| 2001年11月30日(金) |
今日は届いた雑誌を拾い読み。 |
まず、書店取り寄せの「本の雑誌」12月号がやっと来た。下手したら1月号にも手が届くところだった。書店に尋ねたら問屋のせいというような返事だった。以前は1カ月置きに正常に届いたのに最近は月末になってしまった。講談社の「IN★POCKET」11月号も来た。これはおおむね正しい時期に来るので文句なし。筑摩書房の「ちくま」と講談社の「本」の12月号。早川書房の二大雑誌「SFマガジン」と「ミステリマガジン」の1月号も同時に届いた。いつも月末である。ただし「ミステリマガジン」は今月号は千八百円でいつもより値段が張っているのは特別増大号と銘打っているからだ。アガサ・クリスティの特集をしている。最後は未來社の「未来」11月号。三浦千賀子という人の「”じぶんがすきになりました”(久くんのこころの3年間��)」が読みやすいこともあり、目を引いた。「あおぞらの子どもたち」という題名の連載の11回目らしい。 今日は以前録画した時代劇を見た。松平健が松平忠輝役で主演している「野風の笛」という時代劇で、原作と脚本はあの池田一朗、つまり後の隆慶一郎である。「捨て童子・松平忠輝」と同じような話になっているの興味深く鑑賞しての感想は、凄く面白いとは言えない。説得力に乏しいチャンバラ・シーンは脚本をおとしめるものではないか。配役も割といいのに残念賞だった。
| 2001年11月29日(木) |
佐野眞一「渋沢家三代」(文春新書)を1時間半読み続け、やっと半分。 |
佐野眞一「渋沢家三代」(文春新書)を1時間半読み続け、やっと半分。パリから帰国した後の渋沢栄一が日本の中心人物になっていく過程とその長男である篤二が放蕩の果てに廃嫡される経緯が語られる。渋沢家を通して見た日本の近代史としても読める。面白かったのは栄一プラス三井と三菱のライバル関係や鳩山一族と穂積一族の葛藤を歴史的に紹介しているところ。経済や政治の世界が面白いのと同時に恐ろしいのはその背景にこういう幕末や明治からの血脈が元気にどろどろと現代まで途切れずに続いているからに違いない。目先の現象だけで判断してわかったつもりになるのは危険だというのは、こういうことか。半村良の伝奇小説ではないが、日本はそういう意味でいまだに亡霊に支配されている国なのか。 タッド・ウィリアムス「黄金の幻影都市1(電脳世界の罠)」(早川SF文庫)を26ページまで見てみた。快調なテンポで進むヴァーチャル・リアリティもののようだ。翻訳は野田昌宏さん。
| 2001年11月28日(水) |
宮部みゆき「いしまくら」(別冊文藝春秋)を読み、確信。 |
宮部みゆき「いしまくら」(別冊文藝春秋)を読み、確信。別冊文藝春秋1999年春号、直木賞受賞第一作の短編は宮部みゆきが日本の代表的作家の道を歩んでいる事を示す、好感度満点の作品である。 父と娘の関係、女子高生の援助交際、二世代同居問題、携帯電話などの現代的風俗・題材と幽霊や「石枕」という民間伝承をからませて二つの殺人事件を結びつけていく腕前は、何をどう書いても佳作を生み出し続けていくことを確信させる。事件のアイデアと登場人物の性格や生活、人生観などが一緒に作者の頭に閃くのだろうか。手際よく語られる事件の推移と登場人物の魅力が相まって心地よく読者は物語の世界に誘われていく。あのジャック・ヒギンズの作品のように端役ですらちょっとした印象を読者に残す、「手練れ」としか言いようがない。 日本人はこの作者の物語の面白さを知ってしまった。もう放さないだろう。 なんてね。
| 2001年11月27日(火) |
エリザベス・ヘイドン「ラプソディ」(早川FT文庫)をちらっと読んで冒頭で驚く。 |
エリザベス・ヘイドン「ラプソディ」(早川FT文庫)をちらっと読んで冒頭で驚く。こんな始まり。「時間編集装置に向かって仕事を始めたメリディアンは、レンズを調節して透き通った巻き糸を調べた。過去のははっきりした太いフィルム状、未来のはもやもやした細い糸、というように密度が異なっている。」まるでコミックのような荒唐無稽な設定を笑う者はどうぞ遠慮なく笑いたまえ、私はそのSF的荒唐無稽な描写にしびれた。遠い昔「タイム・トンネル」という海外ドラマがあった。一種のタイム・マシンで「現代」にある転送装置に時間旅行者(放浪者)の存在が同調すると大画面に時間旅行者たちの姿が映像となって現れるという場面を思い出した。「ラプソディ」ではさらにとんでもないことが起きる。画面を止めてそこに映し出した人間に一種の目薬をさすのだ。最初の数ページだけでその設定に随分と驚かされた。野暮用でこの続きは当分読めそうにないが、期待出来そうな物語である。
