| 2001年12月27日(木) |
恩田陸「出雲夜想曲」とジョン・クロウリー「ナイチンゲールは夜に歌う」を読んだ。 |
恩田陸「出雲夜想曲」とジョン・クロウリー「ナイチンゲールは夜に歌う」を読んだ。両方とも短編で「出雲夜想曲」は「三月は深き紅の淵を」の第二章、「ナイチンゲールは夜に歌う」は同題の短編集の冒頭に置かれたもの。 「出雲夜想曲」は二人の女性編集者が「三月は深き紅の淵を」の作者を捜しに出雲に出かけて行く物語である。その旅の言い出しっぺの堂垣隆子は三十代、誘われて一緒に行く江藤朱音は四十代という設定だが、夜汽車の中での作者についての純朴かつ乙女チックな会話が延々と続きこちらをにやりとさせてくれる。終りの場面の重いイメージと意表を衝く返し技が印象的だった。 第一章同様、小泉八雲を思わせる謎の人物が主人公の女性の近くに登場する。 恩田陸は日本のエリナー・ファージョンである。その物語は成人のための「童話」というおもむきもある。もちろん小学校高学年の子供や中学生が読んでも面白く読める。一般向けに普通に書いた作品が児童文学や童話になっていても何の不思議もない。思い切ってファージョンのような児童のための作品を書いてみたら物凄い傑作になった、もあり得るのではないか。 「ナイチンゲールは夜に歌う」はメルヘン的な読みやすい作品。神が「人間」を思いついたばっかりに世の中が汚れてゆき、取り返しのつかない事態に陥る。 今日はビデオを見た。 「スペース・トラベラーズ」はあの映画版「踊る大捜査線」と同じ監督ということで期待し、ラストの寸前までは比較的面白かった。しかし、「明日に向かって撃て!」を真似したようなラストには不満。テロリスト役の渡辺謙が大勢に紛れて逃げた場面の後からぐっと平凡になり意哀しい終わり方には不満。全員無事に逃走させるという一種のコン・ゲーム的展開を考える関係者がいなかったのだろうか。快作(怪作)になり損ねた、もったいない映画だった。
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