| 2001年10月31日(水) |
今日もミステリマガジン12月号の拾い読み。 |
今日もミステリマガジン12月号の拾い読み。この雑誌は隅々まで行き届いているので思わぬ読みどころがあらわれて得をした気分になることがある。するめのような雑誌である。その点SFマガジンは直情径行でまだ子供気分が抜けていない感じがする。出所は同じでも同列には論じられない。 中村真一郎「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第11章は「野間宏の知られざる一面ー追悼のために」である。途中までは先の10章と共通する回顧的内容で、筆者が野間宏に立ち入ったアドバイスをしたという話。後半は逆に野間宏が筆者の作品についての意外な理解者だったことに驚き、やがて非常に喜んだという告白。野間宏が彼とは無縁だと信じていたプルーストや王朝の貴族美学の読者であり、そこから筆者の小説に対する深い理解と愛情ある批評が生まれたことを知って、中村真一郎は歓喜したという。 思い起こすと今年は1月に凄い時代小説を一つ読んでいた。それは池宮彰一郎の「天下騒乱(鍵屋ノ辻)」上・下巻である。この荒木又右衛門の物語は凄まじかった。伊賀上野、鍵屋の辻の対決に向けて敵対する者たちがそれぞれに動き出す。後半の大立ち回りはリアルに描かれ、主要人物はみな格好悪く死んで行く。甚衛門、槍の半兵衛はまともに切り合えずに又右衛門に斬られる。全ての謀略の核たる土井利勝も家康の墓参の帰り階段から転げ落ちたまま死んで行く。知略、剣戟の場面すべてすばらしい。傑作。大傑作。
| 2001年10月30日(火) |
SFマガジン・ミステリマガジンの12月号を拾い読み。 |
SFマガジン・ミステリマガジンの12月号を拾い読み。 SFマガジンの注目は高橋良平の「クリテリア・ファンタスティカ�此廚侶襪咾諒原隋�「でも、ウルフの作品は訳し直されないと、評価はあがらないだろうなと思いつつ、」と書いているところ。その作品とは「新しい太陽の書」四作品のこと。思いぱなっしにしないで、とこちらが思った。 一方のミステリマガジンの注目は、ローレンス・ストリートの「被害者のV」の分載。世界で最初の警察小説が今までなぜ邦訳できなかったのか、ミステリーのMである。 中村真一郎「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第10章は「野間宏と私」である。 筆者の野間宏の「真空地帯」や「青年の環」の執筆に対していかに文学的干渉や助言をしその完成度を高めたかを語るという回顧談である。冒頭「わが生涯の同志であり、仕事の支えであった、かけがえのない友、野間宏が急逝した。」が水と油のように異なる印象しか持っていなかったので意外だった。「悲の器」の高橋和巳の小説に対する辛口の評も印象深い。 「政次、奔る」196ページまで読む。 テロ法案が成立。のんびりと時代小説を読めない時代が急接近。
| 2001年10月29日(月) |
佐伯泰英「政次、奔る」読み始める。 |
佐伯泰英「政次、奔る」読み始める。 寛政十年(一七九八)正月の二日、政次は呉服屋松坂屋の隠居松六の供を言いつかって挨拶回りに同行する。その帰りに当の松六が寄り道したことから始末が終わったはずの過去の事件が亡霊のように蘇えっていることを知る。今回も序章で全体の枠組みとなる大きな事件が出現し、各話で事件が完結してゆくのと平行してその大きな事件も進展してゆくという構成である。副題に鎌倉河岸捕物控とあるように時代活劇というよりも、ミステリーの探偵物に近い。 派手な立ち回りは少ないが、池波正太郎や藤沢周平なき今、頼りになるのは佐伯泰英である。金座裏の岡っ引き宗五郎親分の捜査力が読みどころの一つである。 鳥羽亮も面白いが総合力で佐伯泰英をとる。 今日購入した本。 鳥羽亮「骨食み(ほねばみ)」「血疾り(ちばしり)」両方とも天保剣鬼伝の一作目「首売り」の続編である。
| 2001年10月28日(日) |
佐伯泰英「橘花の仇」読み終わった。渋い傑作。 |
