Sail ho!:映画「マスター&コマンダー」と海洋冒険小説の海外情報日記
ジェフ・ハント氏の4つの理由に思う(上)
【未読注意】5巻について、わずかなねたばれがあります。最後まで読み終わっていらっしゃらない方はご注意ください。 5月の第4週はけっこう盛り沢山な一週間でした。 マゼランとビクトリア号の凄まじい探検航海について調べ始めたらハマってしまい、その最中に5巻が発売になって、あとがきのジェフ・ハント氏の言葉に考えこむうちに日本海海戦100周年の日が来て、週末は横須賀に「三笠」を見学。 ハント氏の言葉を実感する一週間だった…と言えるでしょう。
オブライアン5巻のあとがきの中で、表紙画を担当した海洋画家のジェフ・ハントは、英国で帆船小説に人気がある理由を4つ上げています。 その二つ目が「この時代は戦いの時代であって、人びとが危険を負い、勇気をもち、個人の冒険心や独創心を発揮することが、いろいろな面で制約の多い現代よりも、大きかった」というもの。
ビクトリア号の航海を調べながら、そして5巻の波瀾万丈の航海を読みながら、これは実感としてうなづくことが出来ました。 いや、その…、ビクトリア号の航海って現代の感覚から見たら、冒険…などという程度ではすむものではありません。
考えてみてくださいな。 彼らは、どれほどの広さかわかっていないにもかかわらず、太平洋を渡ろうとしたのです。 結果として98日間、陸地を見ることができなくて、食料と水が尽きて、船の木を削って食べるんです。 命からがらたどりついたグアム島で村を襲って食料を略奪して、 食べるものを食べたら元気になって、1ヶ月後にはフィリピンのセブ島に現れて、 これをスペインの領土としようと現地住民に襲いかかって…、 懲りないというか何というか、…無茶苦茶。
現代に復元されたビクトリア号は、レーダーもエンジンも、GPSも通信機も装備しているわけですが、 これって別にズルをしているわけではないのです。 今は法律で、大海に出て行く船は、レーダー、通信機などを備えていなければならない決まりになっています。 でないと遭難して、傍迷惑ですから。
前回このビクトリア号の16世紀の探検航海を、今だったら太陽系外に出るようなものだと書きましたが、今だったら太陽系外に出るとしても、まず、こんなことは許されないでしょう。 1950〜60年代のアメリカの宇宙開発計画を描いた「ライトスタッフ」の映画だったか原作だったかに、NASAがまず実験動物を乗せたロケットを打ち上げようとすると、宇宙飛行士たちが「犬や猿を乗せるんなら俺たちを乗せろ!」と怒る話があったと思います。
けれども飛行士たちの意見は世間的には認められず、 飛行士を志願するような人は、昔の探検家の冒険心を持っていたのでしょうけれど、 火災事故があれば計画は慎重を期してスローダウンし、アポロ13号の事故の時は、全世界が無事の帰還を祈った。 全てが慎重にリスク管理された…現代とはそういう時代です。
現代に適合して生きていくためには、あまり冒険心や独創心が豊かではやっていけず…というかはみ出してしまい。 そんな管理された現代人の目からみると、 どこまでも懲りないマゼランや、伝染病や嵐や難破や越冬にもめげず、ぐいぐいと前に向かって進んでいくジャックは、ひ弱な現代人にはまぶしいですよね。 マゼランはちょっと激しすぎる…というかめまいがしますけど、ジャックの強靱さには惹きつけられます。
ケネス・ブラナー主演、1910年代の南極探検の実話を元にしたドラマ「シャクルトン」で、南極で危険を冒して助けを呼びに行く前に、ブラナー演じるシャクルトンがマット・デイ演じるハーレーに「私は死なない」と宣言するシーンがあります。 この状態でどうして彼はまだ自分を信じていられるのか、私には信じられないけれども、このシーンはやはり、見ていてシビレます。
私、5巻のジャック・オーブリーを、ラッセル・クロウで見たかった…とつくづく思うのですよ。 南へ南へ、レパード号が最悪の状況に落ちていく中、艦内が二つに割れて、ボート隊が袂をわかち、それでも絶望することなくポンプを押し続けて島にたどりつく…この一連の過程のジャックをラッセルで。 ケネス・ブラナーのシャクルトンに勝るとも劣らない迫力だっただろうに。
…つづく。
2005年05月28日(土)
[Sea Britain 2005] 国際観艦式参加艦艇リスト
6月28日に英国ポーツマスで行われる「トラファルガー200周年記念 国際観艦式」に韓国と日本の艦艇が参加することが、公式プレスレリースで発表されています。 レリース原文はこちら。
日本からは海上自衛隊の護衛艦ゆうぎり、同むらさめ、練習艦かしまの3隻がこの観艦式に参加します。 護衛艦「ゆうぎり」は、「夕霧」の艦名を有する三代目の艦になりすが、初代「夕霧」はに英国で建造されたご縁のある艦です。 歴代の夕霧については、昨年の映画解説に際しても大変お世話になったhushさんのホームページに詳しい資料がありますので、そちらをご参照くさい。 「夕霧」に関する資料 さらに、 「むらさめ」について、 「かしま」について
5月20日時点で、観艦式への参加が決定している艦船は以下の通りです。 参加予定艦船リスト(英語) 英国海軍・艦隊補助部隊 各国海軍 民間船
ポルトガル海軍のサグレスなど、練習船をのぞくと、参加する帆船のほとんどは民間船です。 「ホーンブロワー」でインディファティガブル号を演じたグランド・ターク号も、民間の参加リストに名前を連ねています。
この式典にはロイヤル・ファミリーの皆様も列席されます。 エリザベス女王陛下とエジンバラ公、チャールズ皇太子、アンドリュー王子だけではなく、皆様おそろいのようですが、このプレスレリースでは英国内での呼称(おそらくこちらが正式でしょう)が使用されており、海軍に係わっている王族の方は階級も付記されています。 日本ではなかなか知ることが出来ないので、面白い記事だと思いました。
プリンス・オブ・ウェールズはよく知られていますが、チャールズ皇太子(海軍中将)、コーンウォール公爵夫人はカミラ夫人のことです。 ヨーク公がアンドリュー王子(海軍中佐)、プリンセル・ロイヤルはアン王女、王女が海軍女性隊員の司令官なのですね。 グロスター公、ケント公(Prince Michael of Kent)は、エリザベス女王の従兄弟にあたります。 エリザベス女王の Lord High Admiral of the United Kingdom と、エジンバラ公の Admiral of the Fleet は昔と異なり、現在は名誉職となっています。 アン王女のChief Commander for Women in the Royal Navy もそうでしょうか? 現在は第二次大戦当時のような婦人部隊というものはなく、全体の中に吸収されていると聞きますので。
しかしこの観艦式は、テロ(アルカイダ)の標的になっている、という英タイムズ紙の記事もあり、やはりこれだけ派手に祝ってしまうと問題もあるのだろう…とは容易に想像できるところです。
2005年05月27日(金)
ビクトリア号の航跡 1519-22年
フェルディナンド・マゼランが企画した世界一周航海、現代の装備をもってしても決して楽だとは言えないその航海は、実際はどのようなものだったのでしょう?
