カウントシープ
index|past|will
愛していることと、憎たらしいことは、同時に存在しうるだろうか。
多分、愛していることと、取り込んでいることを混同しているとき、あたかも愛しているような錯覚でもってして、其処にしがみ付くような気持ちと切り捨てるような気持ちの両方を投げ込んでいることを、人は時に「愛」だと錯覚しているのだろう。
本当の愛には、憎しみは付属しない。
なぜなら、愛するということは、完全に自分からは別個の、自分に属していない独立したものを、何かしらの関わりでもって、別個でありながら繋がり、つながり続けていくという行為に他ならないのだから、
時に切り捨ててしまい、その後に再び慌てて拾い寄せるようでは、それはもはや愛ではないのだ。
切り捨てたのは自分に属するものであり、それは本来相手の中にはなかったはずのものだ。 だから、切り捨てたりしているうちは、本当には他者を見ていない。他者の中に映し出された自分を見ているにすぎず、それはやはり、愛とは呼べない。
ロビン
|