佐伯泰英「橘花の仇」読み終わった。渋い傑作。 佐伯泰英「橘花の仇(鎌倉河岸捕物控)」(ハルキ文庫2001.3)読了。序章プラス全六話の連作長編。各話のタイトルは順に言うと「仇討ち」「逢引き」「神隠し」「板の間荒らし」「密会船強盗」「火付泥棒」でそれぞれの事件を表している。初めの「仇討ち」のみが主人公の一人しほに関わる事件である。他は金座裏の岡っ引き宗五郎親分の縄張りで起きた事件でしほが自然と関わっていく形になって解決されてゆく。そして全体を貫く大きな事件としてしほの両親の秘密と川越藩の談合問題が次第に明らかになってゆくのである。構成が綿密で登場人物も見事に描き分けられている上に作者の歴史や時代に対する目配りも十分である。 最近、鳥羽亮の時代小説も面白く読んでいるが、作者の年齢の差なのか、描写に時代性が足りないような気がする。 その点、佐伯泰英の作品は今のところ申し分がない。そのうち闘争場面がなくても楽しめる作品が出てきても驚かない。江戸時代の普通小説(?)を書いてくれるかもしれない。そう思うくらいよく出来ている。 鎌倉河岸捕物控の第二作目、「政次、奔る」も92ページまでしか読んでいないが一筋縄でいかない構成と個性ある人物群像の描写で先が楽しみである。 今、佐伯泰英が一番忙しい。
| 2001年10月24日(水) |
佐伯泰英「瑠璃の寺」は原点か。 |
佐伯泰英「瑠璃の寺」は原点か。 佐伯泰英「瑠璃の寺」(角川春樹事務所1999.2)を読了。筆者の初期の時代小説だ、といってもまだおととしの作品である。しかし、失礼な言い種だがこの後急速に洗練され一気に時代小説の名匠になったことがわかる。豪快な物語の展開はこの240ページちょっとの長さでは十分ではなかった。この倍は必要だった。この通吏辰次郎の物語はシリーズものになったら他のシリーズ以上のスケールと波瀾万丈が期待できる。主人公のスケールが江戸の街一つに収まらない器量の設定になっているからだ。 また他のシリーズの種や共通点もあり、その意味で筆者のその後の物語作りの原点といえるのではないか。 中村真一郎「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第9章は「私が勧める恋愛小説の古典」で、「ダプニスとクロエー」(ロンゴス)「源氏物語」(紫式部)「クレーブの奥方」(ラファイエット夫人)「危険な関係」(ラクロ)「赤と黒」(スタンダール)それぞれに3行程度の評がついている。 さて、また3日間ほど旅に出るので27日まで追加できない。 今日購入した本。 佐藤正午「Y」(ハルキ文庫)単行本で一度読んだが文庫本でも読んでみたくなった。
| 2001年10月23日(火) |
佐伯泰英「橘花の仇」の第3章「神隠し」を読んだ。 |
佐伯泰英「橘花の仇」の第3章「神隠し」を読んだ。しほが聞き書きした似顔絵がきっかけにして若い娘の神隠し事件は解決へ向けて大きく進展し、解決する。とんでもない神隠しがあったもので現代の日本の風潮にも通じるところがあり、苦い結末でもある。江戸庶民の群像を書き分けるのが作者の意図ではないかと思われるほど行き届いた物語で見事である。剣豪を書くのがうまいだけではないのだ。 今日は、やっと「本の雑誌」の11月号が届いた。1週間ほど前に主なところは立ち読みしているのであまり嬉しくない。鏡明のエッセイが良かった。50ページから64ページまでは毎号充実していていつも楽しみなイエローページである。 ほかに講談社の「イン・ポケット」の最新号も来た。二百円だった。最初は100円だったのに。150円を経て200円である。 中村真一郎「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第8章の題は「『世界市民』の理念」である。世界市民または人類の理念が日本人にないと説く。人類の将来のために日本はどのような役割を果たすことができるのかをまじめに考えることが今こそ必要だと述べている。結びの「私は忘れないつもりである。」が印象的だった。 今日も全く読まなかった。
| 2001年10月22日(月) |
今日は「江戸東京物語(都心篇)」を購入。 |
今日は「江戸東京物語(都心篇)」を購入。今年九月の新潮文庫である。時代小説に凝るとこういう本にも興味を持つようになる。解説を山本夏彦が書いている。その他、佐伯泰英「橘花の仇」の第3章「神隠し」をちょっと読み、林望の「魅力ある知性をつくる24の方法」(青春出版社)を広く拾い読みした。 中村真一郎「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第7章の題は「友よ、眠れ」で、これは野間宏を送った文章。「現代文学の柱であった大いなる友よ、安らかに眠れ。」と結んでいる。今日は時間がなく、ここで終わり。
| 2001年10月21日(日) |
佐伯泰英「瑠璃の寺」を読み始める。 |