手近の文献を幾つか読んでみたのですが、予想通り予想を絶する…というか、 地図・海図や気象衛星を持ち、危険予測と回避と安全率が当たり前の現代に生きる我々から見ると、 …想像を絶する世界です。
1519年5隻280人でセビリアを出航したマゼランの船団のうち、1522年に無事帰還したのはビクトリア号1隻と18人の乗組員に過ぎませんでした。 途中、ホーン岬付近で(他の船の食料も積んだまま)勝手にスペインに帰国してしまったサン・アントニオ号とその乗組員を含めても、無事にスペインに戻れたのは50人そこそこです。 遭難、難破、沈没はもちろんのこと、裏切りあり反乱あり復讐ありで、これは確かにドラマだけれど、ドラマ化されたら見終わると同時にぐったり消耗するに違いない、凄まじい3年間。 以下、参考資料は「大航海時代の風雲児たち」飯島幸人著(成山堂書店)とカルガリー大学歴史学科のHPにまとめられていたFERDINAND MAGELLAN : Circumnavigating the Globe。 このふたつの文献は一部、データが一致しないところがあるので、人数、日数など史実が確定できないところがあることをご承知おきください。
マゼランのこの時代、世界一周というのは、今で言えばおそらく太陽系外に出るようなものだったと思われます。 地球は丸いというのは、まだ学説の一つに過ぎず、証明した人は誰もいませんでした。 新大陸アメリカが発見されたのが27年前の1492年、そのアメリカの向こうにまだ海(太平洋)があるらしいとわかったのが、わずか6年前の1513年なのです。 南アメリカ大陸を迂回して、太平洋を横断すればインドやジパングに行ける…とはわかっていても、その太平洋というのがどのような海でどの程度の広さがあるのか、まったくわかっていなかった。
というのも、当時はまだ経度を正確に測定することができませんでしたから(太陽高度などから想定する緯度は、そこそこあってましたが)、大西洋を航海していても、自分の船がこの大海のどの辺にいるのか、実はよくわかっていませんでした。 さらに海外についての知識も不正確で、ゆえにコロンブスはカリブ海をインドだと思いこみ西インド諸島などという名前をつけてしまい、地理の勉強をする現代の中学生を混乱されてくれたわけです。
経度が正確に測定できるようになったのは、なんとビクトリア号から200年以上後の18世紀、ジャック・オーブリーが生まれた頃の話です。 1768年に英国を旅立ったキャプテン・クックの世界一周航海の任務の中には、ほぼ世界初となるこの経度の正確な測定が含まれていました。 それでも、クックと当時の英国海軍には南太平洋の正確な知識がなく、オーストラリアもニュージランドもまだ島とは確認されていませんでした(ニュージーランドが島であることを確認したのはクックの功績)。
ちなみに…、この18世紀の経度の発見を題材に、TV版ホーンブロワーを手がけたA&E社が製作したドラマが「Longitude」。(ビデオ在庫切れですがUS版かUK版のDVDはまだある筈) ホーンブロワー第一シリーズ同様のクォリティとこだわりの、良くできたドキュメンタリー・ドラマです。 マイケル・ガンボン、ジェレミー・アイアンズ、イアン・ハートと役者さんも演技派ばかり。エドリントン伯爵ことサミュエル・ウェストも出ています。 当時を知りたいという方にはおすすめ。ただしドキュメンタリー・ドラマですから大変に地味です。ドラマというよりプロジェクトXだと思って見てくださいまし。
すっかり脱線してしまいましたが、つまり何が言いたかったかといえば、最初に戻って、 マゼランの冒険航海は太陽系を飛び出すくらい無謀なものだった…ということです。
以前に説明した通り、マゼランはポルトガル人でしたが、母国から援助が得られなかったので、ライバル国であるスペインに乗り換えました。 スペインはスポンサーになりましたが、お金を出した以上は当然この航海の主導権を握ろうとし、副指揮官のホアン・デ・カルタヘナ(サン・アントニオ号船長)を始めとし主要ポストにスペイン人を送り込みました。 もちろんポルトガルはマゼランのこの裏切りを許す筈はなく、船団はポルトガル領に寄港することはできませんでした。 航海は最初から大いなる緊張を抱えていたわけです。
大西洋を横断するよりも前に、マゼランとカルタヘナは衝突、マゼランはカルタヘナを更迭します。 船団はラ・プラタ川付近で太平洋に抜ける水路を探しましたが発見できず、季節は冬へ、悪化する天候にマゼランはサン・フリアン(現アルゼンチン・パタゴニア)付近で越冬を決意。 これまでの困難な航海、先の見えない不安、食料不足。部下たちからは帰国の提案がなされますが、マゼランはこれを拒絶。 そして反乱が起きます。
船団はマゼランのトリニダッド号の他、サン・チアゴ号、ビクトリア号、サン・アントニオ号、コンセプシオン号の5隻で構成されていましたが、このうちの3隻、ビクトリア号、サン・アントニオ号、コンセプシオン号が反旗を翻します。 マゼランはビクトリア号に斬り込んで船長を殺害して船を奪還。これで3対2と情勢が逆転し、反乱は鎮圧されました。 首謀者であったコンセプシオン号の船長は処刑、サン・アントニオ号の船長はサン・フリアンに置き去りにされました。
安全な越冬地を探そうとする船団ですが、偵察中にサン・チアゴ号が座礁、沈没。 何とか越冬地を確保し、再び春を迎え、残る4隻はマゼラン海峡から太平洋をめざします。 けれども不満の火種は残っていたのでしょう。海峡の中で船団が互いを見失うと、サン・アントニオ号の航海士が船長に反乱を起こして船を乗っ取り、食料の大半を乗せたまま、勝手にスペインに帰国してしまいます。
マゼラン海峡を抜けてようやく太平洋に出た3隻は、しばらくは沿岸に沿って北上し、南緯37度付近で西に向かい太平洋を横断する航路をとります。 その結果、オーストラリア、ニューギニア島などの北を通過することになり、98日間、陸地を見ずに航海する羽目に陥りました。 地図がありませんから仕方ありませんけど、よりにもよって、途中にもっとも島の少ないルートを。
6週間目の1521年1月中旬から壊血病が広がり始めます。食料は底を尽き、船のネズミやゴキブリも食べ尽くした乗組員は、最後には帆桁の皮や木を削って食料にしたと言います。 13週目の3月4日、トリニダッド号では19名が死亡、20名が衰弱し立つこともできず、動くことが出来たのは数名にすぎなかったと記録されています。 3月6日、北西方向にようやく島を発見、これは現在のグアム島であろうと思われます。
この島で一行は 「食料を略奪したり、住民を殺したりしたが、住民があまりに泥棒をはたらくので、島を泥棒島と名付け、3日ほど留まっただけで出発した」 飢餓状態であったことを考えれば食料を略奪した事情はわかるものの、取られたら取り返すのが人間の常ですから住民が泥棒をはたらくのは当たり前で、グアムの島民にしてみれば迷惑この上ない船団であったことでしょう。
1521年3月27日、マゼランはフィリピンのセブ島に到着します(4月7日という本もあります)。 マゼランはむかし1505年に東回りでマラッカに航海したことがあり、その時現地から付いてきたBlack Henryというマレー人従者がいたのですが、この島の住民にはこのBlack Henryのマレー語を解する者がいました。 そして贈り物として差し出された中国製の陶器を見た時、マゼランは自分が地球を西回りで世界一周したことを確信したのです。
ところがマゼランは、無謀にもここで、この島と近隣のマクタン島をスペインの領土として征服しようとしました。 当然、住民は反撃して戦闘となり、マゼランは1521年4月21日、戦闘中に命を落とします。 マゼランの死については、実はフィリピン人にではなく、彼のやり方に不満をもっていた一行のスペイン人に、どさくさまぎれに殺されたという説もあるようです。
マゼランの死後はデュアルテ・バルボサが指揮官となりますが、彼は間もなくマゼランの従者だったBlack Henryに殺されます。 これもHenryの復讐だったという説あり。 混乱の中セブ島で捕虜となった次席指揮官セラノは、船に残っていたカルバルホ(?Carvalho)に船と自分の交換を求めますが、Carbalhoはこれ幸いと上官のセラノを置き去りに、セブ島を出航してしまいます。
残された船は3隻、乗員は115人。 この人数で3隻の操船は無理と判断したCarbalhoは、コンセプシオン号を自らの反乱の証拠とともに処分し、残る2隻、ビクトリア号とトリニダッド号で海賊行為をはたらくことを決定。 これに対してトリニダッド号のコンスタブル・エスピノザが反抗しCarbalhoを廃し、3人目の指揮官となりました。
エスピノザが指揮をとるトリニダッド号と、エルカノが船長となったビクトリア号はようやく当初の目的地であった、スペイン勢力下のモルッカ諸島ティドレに到着。 ここで船体を修理し、食料と積荷(もちろん香料)を積み込み、スペインを目指して帰国することになりました。 が、ポルトガルが攻めてくるという情報が流れてきたため、2隻は別行動をとることとなり、修理の完了していたビクトリア号がエルカノの指揮のもと先に出航することになります。 トリニダッド号と指揮官のエスピノザは結局、ポルトガル人に捕らえられ、エスピノザは処刑されてしまいます。
難を逃れたかに見えるエルカノのビクトリア号でしたが、それからの航海も決して安楽なものではありませんでした。 インド洋を横断し、喜望峰をまわる航路途中の港はことごとくポルトガルの勢力圏、2ヶ月の間水と食料の補給ができず、結果としてさらに21名が死亡、やむなく夜陰に乗じてベルデ岬諸島のポルトガル領サンチアゴ島で食料と水を補給しようとしたものの、スペイン人であることがばれ、やむなく乗組員13名を置き去りにしたままで出航、1522年9月、ようやくスペインに帰り着いたということです。 ビクトリア号の乗員はエルカノを含め、わずかに18名でした。
エルカノが4番目の指揮官と言われる経緯はこのようなものです。 実は彼は、南アメリカ・サン・フリアンでの反乱時には、反乱軍側にいました。 その彼が最終的に生き残った最上位指揮官として世界一周を果たし、スペインに帰りつくことになるのです。
エルカノの名前は、スペイン海軍の練習帆船として現在も残されており、この帆船が何年か前に来航した時には、私も晴海埠頭まで船内公開を見学に行きました(去年来航したチリ海軍のエスメラルダ号によく似ています)。 しかし、ここまで壮絶なドラマを背負った人だとは、今回詳しく調べるまで私も全く知りませんでした。
ビクトリア号とは、そういう船だったのです。
2005年05月26日(木)
オブライアン5巻、出てますよ〜
パトリック・オブライアン5巻「囚人護送艦、流刑大陸へ」、無事5月25日に発売されました。 本屋さんに行らしてみてください。ジェフ・ハントの迫力満点の表紙画が並んでいます。