| 2001年11月26日(月) |
「銀の雨」「R.P.G.」「25時」の長めの感想。 |
銀の雨(宇江佐真理) 堪忍旦那と呼ばれる三十六歳の同心、為後勘八郎が主人公の時代小説である。堪忍旦那の由来はのっぴきならない事情があるときは罪科を堪忍してくれる、つまり見逃してくれるところから来ている。顔は悪いが人情味の厚い融通の利くやさしい同心なのである。しかし、登場人物の中で何よりもいい味を出しているのは子供たちではないか。大人顔負けの生意気な言動は爽快ですらある。人によってはむしろ癒しの薬になる。周りの大人たちの姿を見て健気に生きている男の子や女の子が見事に描かれている。出来すぎていると言うなかれ。その小さな魂の張りつめた心に素直に感動の涙が生まれてくる。やがて成長して大人になってゆく子供たち。現代でいうなら小学校6年生、中学生くらいの少年少女たちの上にも年月は流れる。主人公、為後勘八郎の娘小夜は十三歳ほどで登場し、最後の話の時点では十七歳の新妻になっている。その過程の逸話が丁寧に綴られていく。今よりもはるかに早く大人にならなければならない子供たちの全五話からなる連作集として読んだ。堪忍旦那が関わった四年間に起きた事件の捕物帳ではあるが、記憶に残るのは、子供たちである。小夜、ゆた、梅吉、みち、そして主馬。
R.P.G(宮部みゆき) メールによる親子の会話から始まり、次に警察署内の会議室における警察官同士の何かの顔合わせの場面になり、次に事件の概要が説明される。殺人事件の捜査が始まっていることがわかる。思わせぶりな始まりで引き込まれてしまうが、この作者の作品としては期待外れと言うしかない。しかし、思い込みや錯覚を利用して読者に先読みの快感をサービスしていくのは相変わらずでその点は流石である。ネット上の家族という最近の風俗を取り入れている点でも作者の先進性が出ていて文句がない。こうして改めて点検すると不満な点はどこなのかが曖昧になってくる。逆説的にこういうところに宮部みゆき(敬称略)の凄さの一端がある。語りの見事さに引き込まれてわき目も振らずに楽しく読んでしまいました。面白かったです。と、言うしかないのは確か。大長編「模倣犯」の語り口はこの作品でも生きている。今、宮部みゆきが語ればどんな話も魅惑的になり、ベストセラーになる。ここまで書いてきて自分の気持ちがわかった。ベストセラーになってほしくないのだ。この作品が「初の書き下ろし文庫」と宣伝された時「売れる」と感じた。それは不満だったのだ。実は読む前から不満があってそれに理屈をつけようとしていたのである。適度な長さで現代日本の一面を描き、退屈しのぎに調度よい面白さ。しかし、どうせ現代日本人心の闇を描くなら踏ん張ってあの「ウィルソン・シティ」を完成させてほしかった。
25時(デイヴィッド・ベニオフ) これはいつごろの時代の話なのだろう。刑務所に入る前日の若者とその家族や友人たちの行動や会話、独白が淡々と描かれてゆく。主人公の若者の生活や行動はもちろんしっかり説明されるが、恋人や親、友達についても結構詳しい描写が費やされる。印象的なのは、学校の教師をしている友人のエピソードである。教え子の女生徒との皮肉な落ちは読み終わってからも妙に心に残っている。最も愛情を以て描かれていると感じたのは主人公の愛犬ピット・ブルのドイルである。じっとしている姿、寝室のドアの前で寝ている姿、自由に走り回る姿、人間を描く以上の丁寧な描写である。結末については賛否もしくは解釈が分かれるに違いない。印象的な終わり方であり、魅力的な終わり方である。ハッピーエンドを求める人はそういう風に読めば良いし、シビアな結末以外説得力がないと考える人はそう読めば良いと筆者が言っている気がする。魅力的なわけはそれまでの地道な展開がビートに乗って一気にひっくり返される快感があるからである。地を這っていた蛇が突然大空の彼方に飛び去ってしまったような思いがけない驚きによる心地よさがある。それにしても小説でこう言うのもおかしいが、真実はどちらにあるのか。つまり、結末の部分にあるのか、それともそこに至るまでの物語の部分にあるのか。意外にモンティ爺さんのほら話だったりして。冗談はさておき、この結末からもう一度始めから読み直す行き方もあるだろう。殺伐たるところもある現代に生きる大人を1時癒すための寓話は何度読んでも汲むものがあるはずである。
| 2001年11月25日(日) |
巽昌章「埋もれた悪意」を読んだ。 |