佐伯泰英「瑠璃の寺」を読み始める。遠路長崎から江戸に着いたばかりの子供連れの若者が老人の命を救う。その老人は江戸の非人頭だったから若者の熱い思いは思いがけない速さで現実になってゆく。と、物語の展開は核心に迫るのが早そうだ。 中村真一郎「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第6章の題は「めでたい正月」筆者の必ずしもめでたくはなかった幼少から青年期、さらに壮年期を振り返りながら七十代に達したその時の「今」の自分をやや誇らしげに語っている。 「私のまわりに集まってくるのは、新しい仕事の夢の群である。」最後まで仕上げるべき作品の夢想と構想に耽っていたという筆者の若々しい精神が感じられる。 「新年早々、近代作家の冗舌な言葉の氾濫は、もう中年過ぎた私にはわずらわしい。ラテン語の簡潔な後の配置が、精神に快いのである。」 筆者が本や読書について語る部分は特に生き生きとしている。 物置から「新宮本武蔵」の1と2を掘り出してきた。裏を見ると連作剣豪小説とある。目次にも「人形武蔵」「幽霊武蔵」「ぶんしん武蔵」などとあり短編集のようだ。最初の「人形武蔵」を読んだ。傀儡師の使う三寸ほどの人形たちがまるで生きているように動き、武蔵に集団で襲いかかるという伝奇的な話で、一方の武蔵も素直にこわがって逃げ回る後世に言う所の剣聖でも剣豪でもない普通の男として描かれている。「秘伝・宮本武蔵」の武蔵と同じと言えば同じか、というところ。
| 2001年10月20日(土) |
佐伯泰英の新作に驚く、しかし・・・光瀬龍を読む。 |
ハルキ文庫に佐伯泰英の新刊がでていて、驚く。が、よく調べてみると「瑠璃の寺」の改題文庫版。11月12月続けて文庫の書き下ろし新刊が出るのは、ケイブンシャ文庫によって知っていたのでかえって驚いたらしい。 光瀬龍「秘伝・宮本武蔵(下巻)」(徳間文庫1982.7)読了。いわゆる剣豪ものと歴史ものを融合して伝奇ものを加味した時代小説である。主人公を扱う視点が明瞭でなく、つまり宮本武蔵、佐々木小次郎、申、松山主水、柳生一族、真田幸村、服部半蔵のいずれでもなく歴史そのものが主人公というべき物語となっている。読み手の感情移入がしずらかったり、はぐらかされたりするのは、作者の意図である。娯楽的な時代小説とは根本から異なる作品なのである。しかし、最初からそういう意図で書き始めたかどうかは疑問で、途中から作者の関心が標準的な時代小説を書くことから大きく離れていったような気もする。 佐伯泰英や鳥羽亮を読んでいる眼で見ると首尾一貫していないので、安心して物語の展開を楽しむことがアホに思えるスリリングな作品とも言える。 中村真一郎「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第4章の題は「九〇年読書五点」で五冊の本を取り上げている。どれも海外(パリと中国)で刊行されたもので原書である。近代文学に対する解毒剤として精神衛生上いいそうである。また、毎日、一冊必ず未見の本を開く習慣を強情に守っていると最後に述べている。 第5章は「九〇年、私のベスト3」これは早川書房のミステリマガジンのアンケートへの回答。クレイグ・ライス「死体は散歩する」キャロライン・グレアム「闇の告発」ウンベルト・エーコ「薔薇の名前」これらを本当に読んだのだろうか。少し疑った。 最近購入した本は以下のとおり。 ヴァン・ダイン「ベンスン殺人事件」(創元推理文庫) 鳥羽亮「穏猿の剣」(講談社文庫) 鳥羽亮「剣客同心・鬼隼人」(ハルキ文庫)
| 2001年10月19日(金) |
佐伯泰英「逃亡」鳥羽亮「首売り」二冊を一気読み。 |
佐伯泰英「逃亡」鳥羽亮「首売り」二冊を一気読み。 佐伯泰英「逃亡(吉原裏同心)」(ケイブンシャ文庫2001.10)と鳥羽亮「首売り(天保剣鬼伝)」(幻冬舎文庫1999.11)を続けて読んだ。「逃亡」は最新作。新しい趣向のシリーズ第1作である。神守幹次郎とその妻汀女の二人が主人公となっていわば文芸的俳諧的に活躍する。もちろん傑作である。続けて読んだものだから「首売り」も佐伯泰英氏の作品と半ば錯覚しながら楽しんだ。真っ向勝負の趣のあった「三鬼の剣」を超える面白さで錯覚も当然の傑作。傑作の大安売りのようだが、二作とも間違いなく面白かった。「首売り」の主人公は島田宗五郎とその芸人仲間。幹次郎も豪剣をふるうが宗五郎の剣の方が多く血がほとばしる。 中村真一郎「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第3章の題は「二十一世紀の静岡県」これは静岡新聞のアンケートに答えたものらしい。県の未来像を求められて、「日本の首府を富士山麓に移し、伊豆地方は首都の市民の休養地として・・・・」などと三行の中で書いている。 今日購入した本。 光瀬龍「秘伝・宮本武蔵(下巻)」(徳間文庫) 別のブックマーケットで発見。二百円だった。すぐに五十ページほど読んだ。やはり良い。