以下最終的なねたばれはなしで参ります。 コメントは「あとがき」に関するもので、本編に関係するものではありません。 テーマは「英語と日本語と読後感について」といったところでしょうか。
オブライアン5巻、早い本屋さんでは昨日の夕方に並んでいたので、早速入手して夜にぱらぱらめくっていましたが、やっぱり日本語だと速く読めますねぇ、私これ原書で2ヶ月かかったんですけど、翻訳だと一日で読了してしまわれる方もあるでしょう。これだけ波瀾万丈だと、たぶん途中で止まらない(止められない?)。 でもちょっとそれ、勿体ないかな。 …というのも変かもしれませんけど。 この迫り来る恐怖と襲いかかる苦難は、リアルタイムで2ヶ月間味わうと、じわじわと来るのでございますよ。
上巻の伝染病のシーンを1時間ほどで通りすぎてしまった時に「なんだか英語で読んだ時と恐怖感が違うわ」と。 もっとも私の場合は読んだ時期が時期だったということもあります。 私が5巻を読んでいたのはちょうど2年前の春、中国と東南アジアでSARSが大流行し、新聞には毎日、本日の発症者数と死亡者数が載っていた時期でした。 私の勤務する部署は海外出張者が多いものですから、全くもって他人事ではなく、毎日家に帰るとぴりぴりとして手を洗っていました。 そんなこともあって、この5巻は私には忘れられない1冊になっています。
などとつらつら考えながら「訳者あとがき」にたどりついたもので、この英語と日本語の読後感の違いについてはまた、今度は別の観点から考えてしまいました。 今回、翻訳者の大森洋子さんが書かれた「あとがき」にはいろいろ考えさせられることが多く、さすが同時代の海洋小説を6作品訳された大森さんならでは…と感心しています。 もう一つの、画家ジェフ・ハントの語る「英国で何故、海洋小説が人気か?」から考えてしまった問題は後日別項で語らせていただくとして、 ここでは、あとがきの冒頭に書かれていた登場人物の対等関係と、英語と日本語の読後感について。
大森さんも指摘されている通り、オーブリーとマチュリンのほぼ対等な人間関係というのは、海洋小説では確かに極めて珍しいものです。 海軍は上下関係の厳しい社会で、軍隊である以上、指揮官には絶対服従ですから、対等の関係を探すのは、サハラ砂漠で氷を見つけるようなもの。 他の同時代の海洋小説シリーズをざっと振り返ってみても、このような関係はちょっと思いつきません。 ニコラス・ラミジ艦長と商船船長のシドニー・ヨークは対等の友人ですが、これはヨークが同じ船乗りでも民間人だから成り立つのであって、同一指揮系統にあったらこうは行きません。 ゆえにヨークはあくまでゲスト出演者であって、シリーズのレギュラーにはなれません。
なぜオーブリーとマチュリンにはこの特殊な対等関係が成り立つのか?と言えば、もちろんオーブリーのおおらかな性格が基本にはありますが、マチュリンがその裏稼業ゆえに、時に単なる軍医以上の権限を持っていることが、対外的にはものを言っているのだと思います。 4巻のモーリシャスの例を引くまでもなく、マチュリンには別系統から独自の権限が与えられていますから、この二人には指揮系統上の上下関係が生じない場合がある。 任務遂行上の必要性から、サー・ジョゼフがマチュリンに、臨時で勅任艦長待遇(オーブリーと同等の階級)を与えたこともありましたし。 第二次大戦を舞台にした海洋小説では、艦長と同一階級の情報将校が派遣されてくるものもありますが、19世紀のこの時代、このようなことは普通には考えられません。 もっともそれを指揮権の混乱なく上手く治めているのは、オーブリーの器量なのでしょう。
ただしこの二人、とくにオーブリーは公私を意識して使い分けていて、公の話をする時はマチュリンをドクターと役職で呼んで、ファーストネームでは呼びません(※)。 でも逆に言うと、英語上は、この相手の呼び方以外には、あまり上下関係や公私を区別する手段がないんですね。 日本語で訳された時に、プライベートゆえにくだけた口調になる部分も、もとの英語を見ると意外と、使っている言葉は変わらない。 結果として、先に翻訳を呼んだ場合と原書を読んだ場合、吹き替えで見た場合と原語で見た場合で印象が変わってしまうことがままあります。 ※注)M&Cの艦内呼称については、2004年4月22日の日記参照。
その典型はたぶん、ホーンブロワーの第3シリーズでしょう。 あれとて、話している英語そのものは意外と、日本語訳ではブッシュがホーンブロワーに硬い敬語を使っている原作とあまり変わらないのだと思います。 ただTVではキャラクター解釈が違いますし、その結果、役者さんから受ける印象も違う、TVの吹き替え翻訳者はその印象から台本を作っていて、さらに吹き替えた声優さんの声質の印象も加わると、ハヤカワ文庫の翻訳とはかなりかけ離れたイメージが出来上がってしまう…と。
リチャード・ボライソーとトマス・ヘリックは、艦長と三等海尉として出会って、艦長と副長、共に勅任艦長の同一階級時代を経て、司令官と旗艦艦長、さらに司令官と副司令官…と立場は変わりながら総計35年に及ぶのですが、翻訳では基本的にヘリックはボライソーに敬語を使う訳になっています。 部下だった時は相手への呼びかけが「サー」でしたから、敬語訳で間違いありませんが、同一階級になって相手を「リチャード」とファーストネームで呼んでいても、勅任艦長時代は敬語が残っていた。 これ英語では、話し方に差があるわけではありません。オーブリーとマチュリンのかなりくだけた口調になっている英文と比べても、大きな差はありません。 でも、ここに敬語を残してしまった翻訳者の気持ちはわかるんですよね。日本人の感覚としては、たとえ今は同一階級でも、一才年上の以前の上司を前にしたら、やっぱり敬語が出てしまうものでしょう。 翻訳も20巻を過ぎ、ともに年齢を重ねて将官になってからの会話は、ときどきこの敬語が落ちるんです。 そうすると何だか急にヘリックがぞんざいな口調で話し始めたような気がして違和感を感じる…と以前に海洋小説系の掲示板で話題になったことがありました。 けれどもこの英語も、実はかつて同一階級だった勅任艦長時代の会話と、大差があるわけではありません。
大森さんのあとがき想定の中には、ボライソーとヘリックは対等な関係ではない、という仮定があるでしょうし、私もそれには同意します。 実際の上下関係以上に、軍人としてはボライソーの方が器が上なのは事実ですし、でも私生活の部分では、ちょっと家庭人としては問題ありすぎな人ですね、リチャードは。 そして、ヘリックが友人として苦言を呈しているのは、この私生活の部分が多く、その点では彼は引きません。 トータルで考えると、意外とこの二人の関係というのは、対等とはいえないまでも、日本語翻訳を読んでいる印象ほどには上下がはっきりしたものでもないのではないか…と最近ひそかに考えている私です。
2005年05月25日(水)
復元帆船ヴィクトリア号見学記
東京・有明に来航中のスペインの復元木造帆船ヴィクトリア。 先週の日曜日にSalty Friends主催の見学会があり、スペイン語堪能なQさんの通訳・解説付きでじっくり見学させていただくことができました。
Salty Friendsのスタッフの皆さま> 先週は本当にありがとうございました。
ヴィクトリア号の東京での公開は25日(水)まで。その後、名古屋、大阪を訪問し一般公開を行うとのことです。 Salty Friendsでは名古屋、大阪でも見学会を企画していらっしゃるとのこと。 詳細はSalty Friendsのホームページへ。
このヴィクトリア号は、ポルトガル人の探検家フェルディナンド・マゼランの世界一周航海に成功した船なのですが、今回は愛知万博のスペイン・パビリオンのために来航しています。 マゼランはポルトガル人なのに、何故スペインがこの船を復元し自国のパビリオンとするのか?
その理由はこのようなものでした。 この世界一周航海、企画したのはポルトガルのマゼランでしたが、スポンサーはスペイン国王でした。 ポルトガル宮廷では冷遇されていたマゼランは、航海計画をスペイン国王カルロス一世に売り込み、承認を得て、1519年9月、5隻の船団(トリニダッド号、ヴィクトリア号、コンセプシオン号、サン・アントニオ号、サンチアゴ号)でスペインを出発します。 この船団の副指揮官、船長、航海士といった主要な乗組員は全てスペイン人が占めていました。
大西洋を南下し、マゼラン海峡を発見し、太平洋を横断する間に5隻だった船団はわずか2隻(トリニダッド号とヴィクトリア号)になってしまいます。 そしてマゼラン自身もフィリピンで、現地人との戦闘中に命を落とすことになるのです。 マゼランの死後、指揮官は二転三転しますが、最後に四番目の指揮官となったのが、エル・カーノというスペイン人。 このエル・カーノが最後にただ一隻残ったヴィクトリア号を指揮して、1522年9月に、スペインに帰還しました。
というわけで、この航海を企画・計画・指揮しながら道半ばのフィリピンで非業の死をとげたマゼランは、正確に言うと世界一周をしたわけではありません。 実際に世界で初めてこの地球を一周したのは、スペイン人であるエル・カーノと生き残った17人のヴィクトリア号の乗組員ということになるのです。 …ゆえにスペインはヴィクトリア号を復元し、自国のパビリオンとしているというわけ。 1992年のセビリア万国博覧会の時に復元され、今回の愛知博にも海を越え参加しています。
さてまずはヴィクトリア号の外観から説明が始まります。 今回の見学会でヴィクトリア号の説明をしてくださったのは、建造責任者のホアキンさんでした。 この船はキャラック船と呼ばれる種類で、ガレオン船(無敵艦隊の時代)より一時代前の船になります。船体中央と前部に横帆、船尾に三角帆を有するのが特徴。
キール(竜骨)とフレーム(骨組)部分は樫、外販は松、マストは現在は鋼鉄ですが、当時は松の木だったそうです。 真っ黒な船体は、全て木タール(木を蒸し焼きにして製造したタール。石油タールではない)で塗られています。
復元ヴィクトリア号の乗組員は15名、5人ずつの三交替制で航海しているとのこと。 実はスペインを出航した時には18名だったそうですが、途中で3人が帰国してしまったとか(うち一人は奥さんが恋しくなって帰ったとのことでしたが…ホント?)。 ちなみにマゼランの航海当時は一隻に50人程度が乗り組んでいたものと思われます。
乗船して船首から見学開始。 今回は甲板下の船室には入れませんが、天井のハッチから除くことはできます。
これ↓はハッチから除いた船室と寝棚(長靴がきれいに並んでいます)

船尾の船室(昔ながらの天蓋つきベッドと甲冑が)

これがポンプ(サプライズ号のに比べて小さい。こんな家庭用みたいなので足りたの?)

