2004年02月18日(水)
私という存在の意義、理由、目的。なんてややこしい。
人は、というか、私は、具体的に分かりやすく他人からもしくは何かから必要とされたいのだ。その実感が欲しいのだ。
会社であれば、自分に割り当てられた仕事がある。別に自分が会社を辞めたって会社そのものはさして困らず、代わりの人がそれをするだけであることは分かっていても、その時点では自分はこの仕事を終わらせる人として必要とされているように思えるだろう(実際に身近な人は困るし)。仕事は分かりやすい。見える形で必要が提示されている。 家庭では少しわかりにくいように思う。子供がいれば当然ながら必要とされているだろうけれど、そうでない場合は見えにくい。自分がまさにそうだが、専業で主婦をしていて子供がいない場合、そして外で全く活動をしていない場合、自分が必要とされていると思える時というのは抽象的で掴みにくく、簡単に勘違いできそうな無形のものではないだろうか。
人に認知される、必要とされる、求められる。存在意義。理由。目的。 どうしてこうややこしいのだろう。けれど、そうしないと自分に対する自信のなさにぐらぐらと揺れているような気がする。なんて弱い。そして愚かな。 自信が無くて弱くて愚かだから、短絡的な方法で認知されることを妄想するけれど、そのための道程をすっ飛ばしているからまた簡単に自信を喪失する。愚かしい悪循環。本当は、地道な足場固めと遅くても確かな歩みが必要なのに。
そういうわけで。 昨夜、夫と夫婦の約束を交わす。夫にも私にも、それぞれ「これをこなしましょう」という事を設定し、守っていこうという約束。 夫に感謝。
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