カウントシープ
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夕方の窓の外の景色がとても美しい季節になった。 澄み切った青空に日没が訪れ、端から鮮やかな茜色に染まり、やがて紫色がさして夜の闇を導いてくる。その怖いくらいに鮮やかなオレンジ色や、雲の切れ目や、もう日が落ちるときの寂しいような気分が入り混じって、何度も窓にとらわれながら仕事をする。
ボクの職場は半地下か9階の二箇所なのだが、半地下には暗い帳が、9回には去っていくオレンジ色が、どちらももう戻りえない今日への別離を感じさせる。それは寂しいと同時に今日一日を乗り切った安堵でもある。
日に日に日没が早くなるこの季節はとても寂しいし、毎日冷たくなっていく空気や、黄色くなっていく街路樹、そういったすべてのものが、どうにも寂しいと感じていた例年にくらべて、今年はなんだかいつもと違う。
長い(相方の)治療という冬のような時間が終わったからなのか、それとも、別の要素なのか?ボクは最近は寂しさよりは何か生き生きとしたものを求め、それを感じようと行動し、多少の手ごたえも得ているように思う。 思うに、病気になってもたらされたもののひとつに、今の、少ない自分のン赤でできることを、指先の届くところから少しずつはじめる、ということがあるのじゃないかしら? 思うようにできなくたって、動き出さなかったら、そこから少しも動けないのだから。
ロビン
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