巽昌章「埋もれた悪意」を読んだ。アンソロジー「有栖川有栖の本格ミステリ・ライブラリー」(角川文庫)中の一編で考え応えのある短編小説である。本格ミステリ的に論理的とはこういうことかと推理に頭を悩ました後に真相を知った時そう思った。いかに先入観によって物事を正しく見られなくなっていることか。同書には他につのだじろう氏の本格ミステリ漫画「金色犬」があり、目を引く。 佐野眞一「渋沢家三代」(文春新書)は54ページまで目を通す。歴史までも簡単に消費していく現代の日本においてこういう本やさまざまな歴史関係の本を読み、忘れられた過去の姿を取り戻すことは意識的に必要なことのような気がする。 今日は2冊の雑誌に軽く目を通した。 「ダ・ヴィンチ」12月号、「月刊アスキー」12月号どちらも飛ばし読みである。 今週はずっと野暮用が続くので本はほとんど読むことができない。
| 2001年11月24日(土) |
「日本の歴史」(岩波新書)の井上清氏の訃報記事。先程夕刊を開いて驚く。 |
「日本の歴史」(岩波新書)の井上清氏の訃報記事。先程夕刊を開いて驚く。ほんの1時間前に久しぶりの勉強のつもりで開いた岩波新書「日本の歴史」の著者である井上清氏の死亡記事があったからだ。これには驚いた。ご丁寧にも巻末の著者紹介の欄で1913年生まれなのを確認して過去の人扱いしたばかりだったから確実に驚いた。20年程前にも詩人の黒田三郎さんの随筆集を読んだ夜の次の朝にご当人の逝去のニュースを見てびっくりしたのと似ている。 とりあえずその記事によると、京都大名誉教授で専門は日本現代史で、11月23日の午後7時26分肺炎のため死去、87歳だった。高知県出身で自宅は京都市左京区若王子町12にあり、26日近親者で密葬の予定。喪主は妻の初江さん。1936年東京帝大文学部卒業。1946年の著書で天皇制批判を展開し、現代史研究の指導的立場になる。1961年京都大人文科学研究所教授になる。1969年の東大闘争をはじめとする学園紛争では新左翼系学生支援の姿勢を鮮明にし、政府と対立した。「日本の歴史」など著書多数。岩波新書には「条約改正」「日本の軍国主義」「部落問題の研究」「日本女性史」「戦後日本の歴史」が紹介されている。 「人はだれでも、歴史によってつくられ、歴史の中に生きており、そして何らかのしかたで歴史をつくっている。しかし、すべての人がこのことを自覚しているとはかぎらない。じぶんをつくり、じぶんがその中に生きている歴史を、自覚するとき、われわれは、自覚して合目的的に、歴史創造に参加することができる。」 これは「日本の歴史」のまえがきの冒頭である。今でも全く古びていないおもむきのある文章である。 今日も野暮用で本は読めなかった。 ちょっと目を通して続いていない本。 「新・SFハンドブック」(早川文庫) 立石泰則「覇者の誤算(日米コンピュータ戦争の40年)」(講談社文庫) 佐野眞一「業界紙諸君!」(ちくま文庫)
| 2001年11月23日(金) |
卓球のルールが大きく変わった |
卓球のルールが大きく変わった。11点5セットでサーブは2回交代。ボールも38ミリから40ミリになった。今までの21点3セットの長編小説から読み切りに近い短編小説に突然変貌した。じっくりと腰を据えて巨視的に展開を読んでゲームを組み立てていた選手にとってはこの突然のルール変更は悲劇である。ボールが40ミリになってサーブが効きにくくなったと言われるが逆にサーブの強い者が有利でレシーブが苦手な者はますます不利になった。 ゲームの中で調子を崩した者はそのまま負ける。短期決戦では一気にスパートを掛けられることが求められる。 試合時間の短縮にはなるが、盛り上がりに欠ける試合が多くなるのではないだろうか。 接戦は当然あるだろうが重厚な味わいは減っていくに違いない。11点でのジュースと21点でのジュースによる接戦はそれまでの(長いことは長いが)過程から重みが全く違うはずである。 今日は本を読んでいないので「卓球」のことを考えてみた。 今日購入した本。 佐野眞一「渋沢家三代」(文春新書)
| 2001年11月22日(木) |
佐野眞一「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書)予定通り読み終える。 |
佐野眞一「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書)予定通り読み終える。佐野眞一「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書2001.11.21)は民俗学者宮本常一の「あるく」「みる」「きく」姿勢を学んだ著者の実践的取材方法の記録である。いささか自信満々なのが気になる面もあり、またそれだけの仕事はしているから当然と感じる面もある。宮本常一の著作や本の中で紹介している著者の本を読んでみたくなる。宮本常一の「忘れられた日本人」と佐野眞一がその宮本常一の事を描いた「旅する巨人」はとりあえず押さえておきたくなった。 昨夜寝たのが午前2時で起床が午前6時半で、頭がややぼーっとしているので今日はここまで。
