かけがえのない、命というもの。
時々、命の重さについて考えることがあります。 自分の命、他人の命。 大人の命、子どもの命。 人間の命、動物の命……。
私にとって、命というのはどれも同じもの。 自他、そして年齢、種族に関係なく、等しいもの。 手前勝手な理由で、他者の命を奪う権利は誰にも無いと、そう思っています。
今日、祖母の家で、私は泣き崩れました。
祖母の家に、ベリーという新しい仔犬がやって来たんです。 そこには他に、コウという猟犬とチビという猫が一匹いました。
そして、今日。 祖母の家には、いつもなら檻の中にいるコウの姿が無く。 着いた瞬間に胸をよぎる、嫌な予感。 「猟にでも行ってるのかな?」と振り払うように言った言葉に、 「猟のシーズンは、もう終わってるはずよ」と返した母の答え。 知りたくない……でも知りたい。 そんな思いの交錯する中、チビを抱きながら、祖母と母の会話に耳を立てました。
「コウ、どこに行ったの?」 「今日の朝、(伯父さんが)保健所に連れて行った」 「やっぱり…姿が見えないから、そうじゃないかと思ったけど」 「あんな吠えまくる犬、連れて行ってくれてせいせいした」
私が覚えている会話はここまで。 家に帰るまでずっと、私はひたすら泣き続けました。
ベリーが来て、もういらなくなったからコウは保健所に連れて行かれました。 まだ、たったの4歳。犬の一生の、半分も生きていないのに。 交通事故で死んだ、私の最初の飼い犬よりも若いのに。 散歩にも連れて行ってもらえず、いつも吠えるから怒られてばかり。 (私から見れば、吠える原因は飼い主にあるのに) けれど、猟で迷った時、ぼろぼろになりながらもちゃんと家まで帰ってきた、可愛らしい健気な子でした。 保健所に行くときも、ご主人と出掛けられることが嬉しくて、 きっとしっぽを振って喜んでいたに違いないのに。
用済みだから、捨てるんですか? 新しい子が可愛いから、もう古い子はいらないんですか? なら、その新しい子が古くなったら、その子も同じ運命?
あの子の姿を、私が見ることはもうありません。 あの子とあった最後の日、私には時間がなくて、ちゃんと触ることが出来ませんでした。 「また遊びに来るからね」と手を振っただけ…。 こんなことなら、どんなことをしても撫でてあげれば良かった。 連れ戻しに行けない、何も出来ない自分の無力さに腹が立ちます。 今、心に残るのは、ただただ後悔ばかりです。
コウだけじゃなく、全国には「いらなくなったから」と捨てられる動物たちがたくさんいます。 その子たちを保護する団体もありますが、とても追いつかないそうです。 捨てる人たちは、彼らの命を何だと思っているのでしょう? この世に生まれてきた立場も、生きている鼓動も、私たちとは何も変わりが無いのに、自分たちの方が偉いとでも思っているのでしょうか?
命は、何とも比べようがない、かけがえのないもの。 今はただ、あの子や同じ立場の子たちに対して、悲しくて悔しい思いでいっぱいです…。
2004年02月19日(木)
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