記憶の栞
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ホテルで最悪の目覚め。
足の痛みやら、喘息っぽい発作がさらにひどくなって 二時間おきに目が覚めるしまつ。 ホテルのエアコンなんとか切れないものだろうか。 ゆっくり寝れないので起きる。
右足が腫れてる。歩けないほどでもないから捻挫といったところだろうか。 よりによって、韓国まで行って捻挫しなくても・・。
最終日、ホテルでじっとしているだけは嫌なので スケジュール通り強行することに。 ホテルで久しぶりの西洋料理を食べた後、 フロントで日本語が分かるスタッフに薬局への行き方を聞き、 湿布の買い方を教わる。 湿布は、パスというらしい。 ・・サロンパスのパスはハングルだったのか。
薬局に向かう途中、母が韓国人に道を聞かれていた。 地元民と思われたらしい。何故だ? とっさに英語しか出ない母は、完全に固まっていたので 「イルボン サラミムニダ(日本人です)」 と伝えると、韓国人は何処かへ行ってしまった。 ・・ひそかに勉強した割には通じてます。 こんなに短期間で喋れるなら英語よりよっぽど簡単だと思います・・。
薬局へ・・。以下やりとり 「パス チュセヨ(湿布ください)」 「ネー(はい)」 「オルマイムニカ(いくらですか)」 「スリーサウザンドウォン(3000ウォン)」 ・・・あれ?店員さんが英語喋ってるのは気のせいですか? 頑張ってハングル喋らなくても英語が通じました。あら? そんなこんなで無事、サポーターと湿布が購入できたので 右足をしっかり補強して出発です。
地下鉄に乗って、景福宮へ。 心配された切符も無事買え、あっさりと地下鉄に乗り 迷うことも無くあっという間に着きました。 車内で親切にも日本語で話し掛けてくれたおじさんが居て 景福宮への行き方を詳しく教えてくれました。
さて、駅から降りて驚きました。朝鮮時代を代表する宮殿というだけあって 広い。でかい。すごい。驚いたよ。 ってか足悪いのに来てしまったことを少なからず後悔したよ。 中を見るのに、2時間くらいかかりました。 でも、民族博物館とかもあったりして、 韓国の文化に触れることが出来て嬉しかったです。 実は、冬のソナタツアーよりよっぽどこっちのほうが楽しかったりして・・。
楽しく遊んだ後は、タクシーに乗ってホテルへ帰り、お昼ご飯。 すっかり足が腫れてて、びっくりです。 これから、日本へ帰らなきゃいけないのに。
お迎えのバスにのり、空港へ。 途中、土産品店なんかによりましたが、あっという間に搭乗時間。 ハングルが少し読めるようになってきたのに、なんだか残念です。
帰りの飛行機は、ほとんど満席状態に近かったらしく。 座席の両隣は運の悪いことに外人。 しかも流暢な英語で話し掛けてくる・・ いきなり自己紹介をされて握手。 どうやらアメリカ人みたいで 帰りの飛行機の一時間半・・みっちり英会話。 ああ、ハングルばっかりやってたから英語なんて忘れちゃったよぉ!
どうやら、アメリカ人団体さん、世界を回るバレーダンサーらしい。 ソウルでの公演が終わり、これから、日本で公演があるそうな。 日本での公演がラストで、終わったら国に帰るそうな。 是非見にきて欲しい。とホテルの電話番号まで手渡されてしまった。 さすがに、一時間半暇だったので、 残りの時間は日本語をアメリカ人に教えていた。 「こんにちは」「ありがとう」「さようなら」といった簡単なものだけど 非常に喜んでくれたので嬉しかった。
それにしても、英語喋ったり、ハングル喋ったりで疲れる旅でした。
うーん、やっぱり日本はいいとこだわ。
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