地雷を踏む。 私は数えきれないほど踏んでますが、といいかけてはっと気づいたのです。
通常ではとうてい思い付かないようなかなり個性の強いトラウマにきづかないで間違えるのは、地雷をふむことになる。
例えば、なんらかのトラウマで、『三色ボールペンはいつももっていて、消しゴムを持ってあるかないでいて、定規は三角形のしか使わない人をみると、じんましんがでる』 これは説明されないとわからないかもしれず(笑)、わかってなくてやっちゃって、じんましんがでたにしても、でた方も 『まあ悪気ないよね。狭い偶然だよね』 と思える余地があるかもしれない。
地雷がある場所ですが、一見普通のとこにわからないように埋まっていて、あらかじめ地面の下に爆弾がある状態ですね。 まあ、巧妙なトラップですからね、ふみたくなくてもふむんだよみたいなね(笑)
でも。 人が嫌がるであろうことを、やっておいて、わかんなかったから地雷ふんだっ=見えない地雷だったから、それがわからなかったんだという説はどうかと(笑)。 人からはまるみえのあたりまえの普遍的な急所かもしれないです。 それはわかりにくいトラウマによる地雷がその人にあったせいではなく、嫌だという気配に鈍感な、無知な自分がいたのが事実なのでした…。
鈍感とか無知とゆうのは地道に興味をもつことから少しは改善できるかと思う。 とりあえず、 地雷踏んだとゆう言い方にもう少し自分が気をつけることからはじめたい。
なにか起きたとき、難しい地雷だったからと思うのは尊大な感覚なのかも。 一見シンプルな、しかし重要な礼儀を欠かしただけかもしれないのです。 それは相手のわかりにくいトラウマのせいではないのですから。
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