■2002年08月18日(日)
れんきう そのに (´▽`)<まったりデー) |
上野ツアーから一夜あけて、ひたすらまったり。 午後まで寝こける牙麗でありました(´▽`)<グースカ)
夕方頃から活動開始。 ららぽの伊藤楽器にて五線譜を購入。ボビスー対策です(笑) ピアノパートを書き起こすぞー(´▽`)9
今日はマジでこれくらいしか動いてませーん く(´▽`)へ たまにはイイよね。
私はほんの少し前まで、
「いかなる理由があっても、自殺を選ぶのはただの逃げだ」
と思っていた。 今でもその考え自体を根本から曲げることはできないし、 決して間違ったことは言っていないと思う。
でも、牙にとって衝撃的であっただろう3年前の事件を知ってからは ちょっとだけ考え方の方向性が変わってきた。
「自殺によって救える何かがあるなら、自分を犠牲にするのも手段である」
自己犠牲なんて奇麗事、と思っていた時期もある。 というか、ただの自己犠牲だったら今でもまっぴら御免なんだけど。
”救えるなら間違ったことをしてもいいのか” ”救えるのに間違ったことをしちゃだめなのか”
答えはわからない。 でも実際に牙は救われたし、救われていなかった場合のことを考えると 末恐ろしい気分になってくる。
私はあの人に一度も会っていない。 正直なところ、一度でいいから会いたいと思う。 そして心から礼を言いたい。
”救ってくれてありがとう。貴方は人間の鑑だ”
と。
幸せは常に、絶望的な現実によって支えられているのかもしれない。
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