今日もよくダレてます
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電話した。

2015年11月18日(水)
久しぶりにゆっくり眠った。
何もしてないけれど、ここが山場だという日々に、両親に申し訳ないが今は無理、後でやるからと宣言した。
宣言したら、自分の気持ちの中にあるモヤモヤ、いつもどこかにある両親への心配を忘れることができた。

その後に三連休取れて、あんなに眠れなかったのが嘘のようにぐっすり。
日曜の朝、こんな気持ち良い目覚めは久しぶりだと、ベッドから起き上がってテレビをつけたら違和感があって。
そのまままためまいが起こった。

まただよ。
目も前のものが縦にグルングルン回転してもう体に力が入らずひたすら収まるのを待つしかない。
以前何度も起こしてる。
だいたい半日から10時間かな。収まるまで。
めまいは起こした時で無いと診断できないと言われて、結局いろんなお医者さんを巡ってもストレスですねで終わってて、困ってた。

いつも朝起きてしばらくすると起こる。夜にはならない。
吐き気もする。怪我を覚悟で部屋を転がるのが精一杯。
口もうまく回らない。
脳だとやだなと思ってる。

今回は慣れたもので、そのまま動けないので父を大声で呼び、近くに吐けるゴミ箱を置いてもらい、収まり辛うじて数歩歩けるぐらいになった所で再度父にお願いして救急の病院に行った。
問診票もぐるぐる回るので当然書けないし、父も慣れたものですぐ車椅子に乗せてくれた。
担当医がたまたま丁寧に診てくれて、私の話も聞いてくれて助かった。
本当は入院させられそうだった(笑) それでもよかったのだが、両親のことがあるので帰宅し、耳鼻科に検査に行った。

同じことの繰り返しで、ただ今回幸いしたのは翌日もまだどこかフラフラするなと思ってたら案の定眼振があったみたいで。

だが耳鼻科の先生はなんとなく信用のおけない感じで、また原因不明になるのかと思った。

以前は脳外科の先生に、精神科の薬を見せたら態度が一変して頭ごなしに怒られた。苦痛だった。いろいろな病院に行くたび、お薬手帳を見せると、ヒク先生の多いこと。


ふと、思いついて叔母に電話した。
この叔母は叔母たちの中で私が子供の頃から信頼してる叔母だ。
実直で少々頑固かもしれないが、嘘や偽りはない。
確かめまいで医者に行ったと言ってた。

久しぶりに話した。
違うのは、叔母はフワフワめまいで私が回転なこと。
私のほうが長時間なこと。

一緒なのはまったく動けないこと。
吐くこと。

まず言われたのは突発性難聴のこと。

あ、私もなった、思い出した。
すると、叔母の話ではなった時にすぐ治療をきちんとしたかどうかで、予後が変わるということ。
あの時はすぐ入院しなさいと先生に怒られたが、元旦那がお前が入院したら家のことを誰がするんだと怒鳴られて、入院できなかった。安静どころじゃなかった。以来耳鳴りはものすごくて聞き取りにくいことも多々あるがそんなものだと思ってたら、叔母も同じだったようで、それを先生に家と言われた。

が、結局対処の薬しかないけどねだって。

ご近所に私とよく似たパターンのめまい持ちさんがいて、メニエールだそうだ。

叔母はちょうどその時自分の息子の突然の離婚で参っていた。
離れて暮らす人の心配ほど辛いと思う。
叔母はとても我慢強い。屈強に耐える意味ではピカイチだ。
だからなぜめまいになったのか理由が当初はわからなかったが、振り返れば、ストレスだったんだろなと言う。

そんな身近な話でのストレスが原因とわかれば、濁して言われたストレスとは受け止め方が変わってくる。

全然ストレスかかってると自覚がない時に起きるんだけどというと、叔母もそうだと言っていた。

なんだか安心した。

危険だから運転に気をつけろと言われてはっとなった。
一度通勤中に起こったから。

hiroといる時はストレス感じないけど(笑) 運転はhiroにお任せだなぁ。


自覚なし。
予想以上に体のほうが悲鳴を挙げたんだな。
突発性難聴の時もそうだったな。
先生がなぜこんなに深刻そうなんだろうと逆に不思議に思ってたぐらい、自覚なしだった。


あの頃の自分は本当によくがんばったやつだったけれど、今は全然で、キャパが狭くなったということか。

不甲斐ないな。

でも叔母がお前はまだ若い、私なんか棺桶に半分足突っ込んでるんだからねって言われて笑っちゃった。

叔母はじっとじっといつも耐えてる人だった。
それでも前向きな人だった。
自分を着飾ろうともせず、全てを家庭に捧げた。
ズルもしない。言い訳もしない。

そして今がある。

かなわないなぁ。だから信頼してるんだけど。
ズルしないのが一番かな。
久しぶりに長電話して笑って終わった。
すごく安心した。


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