| 今日もよくダレてます | |||||
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| 2014年12月27日(土) |
| 仕事納めも終わり、今日は午前中病院。そして疲れを取る日と決めていた。 あれやこれややることはあるけれど、やり過ぎは禁物。天気がいいので動きたくなったけど、自制。 病院では寝る前の薬、無駄に長く効くのでだるくなるものを外してよいと言われていたので、外してたかどうか聞かれた。 外して寝れなかったのが一回だけというと、じゃ溜まってるでしょ?と言われてしまい、なくすことに。朝の薬も一つ外してるのは内緒。 どうですか?と聞かれ、やはりいつものパターンですが、調子いいですと言うと、先生も、あなたはやっぱり意味のある仕事があると違うねと。 何度も繰り返したこの会話。ただし、今回は慎重にセーブしつつロングスタンスで行かなきゃと思った。 今年もお世話になりました、来年もよろしくお願いしますと言いながら、いつまで私はここに通うのかなと、ふと思った。 帰り道ガソリンがないのでそれは仕方なく詰めたけど、すぐ家に帰り、録画したテレビを見て笑い、お昼寝をした。 メール着信の音も嫌で、というか、意味のないアラートやメルマガなどの着信音で起こされるのが嫌で、iPhoneはベッドから聞こえないようにしてた。 父に起こされた。 何度も電話したという。 母が入院したと言う。 転んだかと思った。何度も言っても聞いてくれない。腰も膝もやられてるのだから、今転んだら寝たきりだよ?慌てないでと言ってはいたけど。 父も軽い認知だ。 入院の手引きを見せて用意してくれと言う。 何したの?と聞くと急に体が言うことを聞かなくなり倒れてしまったと。 一番最初に思ったことは、頭に来ただった。 誰と言うわけでもない、変な話だけど、亡くなった祖父母にか。長年身体を壊しながらも介護し、やっと自分の老後を楽しめるというこれからの時に、なぜ?少しは時間をくれてもいいじゃないか?だった。 イライラした。私は母は苦手だ。そんなわたしですら、こう思うぐらい母はやってきた。わたしには無理だ。あの献身ぶりは。 祖母が亡くなり、やっと念願の膝を手術し、リハビリして、これから楽しもうという時に。 準備をしながら、何処にぶつけていいのかわからない怒りをおさめつつ、父と病院へ。 集中治療室へ行くと、いきなり看護師さんがきていろんな同意書を書いてくれと言われ、2枚書いたところで、キレた。 すみませんが母の状態がさっぱりわからないのに、おかしいじゃないですか?というと、脳から出血していて、今点滴でそれを止めている、入院は2週間、その後はリハビリの病院へ転院ですとざっと言われた。 そのぐらいはわかる、聞きたいのは医師の所見と今後の影響なのだが、これじゃ無理だなと抑えて同意書を書いた。 もう帰っていいですよ?と書き終わったらのんきに言う。 そのぐらい軽いものなのかどうかもこちらはわからないわけで。 もっともわたしがめまいで運ばれた時もずさんな対応だったし、母がちょっと前に入院した時もそうだったので、諦めた。幸いなことに言葉は通じるし、会話もできるので何処が不自由か確かめた。左のては感覚がない、足はあった。話もちょっと呂律が回らないけど、聞いたことに対して受け答えははっきりしていた。 父が帰るというので、じゃ明日来るからと言って。父はどれどれと母の手を握りバイバイした。そこでほっとした。 どちらも不完全だけど、夫婦という絆。長年連れ添った人たち。喧嘩しつつもこうなんだよなと。 叔父は心配性だからまだいいと母が言い、叔母二人だけに連絡してくれと言われたのでメールを。はっきりわからないのに、なんと説明したらいいか、言葉が出なくて、なかなか時間がかかった。 帰宅後、脳出血でネットを調べ、軽いとしても長期のリハビリが必要なこと、あの看護師はこれを言ってたのだなと確認、今後を思い、クラクラした。 hiroに正月は会えないことを言わなきゃとメールした。 そこが今回の正月の最大のことだった。 そこに合わせて体調を管理し、正月明けの仕事に備える計画を立てていた。 これからのこと、はらをくくらなきゃならない。 私にとってもとてもよい正月になるはずだった。まず、誰も来ない。これが大きい。全ての休みを思い通りにできる。親子共々、誰に気を使うこともなくそれぞれの生活をするはずだったのに。その最初の年だったのに。 めまいがする。 今は横回転で軽い。 一気に変わってしまった状況に私の脳みそがついてこれないのだろう。 しかし、本当に祖父母を恨みたくなる。呼んでいるのか?まだいいだろう?少しはご褒美を母にあげてくれよ。 |