| 2001年10月04日(木) |
中村真一郎の読書エッセイを読みたくなった。 |
中村真一郎の読書エッセイを読みたくなった。 最近はブックオフやブックマーケットなどを見て回ることが多くなって買う本の数が増えているが、読み切ったと言える本は逆に減ってきている。岡崎武志が「古本でお散歩」(ちくま文庫)の冒頭で「だからもう、あなたはそう言ってはいけない」と書いているのを読んで安心するほど買う方が多い。 今、読書の中心は、佐伯泰英の時代小説である。しかし、最新作の「火頭」を読み終えたが、別のシリーズには進めず、ちょっと真空状態の中にいるような不安定な心理でこの二、三日を過ごしている。例の焦点が定まらない症状に陥っているのである。 こんな時には、本の方からこちらに寄ってくることもある。 とあるブックオフの一冊百円の単行本が並んでいる棚を左側から右側へ網羅的に眺めて横歩きしている時だった。特段に何か収穫を期待していたわけではなかった。あえて言っても邦訳のもので何かあれば、という程度だった。 その時目に入ってきた本の題名は次のようなものだった。 「読書好日」「読書の快楽」「書物熱愛」「幻の作家たち」「深夜快読」の5冊である。順に、中村真一郎、山下武、森まゆみの著書である。 このブックオフには絶対読書好きな顧客(持ち込み売り手?)がいると確信した。ほぼ一年前にも似たような事があった。つまり、他所では見られない読書・書評関連の単行本があったのだ。 信じられない気持ちでそれらを五百円で買わせてもらった。だいたいにして図書館以外の場所で見ること自体が不思議である。 前の日には別のブックオフで先の「古本でお散歩」を買ったばかりで何かしら時代小説をお休みしてゆったりとした読書時間を楽しめという御告げかと、しかしそれにしても中村真一郎の読書随筆は心を求心的にする。ほとんど今まで読んだことのない本ばかりだし、これからも読むことはないと断言できる本ばかりと言ってもいいのだが、そういう気持ちを忘れさせる求心的な魅力にあふれている。 いつのまにか「読書の快楽」を42ページまで読み、さらにもともと持っていてもう何回か読んでいる「読書三昧」を引っ張りだして18ページまで読んでしまった。 しかし、その一方で村上龍の「奇跡的なカタルシス」(光文社)を44ページ読み、意識の片隅でクリステイの「謎のクィン氏」(早川文庫)を再読したいと思っており、やはり少し狂っているかもしれない。 危険な状態である。 清水徹の「読書のユートピア」(中央公論社)ももう一度読めと言っているような。
|