| 今日もよくダレてます | |||||
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| 2015年11月01日(日) |
| 想定内です。 そう言われてた。 ですよね。 自分でもわかってた。 こないだの先生との会話。 とにかく疲れてて、頭も回らないし、何も感じない。 気も回らないし、単純なこともできないし、 すぐ忘れ、ひたすらしんどくて、やる気なし。 力尽きたって感じ。 そりゃそうですよと先生。 両親の生活が一段落した。 兄弟がいたらなぁと思ったり、いやいやそれで揉めるのもよく見てるし、ひとりでよかったのかもとも思うけれど、老いた時の準備をまったくしていなかった両親の行く末を判断するのが、自分一人の裁量にかかっているというのが、重責。 わかってはいる。 一人では無理だし、いずれは何処かの施設に入ってもらうしかないけれど。 祖父母は健康的にゆっくり老ていったため、母のようにいきなり体が不自由になるとは思っていなかったので、不安の中からスタートして、何もわからないまますぐいろんな判断を迫られた。 今でも心の重荷になっているのが、最初の救急病院でのやり取り。 言葉が話せるだけマシだったけれど、リハビリもすぐ始まったけれど、食事もトイレも人手がないとできないし、ここからどこまで回復するのかもわからないまま時は過ぎ、いきなり面談があると言われ何のことかわからずに言ったら、婦長と名のつく年配の女性から、自宅ですか?施設ですかと聞かれ困惑した。 どんな生活になるのか、まったく予想のつかない私は黙ってしまったら、お叱りを受けた。 いろいろな事情のご家庭があると思う。 私も私の病気を悪くしないために先生から無駄に母に接触するなと言われてきて、ほぼ別生活、両親は両親の暮らしが、私には私の暮らしが長年ある。 そんな色々な家庭の事情に一切関係なく、その婦長は怒りまくって、在宅介護をしない人間は酷い人間だ、お前もそうだろうとものすごい剣幕で言われた。 人非人とものすごく非難された。 あれが重りになっている。 それからいろいろと新しい経験のたびに、しまったともうようなことが出てきて、連絡ミスや解釈の相違、母の病気というより、そういったことで絶対に今の返事では不安が残るなとか、簡単に言ってるけど本当かなと、ー裏の裏まで読んでいかないと、また主張しないと、こちらの望むことが伝わらず。 在宅を選んだのは、父の涙だった。 なんでこんなことに、おれは悔しいよ、酒を飲んで言った。 父も軽度のアルツハイマーだ。 母のいない間、意味がわからないことをしてるのもしばしばあって。 見て見ぬ振りして。 いざ母が帰宅となっても、父が面倒を見る。危険もたくさんある。 母にも父にも。 夫婦で過ごせる時間を作りたいのが目的。 しかし、最初はうまくいかず。母は病院でリハビリしていた環境と家が別物なのもわからなくて、父は母の細かいケアうまくできな時があり、喧嘩してた。 何度も父や母に話して、ここまで来て、やっと緊迫した心配が今に時点でなくなったこの頃。 その疲れが一変に出て、動けなくなった。 毎日毎日朝からしんどい、動けない。 食事もまともにできない。 食欲がないから。 凹んでるというより、何も感じない。 まだまだ解決しないといけないk問題があるけれど、暗礁にアゲッパ。 動く気力がない。 |