| 2001年11月21日(水) |
佐野眞一「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書)の一気読みを目指すも186ページでストップ。 |
佐野眞一「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書)の一気読みを目指すも186ページでストップ。理由は時間的なもの。つまらない訳ではない。面白く読めすぎるくらい。残り50ページほどなので明日には読了できるはず。さながら佐野眞一コンパクト全集で筆者の仕事への考え方、取り組み方がよくわかる。その著書についての紹介がもとになっているので簡便な入門書として読んでも良い本である。
| 2001年11月20日(火) |
若竹七海「スクランブル」の冒頭部分と石垣りん「焔に手をかざして」の巻末の金田理恵の「大切にする」を読んだだけ。 |
若竹七海「スクランブル」の冒頭部分と石垣りん「焔に手をかざして」の巻末の金田理恵の「大切にする」を読んだだけ。 「スクランブル」は結婚披露宴出席中の女性が十五年前の高校時代に起きた事件を回想する場面から始まる。どんな事件かを紹介する前にその女性が犯人が誰なのか突然気づくので読者としては穏やかでいられない。 金田理恵さんという人の「大切にする」は今となっては十年ほど前の古い話題にもかかわらず不自然に自然を切り開いては鉄筋のアパートやマンションを造る風潮は今でも何ら変わっていないことを教えている。 身近な自然が少しずつ消えて、遠くに厳然と存在しているように見える大自然の中に不法投棄による膨大なゴミが存在して自然の命を脅かしている。アメリカのテロ対策に追随する前に対策を考えなければいけないことが実は結構あることなどを思いださせてくれた。福井晴敏「亡国のイージス」も少し読んだ。
| 2001年11月19日(月) |
「新・本格推理01」の二階堂黎人の前書きとあとがきを読む。 |
「新・本格推理01」の二階堂黎人の前書きとあとがきを読む。今日は野暮用で読書時間をまったくとれず。この作家のものは二つ読んでいる。おどろおどろしい雰囲気に比して非常に論理的な頭脳の印象があった。この短い文章も情熱と明晰さが伝わる読みごたえがある。作品は長いものが多いので読み終えるのに日時がかかる。こういう短い文章でありながら作者の真価がわかる文章は助かる。 「松下竜一その仕事1」(河出書房新社)の解説やエッセイを同じような理由で読んだ。文藝春秋の「本の話12月号」届く。すぐに開いて目次をチェック。今回はあまり興味が出ない。今日はこれで終わり
| 2001年11月18日(日) |
「バッドラック・ムーン」(講談社文庫)「精神寄生体」(学研M文庫)「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書)を読もうとした。 |
コナリー「バッドラック・ムーン」(講談社文庫)コリン・ウィルソン「精神寄生体」(学研M文庫)佐野眞一「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書)を読もうとしたが冒頭のみ。 「バッドラック・ムーン」プロローグは意味深な会話を交わす男女。続くパート1はその女の方が一人で登場し、あるオープンハウスを意味ありげに見学する。翻訳者が木村二郎氏なので期待が強まる。 「精神寄生体」は、本体に入る前に作者の日本語版への序文やまえがきを拾い読みして終わり。翻訳者の小倉多加志氏は1911年生まれにびっくり。しかし、1991年に死去されていることを知り、さらに驚き神妙な気持ちになる。訳者紹介欄の主な訳書の中に読んだ本はなかったけれども、記憶に残っている名前の人だった。 「私の体験的ノンフィクション術」は絶対に面白いはず。民俗学者の宮本常一にほれこんだ作者の自己教育・自己学習の過程を自己紹介している本らしい。最初の方を立ち読みして購入を決めた。『遠い「山びこ」』と『だれが「本」を殺すのか』を読んだ範囲では充実した内容の本になっているはず。 今日購入した本。 アシモフ「ゴールド」(早川文庫) カード「エンダーズ・シャドウ(上・下)」(早川文庫) 江戸川乱歩賞全集2仁木悦子・多岐川恭「猫は知っていた・濡れた心」(講談社文庫)
| 2001年11月17日(土) |
