カウントシープ
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2006年02月23日(木) リバー・フェニックス

最近になって、リバー・フェニックスという俳優の出ている映画を見た。ボクは彼を初めて見たし、その映画“スタンド・バイ・ミー”は、まだ少年時代の彼が出ていたので、それほどリバー・フェニックスという青年を知ったわけではない。
けれど、生前の彼がとても輝かしい俳優であり、美しく才能を持っていて、そして若くして亡くなったことは知っていた。『スタンド・バイ・ミー』という物語自体とても良かったので、ほかの彼の出演している作品も見てみたいと思っている。

その節思ったことがある。

ボクは、スポーツ選手を応援することが苦手で、それには自分がスポーツに興味が殆どないからだと思うのだけれど、もう一方で、スポーツ選手というものは、年老いていくにしたがって、人生のもっとも素晴らしい時期から遠ざかってしまうという運命を背負っているからだと思う。

もちろん、いい記録を出し続けることだけがすべてではないし、引退後に今度は若い世代に教えていくことで、自分の成し遂げたものを繋げていくことも大変有意義なことだといえる。
だが、第一線で活躍していたものが、段々と衰えていく様はとても辛く、そのことを熟知しているスポーツ選手たちは、もっとも華やかな時期を持って引退していくのだ。

美しい女優さんも、また、当初の華やかな美しさをずっと保つことはできない。若い少女達には少女達の魅力が、大人の女性には大人の魅力があるとしても、そのとき世間を浮かれさせた独特の魅力は、ほんの一瞬の輝きにすぎず、特に女優はその変化の中でどう自分を表現していくかという苦しみにたたされる。
失われていくアイデンティティに対して、新しく獲得していかなければならないのだ。

リバーは、まだ若木のしなる様な頃に、さっさと天に召されてしまった。ボクがこれから見ようとしているリバーは、まだ生きていて未来をも含んでいるのに、現実の彼はもう未来を絶ってしまっている。フィルムの中で生きながら、同時に死んでいるのだ。


ロビン