カウントシープ
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心を安全な場所においておくことなど誰にもできない。 永遠に続く場所も、永遠に側にいてくれるものも、形あるものの世界では存在しない。
だからもし、永遠に続くものがあるとしたら、それは、物質の形を取らないものだ。
形の無いもの、それは心の中にあり、蓄積されていくようなものだ。毎日生きているうちに培った、思い出や、成し遂げた喜び、見つけたばらばらの真実の破片、そういったものがみな、形無き存在だ。
存在とは存じ在ることをいうのだから、知って(存じて)いることは、もはや在るのだ。野に咲く小さな花も、認識するまでは、其処に在るのに知らないことになる。目に入って、意識野にあがってきてはじめて、花はただの形あるものでなく、花となるのだ。
だから、形があるものもまた、それだけでは存在したことにならないのだ。 形あるものに意味が無いわけじゃなく、形の先に付きまとう思いが、それに意味を与えるのだ。
人は少しずつ、形あるもので周囲を固め、其処に思い出をうっすらとのせて生きている。人が生きていくためには、そうしたものが必要で、永遠不変の思いもまた、たやすいものではない。
薄れゆくことを覚悟しながら深く愛し、かけがえの無いものを胸に持ったとき、人は何よりも強くなり、同時に脆くもなる。
その脆さを超える深く強い愛など、幻想なのだろうか。
ロビン
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