僕は、実際に会ったことのある人よりも、本やテレビで知った人に尊敬している率が多い。 実際に会ったことのある人に尊敬する方が、道理にあっているような気もするが、だが、そんな単純なものではないと思う。 実際に会ったことのある人の方が実感できるというのは、単に三次元的な空間内で相手と接近している状態なだけである。 たとえ二次元であろうとも、想像力をもってすれば、相手が自分にとって強烈な人であれば、尊敬できる。 むしろ、本やテレビに登場する人たちは、やはり何らかの能力が他人より秀でている。 よって、二次元的に人を尊敬し易いのは、自然なことである。 少なくとも僕にとっては。
>>> 「淀川長治の名言」 ウディ・アレンはみんないい。(中略)あの人は頭で面白く映画作ってる。そこがえらいところなの。 (対談の七人/爆笑問題他)
この何気ない文章を読んだとき、頭の中で豆電球が点灯したような気がした。(古いな) この部分が、その本の中で覚えている唯一であるくらいだ。 それだけ印象深い。 頭の中で作る、というのはどういうことか。 それは想像するということだろう。
プロの建築士は、設計図を書き上げた段階で、もう自分がそこに住んでいる姿を想像できるという。 それと同じだろう。 もちろん、映画は現場で作り上げていくものである。 頭の中で完成しても、それを客に見せられない。 しかし、現場、というもの自体は、現実そのものであり、それは映画ではない。 ノンフィクション、フィクションに関わらず、映画とは現実のものではない。 それは創作の末のものだ。 よって、頭の中で作り上げてから現場で作らないと、それは現実に近いものになってしまう。 それは映画とは程遠い代物であろう。
また、<現実>と<リアル>というのは違う。 この辺を勘違いしている監督が、日本には多いと思う。 現実のニュース映像より、映画の中にリアルさがあるのは、それが人が映画館の中へわざわざ入っていくことに起因する。 つまり、ある程度の<覚悟>を持って、映画の中から<リアル>を見つけようという姿勢を、観客は持っているからだ。
ニュース映像は、現実であるにも関わらず、それが本当にあったことの様に思えないことがある。 それは、自分にとってあまりにも唐突な出来事であるからだ。 前後関係が、はっきりわからないうちに、ニュースとなり得る衝撃映像が目に飛び込んできても、それは作り物の、リアリティの欠けたものの様に映る。
ではリアリティとは何か? それは、もっともらしさ、のことであろう。 映画の中には、故意にその<もっともらしさ>の姿が映っている。 観客は、それを自らの意志で見つけようとする。 比べて、現実の方には、信じがたい光景が多い。 それは、現実が常に進んでいるものだからと思われる。 今までにないことが、予測できないことが起こり、それが現実的でない、リアリティの欠けたものの様に思えるのもむしろ自然であるだろう。 しかし、映画とは常に現段階の人間が現段階から見た視線で作られたものである。 そして何かを推測して作られたものである。 基本の<今>、<現段階>にいる我々があってこそ、そこで推測されたものが他人のフィルタにかけられ、認識される映画と違い、現実には一部の人間を除いた多くの人間の想像を超えた、今までに関わりのない様に思えることが起こる場合がある。 ただそれも、時間が進につれ、細かい事象が解明されることによりリアリティを持つようになるけど。
リアリティが映画の中に見つかり易いのは、それが作り物であるから、と言える。 また、しっかりとした<作り物>を作るには、またバリエーションに富んだ作品が作られる為には、淀川さんが言ったように、<頭の中で作った>ことが、いかに現実の役者、セット、小道具、カメラ、照明、編集、演出によって、それに近いものが作られるか、という点が重要であろう。 ただ、頭で作られたものが、オリジナリティにあふれ、センスのあるものであれば、の話だが。 逆に、頭の中で作られたものがオリジナリティ、センス共にじゅうぶんでさえあれば、とりあえずはいいのである。
テレビでよくやる2時間サスペンスが同じもののように映るのは、予算がないのもあって、例えばイメージどおりの小道具が使いたくても、使いまわしのものですませるからであろう。 もしくは、代わり映えのしない作品が、反対に安心できると信じている視聴者が、そういう作品を作らせているのかもしれない。 ただ、そういう作品は印象に残らない。 単なる消化物になってしまう。 ただ、印象が残ることがいいことがどうかは、また別の話。
まとめ つまり、淀川さんのたった一行二行の言葉でここまで考えた僕が凄い。(半分嘘)
>>> 「松本人志の名言」 ・腐ってもスピルバーグ(現在発売号の日経エンタ!参照) ・60%のものを100%で作りました
淀川Verが長くなったので手短に。
まず上の方の言葉について。 それはスピルバーグへの誉め言葉であろう。
下の言葉について。 これは、松本が某番組企画でアメリカ人に受けるコメディ映画を作った時の発言である。 60%のもの、というのは、つまり観客に受けるもののことをいう。 仮に100%のものが受けないとふんだのは、自分(松本)にとって100%であっても、アメリカ人には受けないと判断したからであろう。 ただ、100%のものを見たいのは、日本人で、さらに松本ファンに限ってであろう。
合わせて言うと、スピルバーグは、60%のものを100%で作れる天才なのである。 ただ、100%のものを100%で作れるかはわからない。 また、なにをもってして100%のものとするか、は難しいところである。 人によって見解は分かれるだろうし。
ただ、スピルバーグというのは、恐ろしくバランスを取るのがうまい。 よって、完成度が高いように思える。 どんな内容のものでも、そう。 ただ、例外的に「A.I.」は、彼らしくないテンポで作った結果、後半が緩い演出になったが。 「マイノリティ・レポート」はいいよ。 松本は星10満点中7と言っていたが、私的には8。 最近気持ちよく8といえる面白い作品はない。 そして、映画としての芸術面を抜きに、エンタテイメント作品として評価する場合、9はあげられる。
まとめ 松本のスピに対する評価は、実に的確。
―END―
ついしん 幽霊に気づかない男、というストーリィを創りたい
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