| 2003年07月18日(金) |
神の手を持ったような錯覚 I Have The Illusion Like My Hands is God Hands |
とある回転寿司店に行った。 何皿か取り、すっかり夢中になって頬張っている最中、母が何やら僕に言っている。 どうやら水槽のようなものから魚をすくっているらしい。 回転している寿司に囲めれるようにある空間の一部に、その水槽はあった。 すくっていると言っても、金魚すくいとはわけが違う。 大きな網で、はねる魚を慎重にまな板へと運ぶ職人の姿があった。 僕がその店にいる間、計2回、同じ職人が魚をすくい、運ぶ姿を見た。 その人は、2回とも、その行為を妙に顔をほころばせながら行っていた。 何がそんなに嬉しいのだろう? そう僕は思った。
それについて母に意見を求めると、彼女はこう言った。 それは、照れ笑いだろう、と。 自分の運命を知ってか知らずか、まるで最後に生命の力を誇示するかのようにはねる魚を、うまく運びたいけれどそううまくは行かない状況を誤魔化すように照れているのかもしれない。 母の意見はもっともだ。
しかし、僕はこう思った。 もしかして、彼は、自分が命あるものの運命を左右できる立場にあることを実感し、身震いを起しているかのように笑っているのではないか、と。 つまり、自分が神にでもなったつもりになり、そんな立場に興奮し、笑っているのか?と思ったわけである。
今思えば、きっと母の意見の方が事実に近いのだろう。 僕の考えは、とても単純でありがちで、形にはまっているように思う。 人より圧倒的に力の弱い魚の生命を、人間が奪う。 それが神懸かり的なことのようには思えない。 人が神の存在を意識する時は、自分が操られているように思う瞬間だろう。
そう考えると、寿司職人である彼が魚の存在に手を下すこと自体、自然な行為である。 神になったような気なんてしないだろう。 そうでなく、彼はすでにその瞬間、神になっているのではないか? 彼自身が神である場合、神を意識することは難しいように思う。 神に<なったつもり>になっているのでなく、<なっている>のだとしたら・・・ 『自分が神だなんて、信じられないよ。神のくせにはねる魚をスムーズに運ぶことさえままならないなんて』 彼はそう呟いて、照れ笑いをしていたのかもしれない。 ―END―
ついしん 「何故人は夢を見るの?」 何故人は夢を見るんだと思う? 本当は見ているんではないのだよ 夢も現実の一部なんだよ そもそも現実って何? 睡眠中の脳の活動が現実でないなんてどうして言えるの? そして何故夢が現実のように思えないのか? それは訓練が足りないからだよ 何事も訓練訓練 努力は実るっていうじゃない? 本当は嘘だけどさ それでも訓練していれば 夢だって現実のようになるよ
夢に生きるのって案外いいんじゃない? 環境にもいいしさ どういうことかって? だって人間が動くからさ その分地球って壊れていくんだよ 環境を守るって言っててさ 車に乗って通勤通学なんて 矛盾していると思わない? そもそも人間なんてそういう生き物だけどさ
だいたいさ 体動かして 身を危険に晒して 痛みを伴って生きるのって そんなにいいことかな? 痛みがあるからこその生? 苦労かあるから楽? そんなのさ 金持ちよりも貧乏の方がいいって言うのと同じくらい どうかしてると思わない?
どう? 夢に生きるのも悪くないって思わない? きっとさ 夢に生きるようになると 体の中で要らない部分が出てくるかもしれない それがそのうちなくなっていってね それって進化だと思わない? 必要ないからなくなる つまり合理化でしょ?
あれ? 足がなくなるから動かなくなるのかな? どっちだろう? ある代から突然 足がなくなったら それは辛いだろうな 進化って 必要に迫られてなるものなのかな? 進化って 辛いものなのかな?
話がややこしくなってきたけど 要は 環境の事とか 進化の事とか どうでもいいんだよね 本当は 自分のやりたいようにやりたいし 自分の生き易いように行動したいし(もしくは行動しないようにしたいし) ちょっとさ 夢に生きるのも悪くないかなって そう思っただけ
今ってさ みんな自由に物事を考える暇なんてない時代じゃない? 何かに囚われてさ 何かの為に考えてさ ばかみたいじゃない? たまにはいいけどさ ずっとそうじゃ辛くない? もっとね 自分が自分になれる時間がさ あってもいいんじゃない? そう思うわけ だから 夢に生きるのも いいんじゃないかな? そう思うわけ
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