組み継ぎしたロープ(ロープは全て麻製)

舵丙(奥手にある木の棒のようなものです。この時代はまだ舵輪ではない)

船尾楼から見た船体前部。

帆を張るとこんな感じだそうです(展示パネルより)

実際に甲板に立ってみると、予想外に揺れます。東京湾内に停泊しているというのに。 これ外洋に出たらかなりきついでしょうね。
この復元船には、実はレーダーもGPSも動力ポンプもエンジンもあり(目立たないところに上手〜く隠されています)、通信装置も太平洋のまっただ中からインターネットも接続可能な設備があり、また今は缶詰もレトルト食品も、防水外套だってゴアテックスのありがた〜い雨具があるわけですが、 それでもやっぱり、実際にこの甲板に立って思うに、この船で太平洋を渡るのには覚悟がいると思います。 楽なことではないですよ。
船尾楼甲板での説明時に、乗組員の方が仰っていらっしゃいました。「ここから見る360度の太平洋は本当に素晴らしいんだよ」 それはおそらく、波と風に揉まれた人にのみ許される特権なのだと思います。 だからこそ現代でも人は苦労してヨットや帆船に乗り、自分の足で歩いて山に登るでしょうけれども。
でもこのヴィクトリア号が、ただ一隻生き残ってスペインに戻ってきたという500年前の航海は…。 とてもではないですけど、「楽ではない」…どころの騒ぎではなく…。 いったいどんなものだったのだろう?…少し調べてみました。
長くなるので、以下次号…に続きます。
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22日の日曜洋画劇場は「K-19」だったのですね。 実はぼやっとしていて、当日新聞を見るまで気が付かなくて。 ハリソン・フォードとリーアム・ニーソンの艦長副長対決が見物だと聞いていたのですが、しかし、この映画、気楽には見られないシビアな作品ですし、日曜の夜には重すぎる気もして、結局、録画してあとでゆっくり見ることにしました。
でも「K−19」って日本公開からまだあまり時間がたっていないような…、もうTV放映にまわるとはちょっと意外です。
2005年05月22日(日)
[Sea Britain 2005] 渡り板を歩こう(ブリストルと宝島)
ブリストル・ハーバーフェスティバルの一環として、7月22日〜24日の3日間、なんと「渡り板を歩こう」イベントというものが開催されます。
「今回初めて、この、海賊たちが己の敵を排除する際に用いていた無慈悲な方策が、再び実行されることとなった。 海賊の仮装をした「志願者」は、Froome川に停泊したSevern Trowd号の甲板から、剣の切っ先でつつかれて、板の端まで歩かされ、川に飛び込まされることになる。」
映画「パイレーツ・ブ・カリビアン」をご覧になった方は、スパロウ船長とエリザベスが絶海の孤島に置き去りにされる前、板の上から海に飛び込まされていたのを憶えていらっしゃると思います。 あの板を「渡り板」と申しまして、海賊仲間の中ではこれが正式な「処刑」方法の一つでした。 映画の場合は島のすぐそばだったので、スパロウ船長もエリザベスも歩いて島まで行くことができましたが、通常はこれ大海のど真ん中で行われますから、当然泳いでたどりつける島などなく、板の端から海に落ちた者はまず間違いなく溺れ死ぬことになっていたのです。…ゆえにこれは「敵の無慈悲な排除法」と呼ばれるのですが。
それをまぁ、「ブリストル港まつり」で再現してしまおうと言うわけですよ。…まったく、イギリス人ったら(嘆息)。 こーんなこと、「東京港まつり」でやったら大変ですって。
このイベントに関するプレスレリース原文はこちら。
プレスレリースでは「渡り板」を歩く「志願者」を募集しています。 「志願者」の条件は、男女不問、年齢:19才〜64才、泳ぎの達者な者であること。
「志願者」は海賊の仮装をして「渡り板」から川に飛び込むわけですが、このイベントはコンテストを兼ねていて、 ・最もかわいい海賊 ・もっとも醜悪な海賊 ・もっともドラマチックな飛び込み ・もっとも面白いパフォーマンス には賞が与えられるそうです。また、「志願者」は全員、Severn Trowd号での正餐会に招待されるとのこと。
なぜブリストルで「渡り板」か? 実はブリストルは海賊と縁の深い町なのです。
18世紀初頭にカリブ海を荒らし回った「海賊黒ひげ」ことエドワード・ティーチはブリストルの出身でしたし、市郊外Pennの海を見下ろす地では、墓石の目立たぬところにこっそり「髑髏と骨のぶっちがい」が彫られた、秘密の「海賊の墓」が発見されています。
なんだか何処かで聞いたような話だと思いませんか? そう、海を見下ろす丘に建つ「ベンボウ提督亭」という宿屋に、ある日もと海賊の船長がやってくる…R.L.スティーブンソンの「宝島」です。
今回のプレスレリースの関連記事を読んで私も初めて知ったのですが、「宝島」の舞台の一つとなるブリストルの「遠めがね亭」(ジョン・シルバーがかみさんと切り回していた居酒屋)のモデルは、現在もパブ・ステーキハウスとして営業している「Hole in the Wall」という店だそうです。 また、ブリストルの税関だった建物に今も残る衣装箱は、ベンボウ提督が逮捕して倫敦塔に送った海賊キッドのものだと言われています。
私が「宝島」の物語を知ったのは、海洋小説を知るより前、日本テレビ読売系で放送されていたアニメを見てのことでした。 70年代の終わり頃、たぶん…ファーストガンダムと、それからNHKで放映されていた「マルコ・ポーロの冒険」と同時期だったのではないかと思うのですが、さすがに昔のことで記憶が定かではありません。
今回、ブリストルのプレスレリースを確認するために、初めて、スティーブンソンの原作をきちんと読んだのですが、今、海洋小説を多々経験した後で読んでみると、いろいろと発見が多くて。 もし私の記憶が正しければですが、昔みたアニメは一部原作を変えていたのだなぁという事にも気付きました。
以下は、むかしアニメ版「宝島」をご覧になった方にしか通じない話かもしれず、その意味ではちょっと恐縮なのですが、でも海洋小説系の掲示板でお話していると、この世界にはけっこう昔のアニメの「宝島」お好きだった方多い…ということを知りました。ので、ちょっと語らせてくださいませ。
宝島をめざした一行の中に、リブシイ先生というお医者さんがいたのはもちろん憶えていらっしゃると思いますが、この方、医者のくせして何故か銃や剣の腕が良くて、でもアニメでは結構若そうなのに髪が真っ白だったのです。 わたし昔これが不思議でね。どうしてお医者さんなのに物騒なものの扱いが上手いんだろう? どうして若いのに白髪なんだろう?って、あの頃は疑問に思ってたんですよ。
…でもスティーブン・マチュリンに馴染んだ今ならわかります。リブシイ先生のあの白い髪はきっと「かつら」だったんですね。 スティーブンが面倒くさくていつも紅茶ポットに引っかけて被らない奴を、リブシイ先生はきちんと四六時中かぶっていらした…というより「着たきりスズメで髪型変わらず」はアニメのお約束ですから、最初から先生のキャラクターデザインは、かつら装着バージョンしかなかったのでしょう。
また、今回読んだ原作によりますと、リブシイ先生は実は以前に陸軍の軍医だったそうです(カンバーランド公の連隊付軍医だったらしいですが)。 どうりで、海賊が反乱を起こしていきなりドンパチが始まっても場慣れしていらした筈ですわ。
スティーブン絡みでもう一つ。 反乱の時に船長側に残ったグレイという水夫がいたのですが(シルバーの次に格好よかった人だった記憶がある)、私の記憶に間違いがなければ、アニメでの彼はアイルランド人で、後に祖国の独立運動の蜂起に参加して戦死した…とかいう話だったと思うんですけど、この後日談は原作にはないようです。 最終回にあった後日談というのは、あれアニメだけの創作だったんでしょうか? もっとも私が持っている「宝島」が完訳版かどうかわかりませんので、他に後日談を書き込んだ版があるかもしれないのですが。
そうそう、今回もう一つ、海洋小説絡みで面白い発見をしました。 「宝島」がいつ頃の話か実は原作にもはっきりとは書かれていません。1700年代のいつか…の話らしいのですが、それ以上のことがつかめません。 そこで今回私が考えたのは、ベンボウ提督の生没年がわかれば、宝島の年代がある程度特定できるのでは?ということでした。 主人公ジムの父親が旅籠屋の名に選んだベンボウ提督、それはきっと提督の名声が高かった時のことでしょうから、物語の舞台はその10年とか15年後くらいかしら?…と。
それでベンボウ提督について検索していて、ホームページ(英語)を発見したのですが(下記)、 http://bravebenbow.tripod.com/ このホームページに、なんと、歴代のH.M.S.Benbowの絵や写真が出ておりましてね。 http://bravebenbow.tripod.com/id17.html
リチャード・ボライソーの旗艦だったベンボウ号(H.M.S.Benbow)は、ボライソー・ファンにとっては特別の艦だと思いますが、実際に存在していたのですね。 ただし、こちらは1812年建造の72門艦(ボライソーの旗艦は1800年建造の74門艦)なので、微妙に異なります。 それでも、ベンボウ号の絵姿が見られるというのは、ファンには嬉しいものでして。
あ…と話が脱線してしまいました。2段落前に話をもどしましょう。 ベンボウ提督が戦死したのは、このHPでは1701年となっています。 その頃にジムのお父さんが宿屋を開業したとしますと…あの物語の舞台は1720年頃になるのかしら?…などと私は勝手に類推しています。
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「Sea Britain 2005」絡みのニュースは国際観艦式などまだ他に何件があるのですが、 ヴィクトリア号の東京での一般公開が今週の水曜25日までなので、先にこちらの見学記をupした方が良いだろうと思っています。 といっても、きっと明日も夜のupになってしまうと思うのですが。
明日はヴィクトリア号が見学できる最後の日曜日です。まだご覧になっていらっしゃらない方は是非是ぜひ有明まで足を延ばされてみてくださいませ。
2005年05月21日(土)
[Sea Britain 2005] HMSPickleの勇姿とブリストル港まつり
今年2月10日の日記でご紹介したHMS PICKLE、修理が間に合い、その勇姿を現したようです。 こちらの写真をご覧ください。 思わずどきどきしてしまいます。 以前にご紹介した通り、このピックル号は、トラファルガー海戦の勝利とネルソン提督の訃報を最初に英国に届けた急使船を復元したスクーナー艦で、6月28日の国際観艦式でも先導役を務めることになっています。
ピックル号は、ブリストルの海事フェスティバルにも姿を現すとのこと。 同時にブリストルの「トラファルガー200年記念イベント」も発表されました。 このプレスレリースの原文はこちら。 ブリストル市と近郊の博物館の「トラファルガー記念イベント」はかなり大がかりなもののようです。
ブリストル郊外の「Fleet Air Arm Museum」(海軍航空兵力博物館)では6月1日〜10月31日まで ネルソンの時代から現代までの海軍力の推移を比較した企画展が開催されます。 http://www.fleetairarm.com/indexFlash.htm
同じく「Helicopter Museum」(ヘリコプター博物館)でも4月1日〜9月31日まで海軍中心の展示が行われます。 http://www.helicoptermuseum.co.uk/
