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2011年03月12日(土) 【Twitterからの地震情報】の続きは、
『GREAT ADVENTURE+』で続けて掲載することにしました。
このページでは文字量オーバーになってしまいました。
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Twitterで「南関東ではそれほどの被害は受けていません。不安を煽られるテレビを見ているより、30分ぐらい近所を散歩すると落ち着く」といった一文をみつけたので、震災被害を探しにいくなんて不謹慎かな、という思いを払拭して、今日は出かけてみました。
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わたしは、金曜日は朝まで原稿を書いていたので、昼過ぎに起床。母が見ていた韓国ドラマを一緒に見ながらダラダラしていたので、やっと着替えて朝ご飯を食べ終わったところ、での地震でした。
父が「揺れてる」と言い出して、ほんとだ、と実感する間があってから、横揺れが始まり、家の中で右に左に揺さぶられて、まるで起震車に乗っているような、もしくはパニック映画のワンシーンのようでもありました。しかも父はドアを開けて外に出てしまうし、母も「どうしたらいいのかしら?!」と言いながら右往左往するので、本当にあせった。とりあえずテレビをNHKにして、情報確認しようとするも母が「テレビは飛んでくるから、そこにいたらダメ!」と言うけどじゃあどこに居たら…?と思っているうちに揺れが収まった。でもあんなに揺れたのに、テレビも食器ダンスも、何も倒れたり落ちてきたりしませんでした。
うちの前は幼稚園があって、ちょうどお迎えの時間だったので、そのあと余震もあったけど、予定通りに帰りのバスは出発し、お母さんたちも早く子供を連れて帰りたかったと思うので、問題なかった様子。地震時に子供たちは、カピバラのごとく震えながら、ひとつに固まっていたみたいだけど。小さいクラスの子たちはやっぱり泣いていたそうだ。
そのあとは、テレビとTwitterで随時、情報確認。余震も大きく、どうなるかわからなかったので、両親と妹と姪っ子の5人で自宅待機。停電になる前に米を炊け、というアドバイスがあったので、実行しようと思ったら、なんと米がなかった(!)。ということで、すぐに近所のスーパーに父が買い出しに。まだこの時点では、お水なんかもスーパーにあったようです。
それで早めの夕飯(カレー)などを食べて、無事に過ごしたのですが、そんなわけでみんな家にいたし(妹のダンナは会社で夜中まで残業)、停電・断水もなく、ガスは自動停止ボタンも作動せず(苦笑)、なにも問題はありませんでした。でも川崎市内、おなじ中原区内でも7時間ぐらい停電・断水があったようなので、うちはかなり運がよかったのかもしれません。
そんなカンジだったので、気仙沼が津波のあと、火の海になっていた夜の映像を見て、あれだけ恐ろしいと思ったのに、朝起きたらなにか遠い出来事のような気になっていた。空は青く、洗濯機もまわっていて、普段の土曜日だった。でも、テレビを見れば映像はますます恐ろしさを増し、新聞は太く大きな文字で恐怖感をますます大きくさせた。そうだった、日本は壊滅的なダメージを受けていたんだった。
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自転車に乗って、大型スーパーに出かけた。気持ちのよい午後で、どこのベランダにも洗濯物が踊っていた。もう断水にも停電にもなっていないということだ。玄関や庭にいくつもの植木鉢を飾っている家があったが、不思議なぐらいひとつも落ちたり壊れたりしているものはなかった。うちの近所では、なにひとつ災害の爪痕をみつけることはできなかった。
あるスーパーで、品物がひとつもないお肉の棚があって、これはたぶん地震の影響で冷蔵装置が故障したみたいだった。品物自体は他のコーナーに移してあった。お水のペットボトルや食パンが売り切れだったのと、特売のカップヌードルがひとつ残らず売れていたぐらい(高いカップ麺は普通に残っていた)。納品が間に合わない品もあり、到着した分を懸命に補充している姿も見られた。輸送に時間がかかりそうだけど、食糧難になることはなさそうだと思った。
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いまテレビで、横浜にあるビルの大揺れ、道路の隆起、世田谷の酒屋さんの商品破損被害を見て、再びびっくりしています。わたしは今回のマグニチュード8.8の地震、申し訳ないぐらい被害を体感していません。被災したみなさん、どうかご無事で。今後の行動にもお気をつけて。