何をか天と謂ひ、何をか人と謂ふ。 牛馬四足、これを天と謂ひ、 馬首を落(まと)ひ、牛鼻を穿つ、これを人と謂ふ。(荘子)
人はややもすると、というより、むしろそれが当たり前のように四足の牛馬を、四足の故に「畜生」とさげすんでいるが豈図らんや、牛馬が四足であることこそ自然なのだ。そして自然だからこそ、それは天──絶対的な真と美──なのだ。この天に対して、己の便宜のために馬に面繋(おもがい)を、牛に鼻輪を施して労役を強いる存在。それが人間なのだ、とは全く胸のすくような指摘ではないか。(「橋のない川」第六部)
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