またBerkeley城では、8月1日〜31日まで、軍服の歴史を展示した企画展が計画されています。 http://www.berkeley-castle.com/
ピックル号が来航するのは7月21日〜24日のハーバーフェスティバル。 そして7月22日〜24日には、何ともブリストルらしい素敵なイベントがあるのですが…、 その詳細については長くなりますので、明日ご紹介いたします。
2005年05月20日(金)
オーストラリアの鳥、アフリカの獣
一昨年、オーストラリアのケアンズを訪れた時に、クルーズ船で入手した海鳥紹介パンフレットの話を覚えていらっしゃいますか? chemomoのjunさんという方の描かれた海鳥の素敵なイラスト(2003年12月8日、12月9日の日記参照)です。 当時はjunさんにご連絡をとることができなかったのですが、実は過日、メールを頂戴してしまいました。 chiemomoの皆様は、オーストラリア、ケアンズの鳥・自然情報を発信している素敵なサイトをお持ちです。
http://www.chiemomo.com/
右上の「BIRD」というところをクリックしてみてくださいませ。 某マチュリン先生が泣いて喜びそうな資料の宝庫。
オーストラリアの自然観察ツァーのご案内もあります。 見ていると、また行きたくなってきてしまいました。
また右上の「SILVER」をクリックすると、日本の野生動植物をモチーフにしたシルバー・アクセサリーの紹介が。 これらのアクセサリーは、京成電鉄谷津駅下車、谷津商店街側駅前の「ゼフィロス」というお店で購入できるそうです。 このラインナップがまた…、ハクビシンとかカワウソとかウサギコウモリとかありまして、とっても素敵。
私も、マチュリン先生ほど徹底してはいないんですけど、好きなんですよ。珍獣コレクション。 といっても生きていたり標本になっていたりするのではなく、大幅みぃはぁにレベルダウンして、ぬいぐるみ、とかアクセサリとかなんですけど。 例えば、北アルプスの白馬に行けば、お土産物屋さんで「雷鳥のぬいぐるみ」が買えますし、四万十川に行けばアカメの巾着袋とか。 サイパンで見つけたマンタのピアス、シュモクザメのペンダント…。 アルマジロ、シマウマ等アフリカの珍獣ネックレスなどもコレクションにあり。
アフリカの珍しい動物たちは、毎年初夏に東京で開催されている「アフリカン・フェスタ」で入手したもの。 このイベントは外務省などというお堅いところ主催のアフリカ諸国を知ってもらおうというPRの一環ですが、このフェスタにはアフリカで活動するNGOが多数出展していまして、一種のバザーのようなものを開いています。 ここに行きますと、現地の方の手作りによるアルマジロやキリンなどのアクセサリー、絵画、小物…の数々が手に入るというわけなのです。
アフリカ各国大使館の展示とか、音楽・ダンスのステージ、本場のアフリカ料理などもあり、旅行好きの方には楽しめるイベントです。 今年は今週末の5月21日(土)、22日(日)に東京の日比谷公園で開催。
いや私も「サハラに舞う羽根」を見たり読んだりした時に痛感したのですが、日本人やっぱりあまりにもアフリカを知らない。 遠いからなかなか行けないという事情もありますが、こういう機会があるのなら少しでも知識を深めたいな…と思うわけです。 というと真面目そうに聞こえますが、単に好奇心あふれる旅行好きとしては、結局こういうイベントとか、それからchiemomoさんのサイトのような異国の地を紹介してくださるものが好きなんですね…私。
おまけ(笑ってください) 今朝の朝日新聞を見てぎょっとしたのは私だけはないでしょう。 http://www.asahi.com/photonews/TKY200505180317.html (リンクを貼る時は届け出をしなければいけないらしいので、コピーペーストでご覧くださいね) でもレッサーパンダはクマではないですね。
2005年05月19日(木)
明日は東京みなと祭+やっと「ウィンブルドン」
今日明日は「東京みなと祭」ですね。 晴海の貨客船ターミナルに新日本丸が来て、明日は一般公開(10:00〜)もあるようです。
明日はSalty Friends主催のヴィクトリア号見学会で有明に行くので、帰りに晴海に寄ってみようかなとも思っているのですが。
さて、先日やっとポール・ベタニー&キルスティン・ダンスト「ウィンブルドン」に行ってきました。 東京の唯一の上映館ユナイテッドシネマとしまえんの最終上映が連休明けから20:15〜になったので、やっと仕事帰りに間に合うようになったのです。 ここ凄く設備の良い映画館なんですけど(ウィンブルドンの客席応援が立体的に聞こえる)、遠い…遠すぎる。 私はいちおう都心部で仕事しているんですけど、乗り換え2回で50分もかかった(しくしく)。 お願いです。単館上映はせめて山手線内におさめてくださいな。東京って広すぎ。
でもひとつだけラッキーだったこと。 20:15〜の回はレイトショー扱いなので、1,200円になってました。
で、映画なんですけど、すっごく楽しかった! いかにも英国的な味付けをした…でもハリウッド作品だから過剰な毒はなくて、サービス精神にあふれた、上品なラブコメ。 最近、お仕事で疲れている方におススメ。 英国に2泊3日で軽い旅行をして、個性的だけど憎めないあたたかな心の人たちに出会って、癒されて帰ってきた…という感じです。
私の場合はプラス、なんだかお知り合いにいっぱい会ってしまったわ…感もあり、 そういえば結構、英国映画やドラマってよく見ていることになるので、脇まで含めて知ってる俳優さんが多いのは当然なのか。
主人公=ポール・ベタニー(引退まぢかのベテラン・テニスプレーヤー) 彼を引退後にコーチに迎えようとしているテニス・クラブのオーナーがペリュー提督ことロバート・リンゼイで、テニス・クラブのおばさまは「カレンダーガールズ」のおひとり。 主人公のお父さんはセオデン王ことバーナード・ヒルで、主人公の恋のお相手=キルスティン・ダンストの怖いステージ・パパ(コート・パパ?)は、サム・ニール…この方はオーストラリア人なのですが、3年ほど前に日本公開された「月のひつじ」というオーストラリア映画で頑固なオーストラリアの電波天文台所長を演じていて、すごく印象的だった。 主人公のドイツ人の親友ディーターのニコラス・コスター・ワルドウは、本当はデンマーク人の筈だけど、最初に見たのがアメリカ人役(ブラックホーク・ダウンの寡黙なデルタ)で、次がポーランド人の暗号解読者(エニグマ)で、今度がドイツ人…少しずつ母国に近づいて来ているじゃありませんか(笑)。 まったくもって素直じゃない主人公の弟と、マネージャーがまたとっても素敵で。 脇が皆さん…地味だけど上手い役者さんたちばかりです。 いやま、それを言えばポールだってキルスティンだって地味な個性派だと思うんですけど。 主役と脇…というのではなく、全体が上手くアンサンブルになっている映画です。
ポールの役は最初はヒュー・グラントが想定されていたと聞きましたが、今みると「地味な」ポールで正解だったかな?と。 やっぱりグラントだと華がありすぎて、物語当初の、引退間近で自信も失いかけてるテニス・プレーヤーっていうところにちょっとムリがあるでしょう? この「自信を失いかけている」ってところが上手かったですよね、ベタニー。ウィンブルドンの決勝まで行ってしまって、ファイナルセットであと1ポイントってとこまで来ても、ある意味精神的な弱さを露呈してしまうキャラクターなんだけれども、そのあたりの演技表現が上手いというか、あのサーブ直前の実は迷ってるんだけどムリに迷いを吹っ切るような表情の変化が、忘れられなかったりします。
2005年05月14日(土)
ハヤカワ文庫NV オブライアン5巻は5月25日
オーブリー&マチュリン5巻「囚人護送艦、流刑大陸へ」(ハヤカワ文庫NV)は5月25日発売…のようです。 ネタもとは、5月10日発売のハヤカワ文庫JAにはさまっていた「今月のハヤカワ新刊」のチラシです。
あぁぁぁ(脱力)。 ゴールデンウィークが終わり、これから10週間連続で週5日働くのね…と思いながら出勤している勤め人の唯一の希望を(大泣)。 10日に本屋に行ってみたら、ある筈の本がなくて、代わりに「グインサーガ101巻」などという、ある筈の無い本がある!(※1) 思わず探したのは、平積みの穴でしたね(売り切れたのではないかと思ったんです最初)。
それから、書店の壁に掲示されている「トーハン5月の文庫新刊」をチェック。 やはりオブライアンは5月上旬になっていましたので、ハヤカワのコーナーに戻ってもう一度舐めるようにチェック。 そしたら、いかにも言い訳を考えているよーな顔の平積みのマーティン・ジェラルド海尉(※2)と目があってしまいましたよ。 その瞬間、私は、クローリー艦長(※3)の気持ちがわかりました。 あぁぁ、クローリー、本当に気の毒に。 ※注1)「グインサーガ101巻」ハヤカワ文庫JA 5月10日発売。 このシリーズ、私もむかし25巻くらいまでは読んでいたのですが…。その当時は「この小説は100巻で完結する」と宣言されていました。 ゆえに当初101巻は予定にはなかった筈。 ※注2)マーティン・ジェラルド海尉 ハヤカワ文庫NV4月新刊「ドーバーの伏兵」の主人公。時間にルーズな上に学習能力の無い…困った人である。 ※注3)クローリー艦長 そのジェラルドを部下に持たされてしまった気の毒な英国海軍カッター艦艦長。
でもこの「北の豹・南の鷹」というグイン101巻の、特定世代には苦笑もののタイトル(狼と、南は虎でしたっけ?…昔の少年マガジン?)先月には見なかった気が(見てたらきっとクスッと笑ってたわ)…ってことは、この本はやはり5月新刊? 手にとって中のチラシを見ると、ピンクで印刷してありました。先月は黄土色でしたからこれやっぱり新しい月のチラシ。 そしてチラシを開いてみましたところ、
「囚人護送艦、流刑大陸へ」25日発売 …となっておりました。やれやれ。
ハヤカワさんのインターネットをチェックしてみたんですけど、こちらはまだ上旬になってますよ。 混乱を避けるために、発売日変更情報をupされた方が良ろしいのではないでしょうか? 早川書房さま>
というわけで2週間お預けです。 でも25日発売ってことは、同じハヤカワから出る谷甲州氏の文庫JA「星空の二人」と発売日がかぶってしまうんですね。 谷氏の今月は何でしょう? 航空宇宙軍史のシリーズだったりすると、連続で同じような話を読むことになるんだけれども。
先日、福井晴敏氏を「日本のダグラス・リーマン」と書きましたが、実はそれ以前から私は、谷甲州氏について「日本のセシル・スコット・フォレスター」だと思っていました。 といってもホーンブロワーというよりはむしろ「駆逐艦キーリング」などの世界なのですけれども。 谷氏ご自身もフォレスターお好きなのではないかしら? 航空宇宙軍史のシリーズの中に、主人公がアナログ(つまり本の形)の「ホーンブロワー」を読むシーンがあって…はるかな昔の地球の海を帆船で航海した士官について、宇宙空間のデジタルな航宙艦で思う…というのがミソだったような(確か「仮装巡洋艦バシリスク」収録の短編だったと思うんですけど…ちょっと記憶が定かではありません)。
谷甲州の魅力は、タナトス戦闘団のようなキャラクター群の魅力も勿論なのですが、もう一つ、 谷氏の描く宇宙って「隔壁の向こうは確実に真空」だということ。宇宙の怖さがひんやりと感じられること。 海って「板子一枚下は地獄」と言われますよね。2週間後に出るオブライアン5巻などを読んでもこれは感じられると思いますが、海には海のこわさがある。ゆえに板一枚で守られたレパード号上の人間ドラマは忘れられないものとなる。 同様に、宇宙も「隔壁の向こうは真空」。 このひんやりとした怖さがあるから、航宙艦の中のドラマはより際だつのかもしれない…と私は思うのですが、いかがでしょうか?
