ヤグネットの毎日
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昨日と一昨日と城陽市議会では、市町村合併の問題が一般質問で とりあげられている。 わかりやすくいえば、いま約3000ある市町村を約1000程度、 つまり1/3にするというものだ。 でも、別にこれは地方が声をあげたものではなく もっぱら国が財政難なので、地方に支出お金を減らしたいという 不純な動機から持ち出されているものだ。
わが城陽市でも、市民の間ではなんの議論もはじまっていないのに 総務省や京都府などが、何パターンかの合併例を出して、 その場合、向こう10年間の起債の対応はこうです、交付税はこう いう割合で措置します云々のはなしをもちかけている。
僕は、安易な市町村合併には懐疑的だ。正直いって。 国の財政負担の軽減という動機が不純すぎるし、 下からの合併の必要性の論議の積み重ね抜きには、 うまくいくはずがない、と思う。
僕の妻の田舎の岐阜県でも合併論議がさかんだが、 たとえば、農協などは先行して大規模合併が進んでいる。 その結果、気軽に相談にいく農協の窓口がとても遠くなってしまい 足が遠のく、という事態さえ生まれている。 市民サービスが後退するのだ。 合併の必要性として、高齢化への対応云々がいわれるけれど、 高齢化社会にとっては、できるだけ身近に必要な施設が整備されて いることこそが必要なのではないか? 広域化は、逆行していると思う。
とはいえ、あくまで大切なのは住民の間での十分な話し合い。 最後は、住民が結論を出すこと、それに行政は従うという姿勢 こそが、市町村合併の論議で忘れてはならないカギだ。
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