| 2001年10月18日(木) |
「クィン氏の事件簿」を読み、納得する。 |
「クィン氏の事件簿」を読み、納得する。 昨日新たに買ったクリスティの「クィン氏の事件簿」(創元推理文庫)の一つ目の物語「クィン氏登場」を読んだ。少し前に早川文庫版の「謎のクィン氏」でも読んだ話をもう一度読んだことになる。本のタイトルは違っても同じ短編集である。何も同じものをま読まなくてもいいではないかと言われそうな行動である。 前にも書いた通り早川文庫版では昔の抱いたはずの感興が全く湧かなかった。そのことに得心がいかなかった。かつての感銘はなんだったのか。本当に過ぎ行く時がこの物語集を風化させたのかと。または、自分の方が変わってしまったせいなのかと。 昔読んだのは創元推理文庫版だった。 探せば物置のどこかにあるはずの本を探すのが手間なので古本屋で買うしかないと考え、実はこちらの方が手間だったのを、やっと捜し当てて読んでみた。 結論は、話がわかりやすかった。わかりやすくて、その上ちょっとした感動と感心もそこには残っていた。 文章が何か込みいっていて、表現されていることがらの理解を少し妨げているのが、早川文庫版だった。創元推理文庫版はよく整理されていて飲み込みが早くなめらかに進むので、すっきりと読めた。 これは好みの問題だからどちらが良いかという結論は出ない。自分にとって、の問題である。 クィン氏の物語が復権を果たして、ほっとした。
中村真一郎の文章は無駄がなく、どこをとっても考え抜かれた鋭い文章である。 「小さな噴水の思い出」(筑摩書房)の第2章の題は「人間性回復の時代に」である。 「あと十年足らずで始まる新しい世紀は、ぜひ人間に人間性を回復するための時代となってほしいと思う。それまでの十年のあいだ、個人は小さいともしびを、それぞれの心のなかにともして、世界の激しい風のなかに光りを守りつづけたいものだ。」 純粋かつ純真な文学者は浮世離れした生活を送っていると思いがちだが、全くそれは間違いの極みである。 鋭い批評眼・意識的かつ強靱な精神が日本を含めた世界の動きを見つめていた。
最近購入した本は以下の通り。 エヴァンス「天使がくれた時計」(講談社) 笹本祐一「天使の非常手段RIO1」(ハルキ文庫) ディレイニー「ノヴァ」(早川文庫) ステイブルフォード「地を継ぐ者」(早川文庫) 山根一真「メタルカラーの時代5」(小学館文庫) 光原百合「遠い約束」(創元推理文庫)
| 2001年10月17日(水) |
中村真一郎「小さな噴水の思い出」をちびりちびり・・・ |
中村真一郎「小さな噴水の思い出」をちびりちびり・・・ 1991年と1992年に作者が書いた読書についての短文集で、全100編、二年間の記録である。短い四行程度の推薦文から芥川龍之介の六ページの解説文まで筆者の多彩さの展覧会と言ってもよい。この手の本は新潮社から出すことになっていたはずなのに、これはなぜか筑摩書房である。 1番目は「『とりかへばや、男と女』を読みながら」で、臨床心理学者河合隼雄の本を取り上げている。現代の日本人が書いた本はほとんど読むことはないはずで、読んだとしても失望しか経験していない筆者が珍しく褒めている。 「読みごたえのある本と同時に、読み疲れのする本であった。」と述べ、さらに「王朝物語を、私のように深層心理の表現の方法への手掛りとして利用している作家は、他にはひとりもいないだけに、特にこの分析は我が意を得たものとなった。」と嬉しさも表明しているのも稀なことである。 余程充実した気持ちが得られたのか、この短文の結びは美しく終わる。 「そして、最後にモーツァルトが自分の交響曲を『一瞬のうちに聴く』と言ったという体験の紹介は、思いがけない喜びを私に与えた。私もまた千枚にあまる長編小説を、その発想の際、一瞬間のうちに全体を細部に至るまで、眼前に見通してしまうからである。それを実際に原稿用紙に書きとるには、数年を要するのであるが。」 孤高のランナーが思いがけない並走者に邂逅したような喜びがある。 この短文集の拾い読みはなぜか楽しい。筆者の高い精神性に感化されるのか、その文章の表現力のためか、興味・関心のうすい分野の本への言及も面白く読める。 こういう本を読むと時代小説なんか、何だ、そんな気分にもなる。 鳥羽亮の文庫本の解説はどれも激賞だった。同じ本の中で褒めないわけはないが、揺るぎない自信に満ちた解説にあうとやはり信じたくなる。 最近購入した本は以下の通り。 パトリシア・ハイスミス「リプリー」(河出文庫) 山田風太郎「死言状」(角川文庫) アガサ・クリスティ「クィン氏の事件簿」(創元推理文庫) 辻邦生「江戸切絵図貼交屏風」(文春文庫) 鳥羽亮「首売り(天保剣鬼伝)」(幻冬社文庫) 佐藤泰正「驚くべき速読術」(知的生きかた文庫)