2005年05月11日(水)
まだまだマスコマ(M&C)
上映終了からすでに1年が経過している「マスター・アンド・コマンダー」ですが、先日アメリカのサイトに「無料壁紙配布サイト」のご紹介が載っていました。 この壁紙サイトのアオリが笑ってしまうんですよ。
「オーブリーとマチュリンに守ってもらえば、あなたのデスクトップは常に安全」
とか書いてあるんですけど、 18ポンド砲でコンピュータ・ウィルスが撃退できるものなんでしょうかねぇ?
このサイト、壁紙のダウンロードは全く無料だそうです。 その代わり、ダウンロード中にはこの会社のソフトのCMを強制的に見せられるようですが。 絶対に安全です …と書いてはありますが、ダウンロードは各人のご判断でどうぞ。 こちらのトップページからダウンロードサイトに降りられます。
また、これはUさんから頂戴した情報なのですが、 切手情報などを掲載している「郵趣」誌5月号によりますと、 サントメプリンシペ発行の記念切手にオーブリーが出ているのだそうです。 映画俳優連刷シートの第二次。ラッセル・クロウの切手がジャック・オーブリーなのだとか。
この「郵趣」は会員雑誌のため、一般書店では手に入りませんが、ここで紹介されている切手は、 郵趣サービス社 http://www.yushu.co.jp/index.htm からオンライン購入も可能です。 その際は下記のデータが必要になるとのことです ○雑誌の種類と号数……「郵趣」5月号 ○注文番号……STP-540 ○単価(1シート)……1550円 Uさん>ご丁寧にありがとうございました。
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さて、今日のカタロニアは気温25度だそうです。陽光がまぶしくて、光だけはもう夏ですね。 …実は今、F1スペイン・グランプリを見ながらこのテキストを作っています。 スペインGPの舞台、バルセロナ・サーキットはカタロニアの中心都市にあり。 思わずサーキットだけではなく、遠景の山など見てしまったりして…お城は見えないと思いますけど。
東京では早いお店は明日の夜にももうオブライアン5巻が出るかもしれません。 おたのしみに。
2005年05月08日(日)
99番目はホレイショ・ネルソン
「週刊100人―歴史は彼らによってつくられた」という週刊誌が毎週火曜日に刊行されているのをご存じですか? PさんとTさんに教えていただくまで知らなかったのですが、先週火曜日(5月3日)発売の5月17日号(通巻99号)は、ホレーショ・ネルソン提督だそうです。 Pさん>Tさん>情報ありがとうございました。
早速に昨日、本屋で入手してきたのですが、図版も多く、よくまとまっていて、ネルソン提督とその時代を知るには理想的な1冊ではないでしょうか? 裏表紙の、海に浮かぶビクトリー号の写真(現在は乾ドック)、コリングウッドの描いた若き日のネルソンの肖像など、珍しい図版もありますし、図版のために購入しても決して損とは言えません。
「週刊100人 第99号」 発行所:(株)デアゴスティーニ・ジャパン 問合せ:TEL 0570−037−239(月〜金 9:30〜17:30) URL: www.de-club.net
さて、先週ご紹介した英国造幣局のトラファルガー・コインですが、これについても日本国内で、ネットから購入できるところを教えていただきました。 Rさん>ありがとうございました。
英国造幣局の日本での代理店である「泰星コイン(株)」から購入が可能です。関連グッズの一部も入手できます。 泰星コイン https://www.taiseicoins.com/special/royalmint/index.html
またこの会社のニュースレリースによりますと、今年がトラファルガー200年ということはアウテルリッツ200年でもあり、フランスももちろん国立造幣局から「アウテルリッツ200年記念コイン」が発売されるとのこと。こちらのコインも、昨年発売されたナポレオン即位200年記念コインその他ともども、泰星コインのホームページから申込みできます。 フランス造幣局ナポレオン関連記念コインのお知らせはこちら
さらに、こちらはMさんに教えていただきました。 「ボートメール」という日本のマリングッズのお店から、トラファルガー200年関連グッズが入手できます。 ネルソン関連グッズのページ Mさん>ありがとうございました。
英国まで行かずとも、日本国内でも結構いろいろな関連品が手に入るものですね。 いろいろと教えてくださって本当にありがとうございました。
さて、トラファルガー200年より先に日本では、この5月末に日本海海戦100年を迎えます。 記念日に当たる5月27日から週末にかけて、神奈川県横須賀市の三笠公園を中心に、記念式典などが行われるそうです。 ただしこの関連行事のご案内はネット上には掲載されていないと聞きました。 「歴史群像」など関連書籍や、横須賀市観光局のご案内のみ掲載されているとか。 ここ1〜2ヶ月の東アジア情勢を配慮した結果でしょうか?
それを考えると、イギリスもフランスも無邪気だなぁと思うのですが、結局のところそれは、この二カ国がここ100年に関しては直接砲火を交えていないという事情によるのでしょうね。ヨーロッパでも戦後60年を控えて、ドイツの事情はいろいろと微妙のようですから。
2005年05月06日(金)
やっと見てきました映画「ローレライ」
ついに、やっと、映画「ローレライ」を見てきました。 ぎりぎりセーフというか、私の見に行った映画館は6日で上映終了。7日以降の東京は、お台場のメディアージュ唯1館での上映となるのではないでしょうか。
よく出来た映画化でした。 あの原作がこうなるわけですね。いえ原作ではないんでしたっけ? ローレライの映画と原作は最初から別々にスタートした兄弟作品で、基本ストーリーだけは同じでも、全く解釈の違う別の作品ということになっています。最後の結末も少し違いますね。 映画は映画にしか出来ないことを、小説は小説にしか出来ないことを表現していて、よくある「原作つき映画の不満」というものを全く感じませんでした。 生身の人間が演じることで、二次元が三次元になる醍醐味というのを存分に味わわせてもらった…という感じ。 役者さんのちからというのは凄いとつくづく思いました。
一つ意外だったのは、映画になってみたら、これって実は「いわゆる潜水艦映画」ではなかった…ことに気づいたことでした。 これは「潜水艦映画とは何か?」という認識にもよりますが、私の認識では潜水艦映画とは、 1.「眼下の敵」に代表される潜水艦と駆逐艦の音だけを頼りにした駆け引き 2.「Uボート」や「クリムゾン・タイド」などに代表される極限状態における密室閉鎖空間の人間ドラマ なのですが、2.はともかく、1.を期待して行くとちょっとはずれますね。 ローレライシステム(索敵システム)が優秀すぎて、駆け引きにならない。ゆえにソナーのピン音がしてもあまり切迫感を感じない。
だからこれはあまり潜水艦であることにこだわらず、冒険映画として気軽に見た方が良いと思われます。 艦内の人間ドラマは良く出来ていますが、陸上の司令部でも同時進行で話が動いていて、「Uボート」のように艦内だけで全てが進むわけではありません。 海洋小説ファンは、潜水艦や海戦にあまり期待しすぎないことです。 もっとも、そのような点で敷居を高くしなかったからこそ、この映画ここまで一般にヒットしたのではないかとも思うのです。
マニアな原作を映画として一般化するときに何を取捨選択するか?という点については、この映画は良くできていたのではないでしょうか。 先の2.の点、つまり艦内の人間ドラマをしっかりと描いていましたから。 ここさえしっかりしていてくれたら、テニアン沖の戦闘が多少ご都合主義でも目をつぶる。 (駆逐艦ってあぁいう密集隊形をとるの?とかせめて巡洋艦が立ち往生して通せんぼの原作の方が、とかは…言わない言わない)
でもやはりそれじゃぁ…と反論されます? では考えてみてください。たぶんローレライの逆をやったのがロード・オブ・ザ・リングの「王の帰還」ですよ。 あれは戦闘シーンは物量的に十分でしたけど、その分人間ドラマを切ってしまいましたもの。 あのような形の一般化は私はいやです。一般化するなら戦闘シーンのスペクタクルより人間ドラマをしっかり描いて敷居を低くしてほしい。 人間ドラマというのは、舞台が潜水艦であれ異世界であれ過去であれ未来であれ、唯一誰にも共感できるテーマなのですから。
さてその人間ドラマですが、何といっても役者さんたちの存在感がありました。 原作の登場人物を整理して、展開も単純にした分、演技の「間」や余白に余裕を持たせた。 極限状態の閉鎖空間である潜水艦内は、背景の景色や照明効果が限られる分、ある意味、舞台での芝居に共通した人間(役者)の見せ場があるのではないでしょうか? セリフやエピソードにない、行間の演技表現が見事でした。特に発令所。
以前にメイキング番組で先任役の柳葉俊郎が、セリフに出ない副長の役割について語っていましたが、いや確かにこの艦、艦長の背後で先任(副長)の指揮系統が動いているのがわかるんですよ。 すごいわ、サプライズ号と同じだわ(これもプリングスの指揮系統が背後で動いているのがわかる細かい演出だった)。 セリフの少ない水雷長や、セリフのない操舵員なども動きに存在感と理由があって。 揺れる艦内での立ち方や癖などは、元海上自衛隊の潜水艦長の方が指導されたそうです。戦闘シーンが多少、荒唐無稽でも、このようなところがしっかりしていれば、それを補って余りあるのではないでしょうか。