山田風太郎「忍法創世記(山田風太郎コレクション2)」(出版芸術社2001.9.10)読み終える。 |
山田風太郎「忍法創世記(山田風太郎コレクション2)」(出版芸術社2001.9.10)読み終える。他の本に振り向かせない忍術の力がせいか、いつも多少は平行して別の本を読むのだが、今回はこれのみ一気読みだった。後半はさすがに傑作とはいいがたいテンポとアイデアで退屈な部分も出てきた。それでも途中から登場した十五歳の牢姫と「牢の御剣」の非情な魅力が物語を救って、ふさわしい結末を作った。まるでクリスティがあらかじめ執筆しておいたポアロの最後の事件ようだ。作者は死しても作品は残る。週刊誌連載からおよそ三十年後、しかも作者が死去してから蘇えった忍法「不死身」のごとき作品ともいえる。見事である。 山田風太郎の作品を読み出すと危険である。つい夢中になって他の本を読めなくなってしまう。 今日購入した本。 佐野眞一「私の体験的ノンフィクション術」(集英社新書2001.11.21) 今机の上にある本。 北方謙三「風樹の剣」(新潮文庫) 山本周五郎「艶書」(新潮文庫) 火坂雅志「西行桜」(小学館文庫) 佐藤友哉「フリッカー式」(講談社ノベルス)
| 2001年11月16日(金) |
山田風太郎「忍法創世記」読み始める。 |
山田風太郎「忍法創世記」読み始める。「伊賀と柳生の結婚式」なる奇妙な題名の章から始まり、「柳生流先史時代」を経て「伊賀流創世時代」に至るところまで読み進む。ほとんどギャグにつぐギャグが甚だしく読むに値しない、とは全然ならずいったいどうなるのとページをめくるのが厭わしいほど面白い。純粋培養された忍法帖は抜群に鮮度が高く融通無碍でひときわ楽しい読み物になっている。 今日購入した本は、宇江佐真理の「幻の声(髪結い伊三次捕物余話)」(文春文庫)とピーター・モーウッド「騎馬の公子(歳月の書)」(創元推理文庫)
| 2001年11月15日(木) |
宇江佐真理「銀の雨」恩田陸「MAZE(めいず)」読了。 |
宇江佐真理「銀の雨」恩田陸「MAZE(めいず)」読了。宇江佐真理「銀の雨(堪忍旦那 為後勘八郎)」(幻冬舎文庫2001.8.25)は、五話からなる連作集。冒頭十二歳だった勘八郎の娘小夜が最後の話では十七歳の新妻に成長し、太一郎という子供まで生む。だから、その小夜がたわいない少女から一人の女性へと成長してゆく過程を描く物語とも言えるかもしれない。 その他にも十代前半の梅吉、おゆた、おみちと魅力的な子供たちが登場し、いずれもその健気さが胸を打つ。 「その角を曲がって」と「魚捨てる女」が読後余韻を深く残す。愛する者を失う少女と少年の記憶すべき物語である。 佐伯泰英と並んで重要な作家となった。 恩田陸「MAZE(めいず)」(双葉社2001.2.15)は一つのアイデアに鋭く切り込んだ痛快ファンタジーである。 未開の奥地の丘の上に立つ白い豆腐のような建造物。入り口は1カ所。中は迷路のようになっている。中に入ると出て来られなくなるという伝説があった。その謎をつきとめるために膨大な金を費やして四人の男たちがやって来た。 長編というより中編で結末はややあっけないが人間消失の謎の解答は壮大なイメ−ジで「マトリックス」に通じるものを感じた。 しかし、迷路を内蔵する矩形の白い建物が人工物なのかそうでないのかはっきりしない終わり方は納得できなかった。伝説の建物を利用したのか、それとも人間が作って伝説をベールとして利用したのか。面白いことは面白いのだが、というところ。
| 2001年11月14日(水) |
宇江佐真理「銀の雨」が、やはり大傑作。「 |
宇江佐真理「銀の雨」もう少しで読み終わる。やはり大傑作。日本人必読である。「その角を曲がって」「犬嫌い」「魚捨てる女」「松風」と続き、最後の「銀の雨」に至る連作集は親と子の情愛を中心にさまざまな世代の脆さ、弱さ、強さ、優しさなどの思いを的確に描き出している。主人公の「堪忍旦那」と呼ばれる同心もよいが、何よりもその同心の娘や馴染みの男の子などの少年少女たちが魅力的である。特に主人公と行動をともにすることの多い小者の娘は場面をさらうほど生き生きとしている。こういう小説は大人向けのものということになっていても悪い意味でなくなにかしら児童文学的時代小説の香気が漂う。中学生くらいの少年少女が読んでも魅力を感じるのではないだろうか。 今、これを読み終わるところだが、今日は恩田陸の「メイズ」にもちょっと手を出した。
| 2001年11月13日(火) |
宇江佐真理「銀の雨」感動あり涙ありで大傑作。 |