| 2001年10月15日(月) |
「ほぼ日刊イトイ新聞の本」と「三鬼の剣」を読む。 |
「ほぼ日刊イトイ新聞の本」と「三鬼の剣」を読む。 糸井重里「ほぼ日刊イトイ新聞の本」(講談社2001.4)を読み終えた。軽い気持ちで手にとったが、読み始めたらこちらの琴線に触れることが多く、感動の実録長編エッセイと褒め讃えたい気分いっぱいになった。失礼を承知で見直したというべき感じである。恐るべし糸井氏である。 鳥羽亮「三鬼の剣」(講談社文庫1997.1)を読んだ。最新作を褒める声をラジオで聞いてからずっと気にかかっていた作者である。江戸川乱歩賞受賞の作品は現代ものだから時代小説の一作目でまず面白さを確かめたいと思っていた。贔屓の佐伯泰英氏と比べたかった(お二人に失礼だが)。 簡単に言うと予想以上に面白かった。殺陣の迫力はもちろんのこと、人物描写や謎解きの部分もしっかりしていて全く飽きさせない。鮮明で爽快な文章に乗って物語の結末をその日以外に伸ばすなど否定するしかない疾走感がある。 純粋なチャンバラ小説である。この面白さ、楽しさ、愉快さ、素朴さは他にはないだろう。佐伯泰英氏との比較は宿題となった。
| 2001年10月14日(日) |
光瀬龍「秘伝・宮本武蔵(上巻)」読了。勇んで下巻を探したが・・・ |
光瀬龍「秘伝・宮本武蔵(上巻)」読了。勇んで下巻を探したが・・・ 久々に一冊読了。光瀬龍「秘伝・宮本武蔵(上巻)」(徳間書店文庫1982.7)を就寝前に読み終えた。最初に出てきてその後消えた柳生兵庫助が終盤で再登場し、いよいよ役者が揃ったところで上巻が終わった。下巻はどこかにしまってあったはずと段ボール箱を開けると出てきたのは、なんと上巻だった。冗談でなく、上巻だった。ショックで寝込んでしまった。またもどかしい毎日になる。残念賞。 気が狂って、糸井さんの本に手を伸ばした。「ほぼ日刊イトイ新聞の本」(講談社)で、著者はもちろん糸井重里氏。軽い気持ちと軽快な文章で一気読みの気分だが、結構内容は重いし、思いがけない。始めの方の「子どもの偽ウォークマン」と「ADのまっとうなジーンズ」の話と糸井氏の考え方は、先日の「失われた手仕事の思想」とも通じるようなところがあって感銘を受けた。今、234ページまで来て野暮用で中断しているが、意外にも良い本であった。 他にちょこちょこ拾い読みしている本は次の通り。 永江朗「批評の事情(不良のための論壇案内)」(原書房)パラパラめくっておっと思ったところを読むと必ず引き込まれてしまう。 中村真一郎「読書の快楽」(新潮社)格調の高さというムードがほしいと読む一冊。小説は一冊も完読していない点では大江健三郎以上に困難さを覚える著者である。
| 2001年10月13日(土) |
木枯し紋次郎と宮本武蔵を読んでいる。 |
木枯し紋次郎と宮本武蔵を読んでいる。 佐伯泰英氏の時代劇を絶賛しているうちに、これ以上の作品を書いている作者は本当に他にはいないのだろうかと疑問を持った。ただし、この問は現在、つまり今の時点で、である。佐伯泰英氏が時代劇を発表した1999年前後から2001年の今まで、ということである。過去を顧みたらきりがないのは少し知っているので、バリバリの現役作家を対象に考えている。 とはいっても、実際にちょっと読んでみたのは、笹沢佐保の「帰ってきた木枯し紋次郎」(新潮社文庫)だから、考えていることと違うことをしているわけである。最初の「生きている幽霊」を読んでの感想は「文句なし」である。一つの世界が見事に描かれている。老いを感じてきた紋次郎の悲哀は、惣三郎の老いの描写に通じるような気がする。しかしバリバリの現役作家の、というよりも、ベテランの名匠による標準作、安定作であった。 次に、光瀬龍の「秘伝・宮本武蔵」(徳間書店文庫)を読み始め、とうとう267ページまで来た。1976年に単行本でまず発行された作品である。一応この作者のファンだったのに気になったまま読まずに今日まで過ぎたわけである。いや、もしかしたら一度読んでいるのに忘れているだけなのかもしれないが。 開いて小さい活字にまずひるんだが、読み出すと知名度の高い人物が宮本武蔵の周りに続出、剣戟場面も鮮やかで100ページすぎまでなめらかな展開である。そこに歴史的説明が挿入され、暫く遅滞するが、あらためて時間が少し過去にもどったところから再び、今度は佐々木小次郎を軸に話が進んでゆく。 故・光瀬龍の最高峰に立つ作品であるにちがいない。見事なストーリー・テリングを持つ歴史学者が書いた時代活劇の傑作である。 この文庫本は昨日ブックマーケットで見つけたものである。 現役作家バリバリの一人に鳥羽亮という作家がいると聞いた。いま、探しているところである。