それが実写の、それから生身の俳優が演じることのリアリティなのかなぁと思います。 映画のパンフレットで原作者の福井氏は「元来はアニメでしか表現できないと思われていたものを、大人が食べられる普通の皿で出したかった」と答えています。 原作を読んだ時に感じた「ガンダムくささ」を、映画では私は全く感じませんでした。 私はエヴァンゲリオンを見ていなかったので、ごく普通にパウラを見ていて、後で友人から「あの潜水服とチューブがエヴァなのだ」と教えてもらったのですが、映画を見ていた時にはその特異さには全く気づかず、ごく普通に違和感なく受け入れていました。 もともと日本のアニメはストーリーがしっかりしていて、ガンダムなど「スターウォーズ」よりはるかに複雑でリアルな設定とストーリーを持っているのですから、福井氏のめざしているような形での、大人の鑑賞に十分堪える一般化と海外進出もありえるのかもしれません。
2005年05月05日(木)
スパロウ船長のブラックパール号、世界一周レースへ
4月21日発売の映画専門誌「スクリーン」を読んでいたら、 「パイレーツ・オブ・カリビアンのジョニー・デップら、ヨットレースに出場!」 という記事がありました。何でも「この海賊映画を製作したディズニー社が、2006年公開の「パイレーツ・オブ・カリビアン2」のプロモーションも兼ねてボルボ・オーシャン・レース出場艇のスポンサーになり、このヨットには主演のジョニー・デップやオーランド・ブルーム、キーラ・ナイトレイが乗り組む。ヨットの名前は映画にちなんでブラック・パール号とする」のだとか。
ふうん、ボルボ・オーシャン・レース?何じゃそりゃ?役者さんたちが乗り組むっていっても仕事があるでしょうに、そんな暇あるの? …などと頭に浮かんだ素朴な疑問を解決すべく「ボルボ・オーシャン・レース」と入れてネット検索してみたら…、 な、なんと! ボルボ・オーシャン・レースって、ホイットブレッド世界一周レースのことだったんですね!名称変更というか冠スポンサーがホイットブレッド社からボルボ社に変わったことを私、知らずにおりました。 ホイットブレッド・レースは、以前はNHKBSで中継があったもので、何回か見たことがあります。 白状すると、私はヨットレースよりも海が見たかったので中継を見ていた…というか、海洋小説の主人公たちが風の力だけを頼りに航海していた大洋というのが実際どういうものか知りたくて、でも現代でそれを映像として見ようとしたら世界一周ヨットレース中継しかなかった…ということだったのですけれども。
このレースは半年かけてヨットで世界を一周しタイムを競うものです。 9区間の長距離レースと、7回の近距離レースがあります。 レース参加を表明したディズニー社のプレスレリースではこのレース「海のF1」と表現されていますが、長距離短距離を組み合わせ、間に整備期間を設けるスタイルはむしろ、「海の世界ラリー選手権+パリ・ダカール・ラリー」に近いのではないかと思います。 そしてご安心ください…というか、別に私たちが安心しなくても良いのですが…役者さんたちが参加するのは短距離レースの方で、太平洋や大西洋を横断する長距離レースに出場するわけではありません。
レース日程は下記の通り。
短距離(In-port)レース1 スペイン Sanxenxo 2005年11月5日 長距離レース:レグ1 スペイン Vigo〜南アフリカ Cape Town 2005年11月12日〜12月4日
短距離レース2 南アフリカ Cape Town 2005年12月26日 長距離レース:レグ2 南アフリカ Cape Town〜オーストラリア Melbourne 2006年1月2日〜19日
短距離レース3 オーストラリア Melbourne 2006年2月4日 長距離レース:レグ3 オーストラリア Melbourne〜ニュージーランド Wellington 2006年2月12日〜17日 長距離レース:レグ4 ニュージーランド Wellington〜ブラジル Rio de Janeiro 2006年2月19日〜3月13日
短距離レース4 ブラジル Rio de Janeiro 2006年3月25日 長距離レース:レグ5 ブラジル Rio de Janeiro〜アメリカ Baltimore 2006年4月2日〜20日
短距離レース5 アメリカ Baltimore/Annapolis(東部メリランド州) 2006年4月29日 長距離レース:レグ6 アメリカ Baltimore〜New York 2006年5月7日〜9日 長距離レース:レグ7 アメリカ New York〜イギリス Portsmouth 2006年5月11日〜23日
短距離レース6 イギリス Portsmouth 2006年5月29日 長距離レース:レグ8 イギリス Portsmouth〜オランダRotterdam 2006年6月3日〜9日
短距離レース7 オランダ Rotterdam 2006年6月11日 長距離レース:レグ9 オランダ Rotterdam〜スウェーデン Gothenburg 2006年6月15日〜17日
新聞記事によれば、短距離レースの担当はキーラお姫さまがヨーロッパ、鍛冶屋のオーリが南アフリカとオーストラリア・ニュージーランド、海賊船長が南北アメリカだそうでございます。 彼らはポーツマスでヨットの操帆訓練を受けるそうで、大変だけれどでも面白そう。素敵な商売ですね、役者さんって。
そして彼らの乗るヨットですが、こちらをご覧くださいませ。 なんかちょっと…赤面してしまうというか、いや、その、やっぱり一応、英国海軍さん関連のHPを管理している私としてはですね、こういうものが大手を振って我が物顔に海を走り回るというのは非常に抵抗があるというか…もう世も末というか…あぁノリントン提督かわいそう、ポーツマスに堂々と入港するこの艇を見たら、泡吹いて倒れてしまわれるのではないかしら。
まぁ…がんばってくださいね、ブラックパール号。映画と違って今回は、帆がずたぼろに切れたら走りませんからね。 …と言いつつ、レースが近くなったらしっかりNHKBSをチェックしようと思います。冠スポンサーが変わっても中継放送を続けてくれると良いのですけれども。
2005年05月04日(水)
「終戦のローレライ」完了報告
【未読注意】福井晴敏「終戦のローレライ」その他、アリステア・マクリーンやダグラス・リーマンの第二次大戦海洋小説に関するネタばれを含みます。既読の方にはわかるように未読の方にはわからないように、できるだけ抽象的な表現にとどめますが、どうしても限界はあるので、未読の方はお気をつけください。また既読の方は、どの小説のどこのシーンを言っているのか、おわかりだと思いますが、あえて表現をあいまいにしていますので、おわかりにならない方はお問い合わせください。
ひとつ思い出話をさせてください。 私が海洋小説を知って2年目か3年目の年は、春の来なかった春でした。 「女王陛下のユリシーズ号」。ミステリマガジンの冒険スパイ小説ベスト投票で、海洋冒険小説部門だけではなく総合でも1位となったアリステア・マクリーンの処女作を読んだ春のことです。 読み終わって、そのあまりのインパクトの強さに、1ヶ月ほかに何の本も読めなくなった小説は初めてだったことを記憶しています。 何を読んでも、このユリシーズ号の前には上滑りしてしまう。 この本を読んだのは春のはじめ、日いちにちと暖かくなり春の花が開いていく季節だったのですが、私の頭だけは凍てついた北極海から帰ってくることができず、春が来なかった。ユリシーズ号はある意味、読んだ側も傷を負う小説、一生忘れられない小説の一つです。
さて私が「終戦のローレライ」を読むのを4月まで待っていた理由は、実はこのユリシーズ号の記憶があったから。 �鬼�の冒頭を読んだ時点で、重い展開になることは十分に予想できたので、これは年度末で仕事が多忙を極め、時間的にも精神的にも余裕のない状態で読む本ではないと思いました。 結果的には仕事が一段落してから読んで良かったと思います。読みながら考えて、ときどき本を閉じてしまって、1冊読むのに予想外の時間がかかりましたから。 そして、良い意味でユリシーズ号のようなことにはなりませんでしたが(今は次の本にかかってます)、やはりこの小説、ある意味で忘れられない1冊にはなるのだろうなと思います。
福井氏は、日本のアリステア・マクリーンではなくて、ダグラス・リーマンですね。 私は以前にリーマンを、「非情の世界の情」を描く作家と紹介したと思いますが、終戦のローレライにも同じテーマが流れているように思います。 視点となる登場人物が多数存在することとか、その結果艦内の人間模様が多面的に様々な角度から描かれている、端役や下っ端の水兵にもキラリと光る忘れられないエピソードがある、敵や司令部にも視点となるキャラクターが存在して全体像も立体的に明らかになる、…などなど小説の作劇法がリーマン流ではあることも勿論なのですが、もう一つ共通のテーマがあるのです。 戦争を描き、作中では多くの人間が死んでいきますが、その中で「人間の再生と復活」も描かれていることです。
戦争という非情の世界に巻き込まれ、過酷な体験にさらされるうちに心が麻痺し、人間性を失ったキャラクターが、艦の仲間や陸上で出会った情愛をもつ人たちのちからによって、ふたたび人間として再生する。 …というテーマを内包した小説が、ダグラス・リーマン作品には往々にしてあって(「掃海艇の戦争」のある大尉の再生など)、ゆえに私はリーマン作品を追いかけるのを止められないのですが、「終戦のローレライ」の中にも、伊507に乗り組んだことで、またこの潜水艦に関わったことで、人間として再生され、むかしの人間性を取り戻し、生きる意味を見いだしていく人たちが複数登場します。 多くの死者を出しながら、この小説が最後まで前を向いているのは、そして後味の良さを出しているのは、この「再生」によるものではないでしょうか。
