ココロモヨウ
dokin

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■ 言葉はいらない

始まりの言葉はなくても終わりの言葉はある。
始まりに理由がなくても終わりには理由がある。

でも全てにそれが当てはまるとは限らない。
それは始まる前に全てが透けて見えているから。
それらを言葉にする必要はなく,
それぞれのココロの中に持ち続ければいい。
理由と理屈を付けて正当化したい本音は葬るのだ。
それに負けた時は潔く終わりにしよう。
そう自分に言い聞かせて束の間の幸せにココロをあずける。

確認をしなくても通じ合うのが気持ちである。



2001年08月26日(日)

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■ ないものねだり

今の私を見てると何年か前に流行った
『不機嫌な果実』を思い出す。
現状に満足せずないものねだりを続けて
不倫・離婚といってしまう主人公。
不倫・離婚は私と一致しないが
『ないものねだり』は一緒。
常に自分のいる場所はここではなく
もっと他に幸せがあるはず,と。
ただ私がこの主人公と違うところは,
私は私の手で行動でそれらを手に入れようとしている点。
人をあてにせずまずは自分でやる。
『動かなきゃ何も始まらない』これが私の信条。
次に進んでもきっと『前の方が良かった』とか
『戻りたい』とか思うだろう。
不安は上げれば切りがない。でも現状を打破したい。
このままでいたくない。
誰の為でもなく自分の為にできることを
可能な限りやっていきたい。
ミスチルの歌じゃないけど
生きることは正に『終わりなき旅』なのだ。

2001年08月11日(土)

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■ 声

その声を聴いた時何を思ったか?
懐かしかった?切なかった?嬉しかった?・・・
どれも違う。情緒的な感情は何もなかった。
いつもより1つも2つも高い声。
いつも横で聞いてた営業用の声。
間違い電話のフリして
受話器から聞こえてくるそんな声。
『違います』と素っ気無く応える私の声は
どう聞こえたのだろう。
声はあれど姿はなし。
今の姿をお互いの目に映すことはない。
残像の中の古い姿をいつまでも追うばかり。
人はそれを『思い出』などと
美化してしまっておくのだろう。



2001年08月08日(水)

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■ 臆病者

考え過ぎなのだろうか?
もっと軽く考えればいいのだろうか?
傷つきたくないのならこのまま
石橋を叩き続けるべきなのか?
石橋を壊すと傷つけられるのではなく
自然と傷つくことになる。
目に入らなければ何も感じないのに
目に入ると考えてしまう。
嘘だ。目に入ってなくてもいつも考えている。
保身ではなくただ臆病なだけかもしれない。

2001年08月06日(月)
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