術を見につけていく力が養われていくように思う。
ロビン
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