| 2002年04月08日(月) |
永井龍男「枯芝」(新潮文庫「青梅雨」1969/05/15発行2002/06/20改版所収)を読む。 |
永井龍男「枯芝」(新潮文庫「青梅雨」1969/05/15発行2002/06/20改版所収)を読む。 これもまた家族の話で、中年の夫と二十代の若い妻のほのぼのとした家庭生活を描いたものかと錯覚するような始まり方が徐々に崩れていき、実は夫の方が年上の妻と離婚したばかりでその離婚の原因ともなった愛人を妻に迎えていたのだということが分かる。 そんな二人のやりとりが続いて、妻の若さが強調される。 都会から離れて仕事をしようとしてなかなか集中しきれない夫と時間を持て余す若い妻の艶かしい悪ふざけを覗き見していた御用聞きの少年が、その雰囲気に誘われようにして再び覗き見にやって来る。これが最後の場面になるのだが、少年は信じられない光景を見ておかしな気持ちになって変な空想に落ち込んでいくのである。 洋室でケント紙に向かって製図している男の姿を見た直後に庭で寝そべっている同じ男を見てしまったのである。ほとんど同時に別々の場所にいる同一人物を目撃したことになり、少年はとりあえず、 「なあに、あしたの朝になればなんだって分かるさ」 と思って深刻さを受け流そうとするのだが、より深みにはまっていく。 「狐」と同じように「この後どうなるのか」や「これはどういうことか」についての答えはないので、こちらで勝手に考えるしかない。 この話もホラー小説といえなくもない怖さを持っていた。 短篇小説の名手という評判は嘘ではない。驚くべき腕前の作家であった。
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