ヤグネットの毎日
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2002年09月08日(日) |
教師の高齢化に考えたこと |
「朝日新聞」の「広がる子供との年齢差、小中教員の平均年齢過去最高に」という記事を興味深く読んだ。 この記事は、文部科学省が3年ぶりに実施した学校教員統計調査にもとづいて、教員の平均年齢が小学校教員の平均年齢は43.4歳、中学校教員は41.8歳で、いずれも過去最高になり、「全国の小中学校教員の高年齢化が進んでいる」と指摘する。 「朝日」の記事でも紹介しているが、こうした高齢化の事態は、「ベテラン教員の担任クラスで『学級崩壊』が相次いだことから、『年齢が離れれば離れるほど教員が子どもの気持ちをすくい取れなくなっている』『若い教員がいないと学校に活気がない』などの問題をはらむ、という。
僕は、この記事を読んで、問題はもっと深刻ではないのか、と考え込んだ。
問題は、これから40〜50歳代の教員が定年退職を迎えたときに、一気に噴出する。つまり、「30人学級を」という保護者や教育関係者の切実な声に「金がない」の一言で一蹴する一方で、文部科学省も京都府教育委員会も、少子化の進行のもとで新規採用を抑制してきた。 その結果、大量に定年退職者を出した時に、後に残るのはどんな事態だろうか?
いま、子どもの置かれた社会状況は深刻だ。「育てにくい」「育ちにくい」環境下にある。それは、この夏、三沢直子さんの「殺意を描く子どもたち」(学陽書房)で学んだことだし、保育運動やわが息子の子育てのなかでも実感していることだ。しかも、これからは、高度経済成長からバブル崩壊前後に子ども時代を過ごし思春期を過ごした世代が親になり、教師にもなっていく。 「キレル」「人とのコミュニケーションが下手」「人から干渉されるのがいや」などの世代的な特徴をもった人間集団のなかから教師が生まれ、子どもが育ち、学校という集団を形成する。 そういうなかで、どんな状況がうまれるのかは、容易に想像がつく。
必要なことは、社会全体で子どもを育てるしくみをつくるあげることだが、それは、様々な世代が子どもを育てることにかかわれるようなしくみづくりだ。このままでは、学校という集団だけが、「若い世代が、子どもと向き合う」という特殊な世界を構築することになりかねない、と僕は危惧をするのだ。
自治体によっては、「千葉県柏市のように99年度から30歳未満の臨時講師を小中学校に派遣するなど、自治体が自ら費用を負担して若手を増やす取り組みもある。」(「朝日」同記事)だが、わが城陽市では、相変わらず「新規の教師を単費で採用するとおもえば、莫大な市費を必要とする」として、まったくその気がない。僕の試算では、小学校の新一年生を30人学級とするために、臨時教員を採用しようとすれば、約7000万円の予算でできる。このお金さえ、勿体無いというのだ。
子どもを育てることを、効率性のものさしではかり、お金がかかっても、大切な命を育て上げていくという意識の低さが、この国の貧困な政治と腐敗を生み出していることに、為政者は気づいていない。いや、気づいていても、あえて手をくだそうとしない。いま、国民ひとりひとりがそのことに危機感を持ち、声をあげ草の根から、「社会全体で子育てを」という運動を展開していくことが、何よりも求められている。
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