| 2001年10月12日(金) |
「橘花の仇」と「失われた手仕事の思想」をちょっと。 |
「橘花の仇」と「失われた手仕事の思想」を少しずつ。 佐伯泰英の鎌倉河岸捕物控「橘花の仇」(ハルキ文庫)の第二話「逢引き」を読んだ。強烈な個性をもつ侍が主人公の話とは違って人情味で読ませる。作者の器量の大きさが控えめに出ている。直心影流免許皆伝という同心寺坂毅一郎が抜群の腕前を示す場面は数行だが、光っている。 塩野米松「失われた手仕事の思想」(草思社)は最近評判の単行本。まえがきと最後の第4章「手の記憶」を先に読んだ。具体的な手仕事や職人を扱っている部分は避けたことになる。興味が今一つ湧かなかったせいである。平明かつ綿密な文章が描き出しているのは冷徹な現実だった。かつて川田順造が「サバンナの手帖」で語った、日本における手仕事の未来は「今」だったのだ。すべては題名が語っている。
| 2001年10月10日(水) |
「氷の天使」と「ミステリ講座の殺人」を少しずつ。 |
「氷の天使」と「ミステリ講座の殺人」を少しずつ。 まとまった時間がとれないので、気になっていた海外のミステリーの最初の方を読んでみた。オコンネル「氷の天使」はキャシー・マロリーのシリーズ一作目。16ページで期待感が大。キャロリン・ハート「ミステリ講座の殺人」はほとんど期待していなかったが、女性主人公が大学のミステリ講座をつい引き受ける22ページまで楽しめたのはミステリに関する蘊蓄の魅力かもしれない。こちらもまた期待できる。
| 2001年10月09日(火) |
「神異伝5」と「柳生烈堂」を続けて読んだ。 |
「神異伝5」と「柳生烈堂」を続けて読んだ。 火坂雅志「神異伝5(金人出現)」(祥伝社文庫2001.10)読了。8年ぶりの完結については感慨深い。しかし、これで良いのか。巻末で解説の細谷正充氏が大感激しているが、待ちに待った結果がこれでは、かえって出ない方が良かった。あの興奮、あの吸引力、あの波瀾万丈はどこへ行ったのか。 面白さが中くらいではないか。汲み取るべき大きな感動がないではないか。しかも短すぎる。 この8年間じっくりと構想を練り、密かに書きためていたというよりも、短期間勝負で書き上げた様子が見える。実際にはそうではないかもしれないが。今年最大の残念賞だった。 同じく、火坂雅志「柳生烈堂(十兵衛を超えた非情剣)」(祥伝社文庫1995.4)も続けて読了。若き日の烈堂開眼に十兵衛の死の謎をからめた物語。ただサブタイトルの非情剣は嘘。まったく逆である。面白かったが、これも食い足りない。中くらいの感動である。「神異伝」シリーズに熱中していたころ、他の「西行」ものも読んでいたが、いつかしら遠ざかったのもこのへんに理由があるかもしれない。 佐伯泰英に比べると深みや工夫が足りないような気がする。濡れ場も恋のようなものもあるが、軽い。軽くてギャグとしか思えない場面もある。 実はひいきにしている作家なので、失望が大きかった。この作家は文庫本の作品よりも単行本で出す作品のほうが高い評価を得ている。そちらの方を選んで読むのが賢い選択かもしれない。 最近、毎日日記を書くのが辛い。毎日書くことに意義があるのだが。一行の日があっても毎日書きたい。
| 2001年10月07日(日) |
クリスティーの「謎のクィン氏」をおよそ20年ぶりに再読。 |
クリスティーの「謎のクィン氏」をおよそ20年ぶりに再読。 創元推理文庫では「クイン氏の事件簿」となっていて、昔読んだのはそれだったのだが、物置から出すのも面倒なので古本屋を4、5件回ってやっと発見・購入。なぜか急に読みたくなっての慌ただしい仕儀となった。クリスティーならいつでもどこでも楽勝で買えると思っていたが、少し大きな本屋さんでも一冊も置いていないことを確認し、驚いた。早川文庫版でも何冊かで、創元推理文庫が皆無の場合があるのである。 あの奇妙な魅力の面白さをもう一度味わいたくて、というのが理由かもしれない。すぐに最初の三編を読んだ。「クィン氏登場」「窓ガラスに映る影」「道化荘奇聞」の3つである。かすかな記憶では突然現れたクィン氏が積年の謎を解いて嵐とともに消え去る。他の名探偵とは一線を画す不思議な推理力で、驚くべき謎解きをするというイメージだった。他の探偵にはない不思議な魅力の探偵の物語を具体的にはほぼ完全に忘れているので、かつての夢よもう一度とばかりにページをめくっていった。 