宇江佐真理「銀の雨」感動あり涙ありで大傑作。初めの二話を読み、驚愕した。人間がしっかりとした輪郭で描かれているのでその言動を読んで感動するやら涙するやら、とりあえず文句のつけどころが皆無。同じ時代小説でもジャンルが異なるが佐伯泰英の強力なライバル出現のイメージで作者の名前を記憶する。 日本人必読の作家の登場である。こんなに生き生きとした日本人を描く作家はまれではないか。また、あとがきも面白い。講談社文庫の「室の梅」のあとがきも読んでみた。これも良かった。エッセイとしても見事に成立している。 時代小説の賞をとり単行本でデビューして評判をとっていたのは知っていたがこれほどとはついぞ知らなかった。 財津和夫のコンサートに行ってきた。終盤からアンコール三曲が盛り上がり非常に良かった。
| 2001年11月12日(月) |
福井晴敏「亡国のイージス」宇江佐真理「銀の雨」ちょっとずつ。 |
福井晴敏「亡国のイージス」宇江佐真理「銀の雨」ちょっとずつ。両書とも冒頭の4、5ページを読んだだけでその後の面白さが十分期待できることがわかった。主になる人物の造形がしっかりしている。さらに取り巻く人間たちとの関係や場面も同様にすっかり出来上がっている。話の展開もさることながらまず人間の言動が魅力的である。 宮部みゆきの「R.P.G.」の事を今考えている。面白かったのだが、ああいうやり方が警察の中で行うことは可能なのだろうか。また、可能だとしたらとんでもなく恐ろしいことにつながるのではないかと。 読み終わって見れば自白を得るための一種のいじめである。目撃者もいたのだからあそこまで組織だった巧妙な計画を実行しなくても良かったのでは、などなどいろいろ考えている。
| 2001年11月11日(日) |
宮部みゆき「R.P.G.」(集英社文庫)読了。 |
宮部みゆき「R.P.G.」(集英社文庫)読了。宮部みゆきさんは人間関係を描写するのがうまい。相当数の人間を描き分け、しかも読者の好奇心をそらさない。 おまけに一つ一つの文章がなぜか面白い。人間観察力が鋭いのか、人間が好きなのか、登場する人物を生き生きと表現しているからかもしれない。 全体としては一幕物の洒落た舞台劇を見ていたような充実感がある。 ある意味で「模倣犯」と共通する終わり方はほろ苦くもあるが、宮部みゆき入門書として最適の作品である。最も簡単に作者の魅力を知ることができるお徳用である。 今日は本の片づけをした。回りにある本をすべてなくしてすかっとしたい気分はあっても結局そこまで徹しきれずじまい。
| 2001年11月10日(土) |
宮部みゆき「R.P.G.」(集英社文庫)を読み始める。 |
宮部みゆき「R.P.G.」(集英社文庫)を読み始める。今日は土曜日だが野暮用で少ししか読めなかった。皮肉なことに本屋をのぞく時間はあったので本はいくつか買った。 読んだ文章は「本の雑誌2001年10月号」の嵐山光三郎のエッセイ「余はいかにして古本マニアとなったか」くらい。新刊本を買う必要が亡くなったというのはうらやましい限りでなんともいいようがない。月に古書を三十冊は目を通すとはさすがにプロである。四、五冊読むのに汲々としている我が身と引き比べて秋風が身にしみる思いだ。 ところで「本の雑誌」は不思議な雑誌で買ってぱーっと主立ったところは一気に目を通しておしまいなんだが、忘れた頃に取り出してはじっくりと読み直している。だからもう読んだからといって他の雑誌のように簡単に捨てることができない。 さて今日買ってしまった本は以下の通り。 中村真一郎「時間の迷路」(中公文庫) 川上健一「女神がくれた八秒」(集英社文庫) S・P・ソムトウ「ヴァンパイア・ジャンクション」(創元推理文庫) 篠田一士「創造の現場から(文芸時評1979〜1986)」(小沢書店) ヴァン・ダイン「ガーデン殺人事件」(創元推理文庫)
| 2001年11月09日(金) |
ベニオフ「25時」(新潮文庫)は驚愕の現代的寓話。「異風者(いひゅもん)」は佐伯泰英的江戸年代記の誕生を告げる。 |
ベニオフ「25時」(新潮文庫)は驚愕の現代的寓話。「異風者(いひゅもん)」は佐伯泰英的江戸年代記の誕生を告げる。 まず、「25時」のことから。淡々と主な人物たちの言動が語られていく物語は、結構疲れる。はっとする挿話もある代わりに退屈するものもある。救いは主人公の愛犬ドイルが登場する時と中学校か高校の教師ジェイコブズの場面。終盤になって主人公の持ち時間が限界に近づき始める頃からどういうふうに終わるのかという興味から読みに集中力がついて物語の輪郭がはっきりと見えてくる。そして結末。最後の方のひとまとりの文章を心地よい語りに耳を澄ませるようにして集中して読み続け、読み終わる。読み終わるときつねにばかされた気分になり、しばらくしてもう一度最後のところを読み直した。