カウントシープ
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2006年03月03日(金) イノセンス

物にしがみ付いて生きているだけじゃ、確かなものは何も掴み取れない。けれど、何も触れるものがなしでは、とても不安定な世界になってしまう。

ボク達は霞を食べて生きていけるほどに仙人ではなく、ただの人間であり、人間でありたいと思っている存在なのだから、そんなことを最初から願っているわけじゃないのだけれど・・・子供の頃ならば少し願ってみたけれど・・・でも、その形あるものと形無いものとの間でバランスを取って生きている。

攻殻起動隊の映画、イノセンスの中では、草薙素子はもはやネットの中に生きている意識であり、いつでも側にいて、いつでも側にいない存在だ。いのっセンスの中では、人形に入り込んでバトーに接触するけれど、最後にはまたネットの中に戻っていく。後には、カランと崩れ落ちる人形だけで、其処にはもう素子はいない。

そのことがバトーを通して我々にとって、とても切なくて悲しい。イノセンスのテーマとはまさに其処にあるにも関わらず、どこか不快感を残し、そして、こうならざるを得ないこともまた了解せざるを得ない。

これは真実を表しているからだろう。

愛するものがこの世から肉体を失っても、それでも人は生きていけるだろうか?思い出だけで、もらった愛だけでこの先もずっと、生きていけるだろうか?
いなくなった悲しみのあまりすべてから遠ざかって生きることを失ってしまってはならないだろう。悲しみを超えてまた生きていく強さとは、いったいどこから培われていくのだろうかと問えば、それは毎日を、きちんと生きていることによって育つのだと答えられる。

だけれど、今この日々をきちんと生きているという保障なんてどこにもない。保障と言う形を求めて、形ないそのジレンマを抱えて、ただ生きていくことを、続けていく力が持続するなら、それはこの世界に対する肯定感であり、自分自身に対する肯定感であり、

自分が愛されていると感じることこそが、明日を紡ぐ力となる。


ロビン