しかし、夢は破れた。何かしら話が分かりにくかったのだ。魅力的だったはずの、クィン氏の登場と解明、そして退場が今一つである。どこに魅力を面白さを感じたのか、理解に苦しんだ。まだ、九編残っているのでいましばらく辛抱したい。 創元推理文庫版の方が面白いということはあるのだろうか。収録作品はおなじはずだから、そんなことはありえないか。それにしても何かもどかしい感じがして、すきっとしない。昔はそんなこと気にせず楽しめたのだろうか。自分にとって長年これは特別の本と思ってきたのでややショックでもあった。 この数日間、佐伯泰英の本の方はすすまなかった。ただ、近くの図書館で「瑠璃の寺」を借り、14ページ読んだ。1999年の時代小説で、出だしから面白い。これで佐伯泰英の時代小説完読までもう少しである。フードファイトの「完食」みたいで品に欠ける言い方で、修行が足りない。「橘花の仇」を読んだ後のお楽しみが増えた。 この間、目を軽く通した作品は、次の通り。 「もっとも危険な読書」(高橋源一郎)「読書癖4」(池澤夏樹)「ことばの歴史学」(小林千草)「ミステリ・オペラ」(山田正紀)「育成力」(渡部元智)「本の旅人10月号」(講談社)「奇跡的なカタルシス(フィジカル・インテンシティ�供法並湿緡供� 「本の雑誌10月号」「SFマガジン」「ミステリマガジン」など。
| 2001年10月05日(金) |
佐伯泰英「橘花の仇(鎌倉河岸捕物控)」を読み始める。 |
佐伯泰英「橘花の仇(鎌倉河岸捕物控)」を読み始める。 始まりの時は安永八年つまり1779年の10月と明記される。思いがけない事件のせいで逐電する婚約者の男女。そして時は18年後に進む。寛政九年、1797年の江戸は鎌倉河岸に場所も変わる。しほという名の16歳の娘が働く酒屋が場面に登場する。やがて、しほの父親が死んだという知らせが入って、この市井の物語が動きだしてゆく。全六話からなる連作長編で、今日は最初の序章と次の第1話「仇討ち」を読んだ。他のシリーズのような強い侍が主人公ではない。NHKが好みそうな市井の人情もので、ちょっと泣かせる趣向が毎回ありそうである。総兵衛、影二郎、惣三郎といった剣豪が出ていないのであまり期待せず読み始めたが、惣三郎のいない「密命」の登場人物たちの物語風で、そこにいる人々の会話だけでも十分楽しめる感じである。 このシリーズもまたまた面白い。毎月1冊出しているのに、手抜きが感じられない。小説にすべてを賭けているにちがいない。佐伯泰英さんは凄い。 中村真一郎のエッセイか村上龍のサッカーエッセイを読もうかと考えていた。今日はわりとすんなり時代小説の世界に入ってゆくことができた。
| 2001年10月04日(木) |
中村真一郎の読書エッセイを読みたくなった。 |
中村真一郎の読書エッセイを読みたくなった。 最近はブックオフやブックマーケットなどを見て回ることが多くなって買う本の数が増えているが、読み切ったと言える本は逆に減ってきている。岡崎武志が「古本でお散歩」(ちくま文庫)の冒頭で「だからもう、あなたはそう言ってはいけない」と書いているのを読んで安心するほど買う方が多い。 今、読書の中心は、佐伯泰英の時代小説である。しかし、最新作の「火頭」を読み終えたが、別のシリーズには進めず、ちょっと真空状態の中にいるような不安定な心理でこの二、三日を過ごしている。例の焦点が定まらない症状に陥っているのである。 こんな時には、本の方からこちらに寄ってくることもある。 とあるブックオフの一冊百円の単行本が並んでいる棚を左側から右側へ網羅的に眺めて横歩きしている時だった。特段に何か収穫を期待していたわけではなかった。あえて言っても邦訳のもので何かあれば、という程度だった。 その時目に入ってきた本の題名は次のようなものだった。 「読書好日」「読書の快楽」「書物熱愛」「幻の作家たち」「深夜快読」の5冊である。順に、中村真一郎、山下武、森まゆみの著書である。 このブックオフには絶対読書好きな顧客(持ち込み売り手?)がいると確信した。ほぼ一年前にも似たような事があった。つまり、他所では見られない読書・書評関連の単行本があったのだ。 信じられない気持ちでそれらを五百円で買わせてもらった。だいたいにして図書館以外の場所で見ること自体が不思議である。 前の日には別のブックオフで先の「古本でお散歩」を買ったばかりで何かしら時代小説をお休みしてゆったりとした読書時間を楽しめという御告げかと、しかしそれにしても中村真一郎の読書随筆は心を求心的にする。ほとんど今まで読んだことのない本ばかりだし、これからも読むことはないと断言できる本ばかりと言ってもいいのだが、そういう気持ちを忘れさせる求心的な魅力にあふれている。 いつのまにか「読書の快楽」を42ページまで読み、さらにもともと持っていてもう何回か読んでいる「読書三昧」を引っ張りだして18ページまで読んでしまった。 しかし、その一方で村上龍の「奇跡的なカタルシス」(光文社)を44ページ読み、意識の片隅でクリステイの「謎のクィン氏」(早川文庫)を再読したいと思っており、やはり少し狂っているかもしれない。 危険な状態である。 清水徹の「読書のユートピア」(中央公論社)ももう一度読めと言っているような。