そして、また読み直した。信じられない結末のつけ方だった。そこに確かに快感はあった。 それにしても「全米が瞠目した」はないだろう。「輝ける青春小説」もわからない。ある意味これは老人小説なのだし。 正直、翻訳物は読みにくい。同じ日本語なのにすっと頭に入ってこない。こちらが馬鹿なのだ、と言われそうではある。 今日、佐伯泰英の新作がでた。「妖怪狩り」である。次は何を「狩る」のかと期待していたが「妖怪」だった。大物中の大物の登場を予想して楽しみだ。 で、去年の作品「異風者(いひゅもん)」を口直しに読んでみた。題名で損しているが、他の作品に劣らぬ傑作である。60ページまでで既に冒険小説であり、西部劇風であり、剣豪ものであり、と炸裂につぐ炸裂で勢いが凄い。 京都の小電気街にある小さな古本屋で買ってもう1カ月。このブランクを悔やませる大傑作の予感がする。開巻時代は明治であった。 佐伯的江戸年代記はすでに18世紀19世紀を網羅していた。
| 2001年11月08日(木) |
ベニオフ「25時」(新潮文庫)はドイルがいい。 |
ベニオフ「25時」(新潮文庫)はドイルがいい。作者のデイヴィッド・ベニオフは1970年生まれ、31歳。翻訳者の田口俊樹は1950年生まれの51歳。カバー装画の浅野隆広は、この人のことはどこにも書いてない。 始まりは主人公のモンティが、虐げられて捨てられた黒い犬を救う場面。名前のドイルもその時につく。時は4年後に飛び、モンティの家族や友人が登場し、さまざまなエピソードとともにモンティの現在が語られるが一番魅力的なのは愛犬(ピット・ブル)のドイルである。モンティ自身もドアの外でドイルが丸くなって寝ていなければ寝られないほどドイルが欠かせない存在になっているのだ。 犬が好きな人ならドイルの描写だけでも満足できるかもしれない。 今日は116ページ読んでおしまい。 時代小説をずっと読んできたせいか翻訳の文章特有の固さにとまどいを覚えたのは確かだがこれ以上の丁寧な翻訳はないはずなのでじっくりと読むつもりである。 今日購入した本。 北方謙三「風樹(日向景一郎シリーズ�機法廖平慶�文庫) 火坂雅志「西行桜」(小学館文庫) 山本周五郎「艶書」(新潮文庫)
| 2001年11月07日(水) |
スティーヴン・キング「小説作法」読書中。 |
スティーヴン・キング「小説作法」読書中。三つの前書きをクリアして「生い立ち」の部分に入った。12、3歳の頃までの挿話が繰り出され、まるでキングの小説を読んでいるような錯覚を起こす。あの「スタンドバイミー」で作家志望の少年が自分の創作を仲間たちに語って聞かせる場面である。要望のままに嬉々として面白話を次々に披露する筆者がいる。 2、3年に「グリーン・マイル」を読んで以来のキングの文章は小説ではなくとも小説的である。今のところ。しかし、妙に新鮮である。 あとあまり読めず。 中田英寿が日本に帰ってきたのでミーハーながら新潮文庫で出た「NAKATANET」をちょっと開いてみた。中田本人の日記もさることながら間に挿入される小松さんの文章が読みごたえあり。
| 2001年11月06日(火) |
小林正幸「学級再生」は面白い。 |
小林正幸「学級再生」は面白い。学級崩壊の意味を歴史的に位置づけて語り、今後の問題解決への道筋をも具体的に指し示す。「教育臨床心理学の現場から説く画期的『教育再生論』」といううたい文句は嘘ではない。 何よりも文章が明解で良い。巻末の引用文献も一覧も興味深い。まもなく読み終わるが、繰り返し読みたくなる魅力と器量を備えている。
| 2001年11月05日(月) |
糸井重里「インターネット的」(PHP新書2001.7)は現代の生き方指南書。 |
糸井重里「インターネット的」(PHP新書2001.7)は現代の生き方指南書。そろそろ正直な生き方や行き方をしていかないと本当には面白く生きられないよ、と聞いた。世の中はある意味汚くないと生きづらいとか負けるとかいう価値観では新しい工夫は生まれない、と読んだ。指南書と呼ぶよりは理論書と呼ぶべきか。 「ほぼ日刊イトイ新聞の本」(講談社)と対になる本である。両方読んで「インターネット的」になろう。 小林正幸「学級再生」(講談社現代新書)もコーチャンフォーに出かけて見つけた本。教育関係の本に多少は興味があるのでパラパラとめくって見ると文章が読みやすいのと意見が分かりやすい印象を受けて購入を決めた。92ページまで読み一安心。学級崩壊や新しいタイプの荒れについての歴史的な検証は説得力がある。70年代から地域の子供の中に異年齢遊びがなくなったことが始まりらしい。知りたかったことがここにずばり書いてあるような気がする。 時代劇は今日は読めなかった。
