カウントシープ
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睡蓮というと、すぐにクロード・モネの一連の大作を思い浮かべる。だが、かの巨匠の画風は、輪郭をはっきりと描かぬような、水面にうつったようなタッチで、はっきりと睡蓮の姿をみたような覚えがない。それでも、イメージとして頭にぼんやりと描けるのは、お釈迦様の足元に咲いている蓮の花を思い描いているからだろうか?
仏教でよく出てくる蓮と睡蓮を長年ボクは混同していたが、スイレン科の中に蓮が含まれているようだ。さて、実際に蓮や睡蓮をどこかでみたか?というと、思い出せない。鯉が寄ってくるような日本庭園に生えてきたよな気もするが、どちらかと言うとあの平たくて丸い葉のほうが印象に残っている。
さて、そんな疑問を抱えたまま、先月掛川花鳥園に行ったとき、沢山の睡蓮を見てきた。園内に作られた巨大なプールに広がる睡蓮の花と葉は美しく、なかなか見ごたえがあった。神の手が入ったかのような統合された花は完成度が高く、水面を覆う大きな葉の広がり、葉の影を泳ぐ魚達。 時々魚は半分水に浸かっていた葉の上に乗り上げてしまい、水に帰ろうと頑張っていた。
水面を覗き込んでいると、この下に、秘めやかに何かが繋がっているような感覚がした。この花の際立っている魅力は、こうして水面に映りこみ、底知れない深いところまで繋がっているような錯覚を覚えるからじゃないかしら。 刻々と移り変わる睡蓮の池の、その水面を描こうとしたモネは、次から次に絵を描かざるをえなかった、それ程多様な顔を見せるからなのだ、と。 その気持ちが何となく解るような気がする。この世に、捕らえがたく魅力的な何かがあって、所詮我々はそれを追い求め、多面的にアプローチし、少しでも近づこうとあがいているにすぎないのだから。モネは、睡蓮の池の奥底にそれを見出したのだ。
※睡蓮の和名は羊草(睡蓮は漢名)。羊の刻(午後2時〜3時の時間)に花が咲き、夜には閉じることからこの名前が付いたのだが、未(羊)好きな僕にはちょっと嬉しい。
ロビン
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