古畑亜紀の日記
日々の雑記帳です。思い付いた時に
気分にまかせて書きます。

2008年04月01日(火) ブラボー!!ドラマティック・ハルヤンヌ♪

ヨウコ・ハルヤンヌのリサイタルを聴きに教文へいってきました。

音楽に対して最大限に払われている敬意。
聴衆を一瞬タリともあなどらない完璧なまでの謙虚さ。
付け焼き刃ややっつけでだせるものではありません。

個人的な感覚だけど、もっとロマンティック、もっと華やか、もっとエキサイティング、もっと色艶セクシー(うまくいえないんですが?)、あるいはもっと古典的、逆にもっと現代的なトランペッタ−は他にもいるのかもしれない。

でも、ハルヤンヌの礼節あふれるたちふるまいと適確な演奏、
常に清潔感のある安定した音色に、
”時と場所を差別しない”
誠実で真摯な姿勢を深く感じ取ることができました。
とてもとても、私が日頃から自分自身もその誠実さについての欠落感を感じることで、そういう音は、自分も求めているけど、泣いたくらいじゃ手にはいらない(爆笑)んです。

正直ゆうと、特別ハルヤンヌフリークではなかったつもりだけど、なんでだかアルバム四枚かって、そのうち一枚(コンサートピースというタイトル・・どっかで同じのきいたわね☆)はハルヤンヌのうちにすでにあるんですけど、サインがほしかったから、勢いで買っちゃった!!
・・・だってサインがほしかったんだもん!!←そうとう好きになってるじゃん(笑)。

あくまでも個人的な感覚だけど、自分の演奏をおしつけたり、単に陣地ひろげにきて、ほしいものだけもらっていきますがなんか悪いですか?的だったり、こんなとこで自分本気なんてだしてないけど、あんたがたレベルよりはうまいからいいでしょ的だったり(笑)、忙しいからこの会場は音だしに使ってますけど着ただけでも、ありがたいでしょ的だったり(いいたい放題)個人的にですけど、妖気も感じる系(笑)の人も男女とわずこの世にはいます。

自分を聞かせてやろうとしてきてるんじゃなくて、目の前に集まる人たちのために、音楽を”捧げる”・・・虚飾がなく純粋な姿をみせてくれたハルヤンヌ。
尊敬と感動が、頭や耳ではなく心の内面に焼き付きました。

心が洗われ、襟元をただして、自分も誠実に心と技術を静かに磨き続けたいと思いました。
ブラボー!!”ドラマティック・ハルヤンヌ”です。
↑ハルヤンヌのアルバム、”ドラマティック・レジェンド”から拝借しました。
ひとときの浅い気持ちよさや物珍しさを追いかけ扇情的に、音をならべるだけが”ドラマティック”じゃないと、思った。
あたりまえかもしれないけど、忘れてる大事なことを教えてもらったと思う。
泥沼から救われたような気持ちでいっぱいです。

自分の小さな個性にこだわるよりは、もっと大きな深い普遍性に憧れていたい。
ここで歌を読みます(いらない笑)。どんなに別の日すごくても その日をなめたら 三流だ

合掌。


 < 過去  INDEX  未来 >


古畑亜紀 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加