| 2001年11月04日(日) |
糸井重里と石和鷹を読書中。 |
糸井重里と石和鷹を読書中。糸井さんの方は「ほぼ日刊イトイ新聞の本」(講談社)を読んでぐっと身近な存在になった。なんとなく信用のおけないタレントの一人だったのが、信頼度抜群になるほど良い本だった。久しぶりにコーチャンフォーに出かけてみたらPHP新書「インターネット的」がばっとあったので珍しくまよわず購入。内容は同じようなものでもかまわないと思った。で、半分ほど読んだ。講談社の本と比べるとぐっとくるような具体的なエピソードが少ない分、じっくり読める評論になっている。 一方、石和さんはすでに故人である。この「地獄は一定すみかぞかし」(新潮文庫)は「新潮」に連載された後単行本で世に出た時の評判は知っていたのでいつか読もうと考えていた作品だった。巻末の立松和平氏の解説を読んでから本文を読み始めたので同じ話を二度聞くような不自然さが初めあったが、直に解消し、「びっくり」しながら読んでいる最中である。途中から糸井さんの本が割り込んでその「最中」がいま嘘になっている。それにしても力のこもった作品である。 中村真一郎は今大勢に読まれている本の中でいったい何冊が後世に残るだろうか、と懐疑的だったが、この石和さんの本は残るのではないだろうか。そんな迫力が感じられる。 また、糸井さんの意見をまねして言うとベストセラーやベストセラー作家の影に力のこもった良い本は存在している。この情報化社会の中で逆に情報化されなければ知られないままであまり読まれない良い本は数多くあるはずである。 「ダ・ヴィンチ」的本の紹介もいいがそれを補助または裏「ダ・ヴィンチ」ももっと全面に出ていいはずである。 今日購入した本は以下の通り。 ポール・ギャリコ「ザ・ロンリー」(新潮文庫) 吉村達也「孤独」(新潮文庫) スティーヴン・キング「小説作法」(アーティストハウス)
| 2001年11月03日(土) |
鳥羽亮「骨食み(天保剣鬼伝)」を読む。 |
鳥羽亮「骨食み(天保剣鬼伝)」を読む。天保剣鬼伝シリーズの2作目。1作目は「首売り」だった。この著者の作品はこれで3冊目。佐伯泰英とどちらが面白いかなどと比べてきたがこれはこれで面白い。主人公格の素浪人島田宗五郎の魅力よりも敵方の悪役キャラクターに凄味や人間的な面がある。これで仲間の芸人達の存在に膨らみや拡がりが出ればもっと忘れがたい物語になる。 今日購入した本。 キム・ニューマン「ドラキュラ紀元」(創元推理文庫) アルトゥーロ・ペレス・レベルテ「フランドルの呪画」(集英社文庫) 半藤一利「永井荷風の昭和」(文春文庫) デュアル文庫編集部編「少年の時間」(徳間デュアル文庫) 昨日今日とモニター異常なし。
| 2001年11月02日(金) |
山田風太郎「江戸忍法帖」は止まらない。 |
山田風太郎「江戸忍法帖」は止まらない。講談社文庫版「山田風太郎忍法帖8江戸忍法帖」をおよそ二十五年振りくらいで再読したことになる。全く覚えていないのでやや怪しいが読んでいるはずなのだ。ただ大型の山田風太郎全集版だったからそれに入っていなければ再読にはならない。 話の展開が早い。遅滞が全然ない。疾走感あふれる心地よい作品である。 甲賀七忍対将軍家の血筋を引く山育ちの若者葵悠太郎プラス鮎姫と越後獅子のお志乃。 最後には天下の副将軍水戸光圀まで登場して堂々の大団円を迎える。 テンポのいい会話と破天荒な対決場面の連続が比類ないスピードでページをめくらせる。初出が1959年という古さを全く感じない単純明解かつ清新な忍法小説。 その後、鳥羽亮の「天保剣鬼伝 骨食み」(幻冬舎文庫)に手を出し、108ページである。「骨食み」と称する豪剣の使い手の謎と堂本座を狙う魔手のやり口に引き込まれてあっと言う間の100ページだった。 モニターは今のところ正常である。いつまた3重映しになるかと気が気でない。
| 2001年11月01日(木) |
佐伯泰英「政次、奔る」は読後感がすばらしい。 |
佐伯泰英「政次、奔る」は読後感がすばらしい。前作よりもさらに主要な人間たちの描写が生き生きとしていてこれはもう個人ではなく集団を主人公にした警察小説ののりである。題名に政次の名前が入っているけれども、金座裏の岡っ引き宗五郎を核として上司の同心たちや手下の手先たちだけでなく政次が手代として働く松坂屋の隠居や前回で主演女優で今回は割と地味な役回りのしおまで生き生きと動き回っている。 ラスト・シーンも見事に決まり、深くにも目頭が熱くなった。まちがないなく傑作。 と、ここまで書いてきてディスプレイが不調、三重になってしまった。 今日はここまで。でも、明日は、不明。
|