| 2001年10月03日(水) |
二日間、何の反動か、ブックオフ巡りで衝動買い |
二日間、何の反動か、ブックオフ巡りで衝動買いするばかりで、本はほとんど読まなかった。 佐伯泰英という小説家のおかげで他の時代小説と江戸時代に興味が湧く。まず現在部屋にある時代小説を集めてみた。段ボールの箱、ちょうど一箱分あった。読んでいないのがほとんど。新たに買ったり、借りたりしなくても、真面目に読んで1年半くらいは間に合いそうだ。江戸時代関連の本は少ない。次の通り、と挙げられる程度。 中公文庫の日本の歴史「16 元禄時代」(児玉幸多)「18 幕藩制の苦悶」(北島正元)「『鬼平』の江戸」(今川徳三)、ちくま文庫の「江戸へようこそ」(杉浦日向子)「江戸の想像力」(田中優子)、毎日新聞社のミューブックス「江戸学者おもしろ史話」(杉田幸三)の六冊。 それにしても佐伯泰英の作品群は十七世紀から十九世紀、さらに二十世紀までも視野に入れた時代活劇の名を借りた日本の歴史の一面を形成してゆくおもむきである。活劇場面の描写は当然のこととしても他のさまざまな描写にも手抜きがないので、どの作品も厚みのある世界になっている。 最近はこの佐伯泰英意外の書き手による時代小説が結構出回っているが、これほど優れた作品が他にもあるのだろうか。あるとしたら今が時代小説の絶頂期と言うことになるのかもしれない。 その他、昨日今日で買った本の記録、その一。 佐伯泰英「政次、奔る」(ハルキ文庫)、朝松健「魔障」(ハルキ文庫)、コリン・デクスター「後悔の日」(早川書房)、アガサ・クリスティ「謎のクイン氏」(早川文庫)など。
| 2001年10月02日(火) |
佐伯泰英「密命(弦月三十二人斬り)」「密命(残月無想斬り)」「刺客(密命・残月剣)」「火頭(密命・紅蓮剣」どれも傑作。 |
佐伯泰英「密命(弦月三十二人斬り)」「密命(残月無想斬り)」「刺客(密命・残月剣)」「火頭(密命・紅蓮剣」どれも傑作。 「密命(弦月三十二人斬り)」(祥伝社文庫1999.9)「密命(残月無想斬り)」(祥伝社文庫2000.3)「刺客(密命・残月剣)」(祥伝社文庫2001.1)「火頭(密命・紅蓮剣)」(祥伝社文庫2001.8)の四冊、一気に読了す。ほとんど列車と飛行機の中で読んだ。主人公、登場人物たちはレギュラー化しているが、1冊ごとに趣向が違うので飽きずに読むことができた。もちろん、シリーズものの安定した楽しみも味わえる。 始まりは1709年、惣三郎は35歳だった。5作目の「火頭」は1719年、惣三郎も45歳になる。無敵の惣三郎も当時は老年の侍である。剣の冴えが鈍っても当然のはずが、大事件の続発がそれを許さない。その点で少し、ほんのすこし「剣客商売」ともにているか。 四冊目の「刺客」を読んで、これで当分は惣三郎とはお別れだと寂しかった。佐伯泰英の本はどの書店でも見当たらなかった。長崎駅の「メトロ書店」にもなかった。 もっと大きな本屋ならあるさと京都の四条河原の「シュンク」に行ってみた。さすがだった。ケイブンシャ文庫の新刊として新しいシリーズらしい「逃亡(吉原裏同心)」があった。知らなかった。巻末に作者、佐伯泰英の時代小説作品歴があった。見ると今年の8月付けで第5作「火頭」が出ているのに気が付く。さらに予定として影二郎と総兵衛の新作が年内に出るらしい。 そういうわけで「火頭」を探して購入した次第。 また、寺町の小電気街の古本屋で「異風者(いひゅもん)」を発見。250円で即購入。 それにしても恐るべき筆力である。すべて書き下ろしで作品の質が落ちない。未読のシリーズにも十分期待できる。 このところ佐伯泰英の時代活劇ばかり読んでいる。 他の作者の時代劇にもやや興味が沸いてきた。佐伯泰英が終わったら誰の何を読んだら良いだろう。我が家にある時代小説を引っ張り出してとにかく読んでみようか。 ほぼ1週間ぶりの日記書き。時間が足りず、ここまで。
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