| 2003年07月25日(金) |
GO(明日、宝生の舞台へ) |
「伝統」 伝統は何故伝わっていくのか? 伝えることに意味はあるのか? いや 伝統そのものにそれはない ただ 伝統を受け継ぐ者の中には それがある だから皆 それを伝えようとするのだ
「罪は罰の存在によって明確になり得るか?」 すべてが自由であるということは怖い
なぜあなたは生きるのですか? という問いに答えられないように なぜ人を殺してはいけないのか? という問いにも答えられない
ただどちらの問いも発することは許されるが あとの問いにはこう聞き返すべきだろう
<ではあなたは人を殺したいのか?> <人を殺したらどうなるのかを知っているのか?>
どちらの問いにもイエスと答える人間に 果たして殺人を止められるだろうか?
止める(機会がある)のならば 腕ずくでしかそれを行う方法しかない
「リセット」 たとえ何かをリセットしても 次にリセットボタンを押したとき 以前何かをリセットしたことを思い出し やがてその内容までもが蘇る
「不自然アイランド」 自然を受け入れることは 今となっては不自然な話である 人は常に 自然から遠ざかろうとしてきたのである
ただ 自分達とは違う自然というものの中から 何か価値のあるものを見出し手に入れるという行為には 不自然さを感じない なぜだろう
「裏返り」 忘れるとか 諦めるとか そいった言葉には 何かマイナスのイメージが内包されているように思われる だが そうではない
<つづく> その3文字が表わすものこそが 僕には真のマイナス要素である
忘れない 諦めない 何かについてのそういった状態が 自分を支配するのだとしたら それは退屈なことであり そのことは 睡眠効果を増大させる効果しかあげられないだろう
もし連続ドラマのエンディングに <つづく> と表示され その回の内容が先週と比べ進展がなかったら また来週も進展がないのかもしれないと思い 次回は観ないかもしれない 映画でも同じようなシーンが続けば 退屈に思う ただ 人生の連続ドラマは そう簡単に終わらせることができない(我ながらくさいと思う、この喩は)
ただし 例外的に 同じ状態をポーズさせるのが比較的困難なケースの場合 そしてそのことが異常であると感じられる場合 それが退屈には感じられない場合がある
だから 僕は時には何かを忘れ 時には何かを諦めるだろう そうすることが時には重要であるはずだから
―END―
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