今にして思えば、以前の日記(4月16日付中間報告参照)で指摘した悩める主人公たちというのは、この再生に向けた伏線だったのだと気づきます。 そしてこの伏線に綺麗な答えが出るからこそ、この小説は後味よく、そしてエンタティメントとしてとても良く出来ている。 「もらったぞ、先任」は忘れられないし、田口とフリッツのエピソードは心に染みるし、潜水艦なのに負傷者は空を見ることが出来るし、出来過ぎだと言って良いくらいよく出来ているんです、この小説。 ここまで書かれてしまったら、この先これを超えるものが出てくるのはかなり難しいのではないか?と思うくらいに。
ただ、あまりにも出来が良すぎるゆえに、逆にユリシーズ号や、それからジャック・ヒギンズ「鷲は舞い降りた」のような、読み終わった後に読者の心に残る傷が、少なくなってしまっているかもしれません。 「鷲は…」の最後で、悩めるドイツ人シュタイナがアイルランド人のデブリンに尋ねるセリフがありますよね。「究極的には君がゲームそ支配しているのか?それとも虜になっているのか?やめたかったらやめることができるのか?いつまでも同じことを続けて行かざるをえないのか?弾をくらってどぶに横たわる日まで」 この問いに納得できる答えが無いからこそ、「鷲…」という小説は読んだ人の心の中に澱を残し、忘れられない戦争冒険小説になっているのでしょう。
ところがこれとは対照的に、「終戦のローレライ」の主人公たちの多くは、生きる目的(ある者にとってはそれは死ぬに値する目的であり、またある者にとっては戦後を生きていくのに値する目的となる)を見いだす。 これをハッピーエンドと言うと語弊があることは百も承知ですが、しかしある意味でこの結末はハッピーエンドを内包し、死んだ者にも生き残った者にも救いがあります。 でも実際はたぶん違うのではないか?と私は思うのです。戦後生まれの現実を知らない私がこれを言うのは不遜かもしれませんが、でも「聞けわだつみの声」を読む限りにおいては、あの当時、伊507の乗組員たちのように「生きる目的」を得ることが出来た人たちは限られた少数だったのではないかと。それが60年前の真実であったのかどうかはわかりませんが。
またもう一つ、これはダグラス・リーマンがインタビューの中で語っていたことですが、人間は小説のようにドラマチックに死ぬものではないということ。戦場ではもっとあっけなく、何の意味もなく死んでしまうものだそうです。 これは私見ですが、マクリーンのユリシーズ号があまりにもドラマチックなのは、おそらくマクリーン自身には海戦の経験がないからだろうと私は推察しています。本当に経験のある作家(レイナー、モンセラット、リーマン、ポープ、文官ではあるが乗艦経験のあるフォレスター)の描くものはある意味あっさりしており、そしておそらくそれが現実ではないかと私は推察するのです。
何やらほめているのかけなしているのかわからない評になっていますが、結論は「『終戦のローレライ』は海洋小説としては素晴らしい。この小説、自信をもってお勧めします。でもたぶんこれは60年前の実際ではないでしょう」ということでしょうか? 妙な話ですけれど、もし私が日本人ではなくて、翻訳小説としてこれを読んでいたら、素直に「この小説はエンタティメントとしてベスト!」と書くと思うのです。 けれども、中間報告で書いた通り、戦後生まれの私でも日本社会の負った傷の中で育ってきたわけですから、この小説を完全にエンタティメントとして突き放して読むことが、やはり出来ないんですね。
でもその反面、この小説は日本人でなければわからない良さを数多く内包している小説でもあります。 英国の海洋小説にはない、日本人(もしくは東洋人)独特の情感のようなもの。上手く言えないのですが、英国の海洋小説を読んでいる時と比べて、ローレライを読んでいて感じるのは「あぁこちら側の小説だなぁ」ということ。 翻訳小説に比べると主人公たちの感受性や反応が手にとるように「わかる」し、共感しやすいのです。
そうそう、一つ面白いことに気づきました。 ローレライは自然描写が多いのですよね。夏の日差しや木々の緑、空気のあじ、空の青や海の青。心地よい自然の感触。 英国の海洋小説って、考えてみるとこのような触感的な、心地よい自然描写が少ないように思います。いや彼らは厳しい自然描写は上手いんですよ。酷寒の海だとか灼熱の太陽だとかは、でも…。 このあたりがやはり、国民性と感受性と価値観の違いでしょうか?そういえば食べ物に関する描写も、あの食べ物の無い時代なのに、英国海洋小説の水兵さんたちよりローレライの乗組員の方がこだわっているような。
さて、大幅に世間さまには遅れていますが、これから映画を見に行く予定です。 映画のローレライは全く別の話と聞いているので、楽しみにしています。
2005年05月03日(火)
ヴィクトリア号の写真
有明に停泊中のヴィクトリア号の写真です(5月1日撮影)。
ヴィクトリア号全景

見慣れた(?)19世紀の帆船に比べると、マストが低くバウスプリットが長いですね。 オートマで撮影したので、露出を失敗しています。 5月の陽光の下に真っ黒な船体…ですので。ちょっと絞りを開放側にに補正した方が良いのかしら?
ヴィクトリア号船首

木造帆船ヴィクトリア号、船腹のラインが綺麗(うっとり)。 私は乾ドックではなく水に浮かんでいる木造帆船を見るのは初めてかもしれません。サプライズ号のように肋材の音が聞こえないかと耳をすませたのですが、駄目でした。
ヴィクトリア号船尾

船尾楼が高いのがこの時代の特徴ですが、想像以上に高いのでびっくり。 渡り板を歩く乗組員さんの遠景に水上バスのビックサイト船着き場が見えてます。
索具

復元船ビクトリア号のロープ類は植物繊維の昔ながらのロープです。
錨と錨鎖

注目!錨鎖が鎖ではなくロープなんですよ。これは19世紀初頭でも同じなのですが。 小説を読んでいて「錨鎖を斧で切断」するという表現がありますが、海洋小説を読み始めたばかりの頃は私も、鎖を斧で切断するのだと思っていて、ずいぶん丈夫な斧なんだなぁと感心していました。 正解はこちら。このロープなら斧でも切断できますね。 太平洋の荒波の痕が船体に残されているのがわかります。
ガフにはスペイン国旗

スペイン船ですので、もちろん船尾にはスペイン国旗。 索具の間に飛行機が写ってますが、有明埠頭は羽田空港への着陸コースにあるので国内線がひっきりなしに上を飛んでいます。 海を渡る道具は500年でこんなに変わりました…というところでしょうか?
2005年05月02日(月)
復元帆船ヴィクトリア号、東京・有明入港
1519〜1522年の、マゼランの世界一周航海で有名なスペインの帆船ビクトリア号の復元船が4月30日、太平洋横断航海を無事終えて、東京・有明の10号埠頭に入港しました。
この木造帆船は1992年のセビリア万博を機に復元されたレプリカですが、今回、愛知万博(愛・地球博)のスペイン館プログラムの一環として、昨年10月にスペインを出航、大西洋、太平洋を横断し(パナマ運河経由)半年をかけて日本に到着しました。 愛・地球博スペイン館「ビクトリア号」のホームページ
一般公開は5月10日〜26日10:00〜11:30と14:30〜17:30。 詳細は下記「Salty Friends」のブログ(5月1日)に詳しく紹介されています。 Salty Friends
ところでこの有明10号埠頭は、実は釣りスポットとして誰でも気軽に出入りできるところなので、ただ見るだけなら公開日以前でも間近からその姿を見ることができます。 浜松町の日の出桟橋から水上バスでビックサイト(国際展示場)・葛西臨海公園行きに乗り、国際展示場で降りてそのまま埠頭を沖の方へ歩いて行ってくださいませ。水上バスの船着き場からマストが見えている筈ですから迷いません。 水上バスの日の出埠頭〜国際展示場〜葛西臨海公園行きは、国際展示場を出航した後、このビクトリア号のすぐ真横を通るかもしれません(未確認。パレットタウン経由なのでもう一本先の水路かもしれません) 日の出〜葛西臨海公園ルート
実は私は今日、遠出の帰り道にクルマで寄ってしまったのですが、国際展示場で催し物のある時は混雑や駐車規制があるので、クルマは避けた方が良いと思います。 展示場に催し物のない休日であれば、湾岸道路(国道357号線)から展示場の東館と西館の間を抜ける道に入り「鉄鋼埠頭」の交差点で右折、「この道は行き止まりです」を入っていくと、ビクトリアのすぐ横に出られます。 ただしこの道は本当に行き止まり(直進すれば海にドボン)ですので、帰りは切り返しでUターン、またはバックでお戻りください。
一般公開前ですから、もちろん中には入れません。今日は甲板を洗ったり船体の整備が行われていました。 太平洋の荒海を乗り切ってきた船体はあちこち痛んでいましたが、日本人スタッフのお話によると、10日の一般公開までにペンキの塗り直し等さまざまな手入れが行われるそうです。 ということは、荒海にもまれた帆船のリアルな姿を見るのなら、この連休がチャンスですよ! 連休中に臨海副都心に行かれる方、ちょっと足を延ばして見られてはいかがでしょう?
ビクトリア号は当時の姿を出来る限り正確に復元した船ですから、もちろん船体は木造。索具類も植物繊維の本物のロープです(サプライズ号はワイヤーロープでずる(?)してたんですけどね)。 復元船のマストはさすがに鋼鉄ですが、ヤード(帆桁)には足場のフットロープがありません。 全長25メートル。実際に目にするとその小ささと、そしておそらくはその居住環境の苛酷さに驚かれるのではないでしょうか。 こんな小さな船でよくも3年もかけて世界一周…というよりはよく生き延びたものだ…という感想の方が適切でしょうか。 荒海の掻き傷が残されている今の方が、よりリアルに当時を体験できるかもしれません。
何枚か写真を撮ってきました。明日upしますね。
2005年05月01日(日)
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