最近ハマっている小説が、森氏のソレである。 通称S&Mシリーズと呼ばれる作品群全10作のすべて。 短編2冊。 通称Vシリーズと呼ばれる作品群の全10作中4冊。 ノンフィクションの本2冊。 シリーズ外作品(S&MでもVでもないということ)一冊。(立ち読み) 詩集、パラパラ。(踊ったわけではない)(立ち読み)
パラパラ読んでのを除けば、もう彼の作品は19冊も読んだ。 思えば読んだものだ。 読んでいる時には気がつかない。 特に初めに読んだ「すべてがFになる」を読んだ時は、その後彼の作品をコンスタントに読み続けるなんて思いもしなかっただろう。
彼の作品は、去年の9月に読み始めた。 今まで年に10冊ほどしか読んでいなかった僕が、同じ作家の小説を1年弱の間に19冊読んだのは、よほど気に入ったからだろう。
ここ一年の間では、森作品以外に読んだ小説は、鈴木光司氏の「リング」「らせん」「ループ」三部作くらいなものである。 その三部作は、図書館で借りて読んだ。 が、森作品はすべて購入している。
鈴木氏の三部作は、特に「ループ」は壮大で、人間が誰しも今までに思った事のあるような疑問を主人公に持たせており、知的好奇心をくすぐるようなストーリーで構築されている。 まさか、「リング」を読み終えた時点では、「ループ」のエンディングはおろか、ストーリーさえ想像もつかなかった。 そして三作は、巧妙に絡まりあっていて、これ以上壮大な世界観を持つエンタテイメントは、この先なかなか現れないだろうと思う。 壮大でいて、わかりやすい、上質のエンタテイメントだった。(文学的過ぎないのが、私的には良かった)
ところで森氏の一連の作品である。 比較をするのなら、鈴木氏の作品には<生>の力強さを感じる事ができる。 が、森作品にはそれは目立っていない。 個人的には、<生>のメッセージが強く感じられる作品は好きでない。 前向きな発想は好きだが、どうも<生きろ!>と言われると、窮屈に感じるのである。 言われなくても生きてるよ!とでも自然に頭が思うのか? 人に生きろ!と言われると、自分に生きる気力があるないに関わらず、その時点で束縛されているように思うし、特に生きる気力がある人間にそれを言われると、「言う相手を間違えているんじゃないの?」と思うのではないか? よって、説教臭い映画はそんなに好きではない。 が、例外的に、チャップリンの映画は説教臭いと言われているが、「モダンタイムズ」とか「独裁者」とかは好きである。
話が逸れた。
文体も、それぞれ鈴木氏のは力強く、森氏のは軽い。 そんな印象を持った。 ただ、森氏の文章は、軽いようでいて実は軽くない。 つまり、わかりやすく言えば、読みやすく、味わい深いのである。
森氏の作品はミステリの形式が主であるが、その作品中の事件が軽くない、というよりも、主人公らの思考が複雑で軽くない、のである。 いや、事件も軽いかもしれない。 そいうより、犯人の性格が軽い、身軽である、といって方がいいのか?
森氏のミステリでは、犯人の動機を書かれていない。 というよりも、犯人自身が語らない。 言ったとしても、今までのミステリで語られるような人間関係の縺れ故に動機が生じた、ということはない。 これは、どの作品にもほぼ共通することである。 ココが、森作品の新しさであり、味わい深さのためのトリックなのである。 他にも、
また、彼の作品では、一言で言えば、<人間の思考の曖昧さ>を頻繁に表現している。 思考は連続しているものでなく、常に断片的であり、真意などは霧の中である、というような考え方が、幾度となく登場するように感じられる。 それは人間が自分のアイデンンティティを探りたがるのが証拠に、自分というものの実体が掴めないものである、ということを言っているのでは?と思う。 そんな点が、僕には魅力的であると思わせる。
反対に、彼のどのミステリ作品でも、探偵役の頭の回転は速く、推理力には頭が下がる。 まるで僕は収穫頃の稲穂のようになる そういう点(作中における探偵役の推理力)においては、思考は曖昧ではない。
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