カウントシープ
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相方はカタカナに弱い。しょっちゅう読み間違えるし、勝手に造語もしている。だからカタカナだらけの登場人物ばかりの小説は苦手で、ついつい敬遠しがちとなる。
でも、相方に限らずカタカナは読み間違える人が多いのではないだろうか?カタカナが読みにくいのは、かなり記号化されていて全体的によく似ているから?そもそもカタカナはどうしてできたんだっけ?と電子辞書の広辞苑で引っ張ると・・・漢字の一部をとって作ったものらしい。もともと漢字を読むためにカナが発明されたのが始まりのようだ。
漢字を崩した音節文字がひらがななら、漢文を読みやすくするための記号がカタカナなのか?もしこの仮説があっているならば、カタカナが記号めいていることにも納得できるし、漢文を読むときのレ点などはカタカナととてもよく似ている。
ボクは仕事上、カタカナしか読まない人に会う機会があるのだが、その人は耳が聞こえないので、全部カタカナで書いて筆談している。「コンニチハ。キョウハアタタカイデスネ。トコロデセンシュウノ…」などと書いていると、何度も漢字やひらがなを交えそうになってしまって、カタカナ一本で書くことの難しさを噛み締めるのだが、彼にとってはボクが書いたカタカナだらけの文章は苦ではないようだ。ボクは自分が書いたものでも、後で読むのに多少苦労するんだけれど。(予断だが、筆談に絵を交えるとより会話がスムーズになる。視覚的情報って偉大だ)
と、カタカナについて軽く考察してきたが、このネタはさっき職場でお茶を淹れようとしたとき、「ココア物語」なる粉末ココアのビンを「コアラ物語」と読んでしまったことから沸いてきたりする。
ロビン
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