ヤグネットの毎日
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2002年11月07日(木) 議員定数の削減を求める請願が趣旨採択!

 本日ひらかれた城陽市議会議会運営委員会で、自民党役員らから提出されていた「議員定数の削減を求める請願」が、自民、公明、民主などの賛成多数で、主旨採択された。ことは、行政をチェックし市民の声を行政に反映させる議会のあり方にかかわる重大問題。なのに、十分な審議をしないまま、採決を強行した。本当に許せない。
 請願は、「不況のもとで民間企業や行政がリストラや行財政改革をすすめているのに、議会だけが聖域であってはならない。だから議員削減で率先垂範せよ」というものだ。日本共産党の松永議員と私は、「行政が公正、適正な運営をしているのかチェックするのが議会、議員の役割。議員定数問題は、行革問題など効率性の観点のみではなく、議会の諸機能を十分に発揮しうる必要かつ十分な議員数であることが必要で、定数をどう定めるのかは、議会の諸機能をどう活性化させるのかを基本に考えるべきであり、削減には反対」と主張。
 城志会の吉野鴻議員も、「政務調査費、歳費、管外視察などを削るほうが行革につながる。削減は新人に門戸を閉ざすことになる」として反対を主張した。また、吉野議員は、「9月議会の請願審査で、歳費、政務調査費、旅費などの他市比較資料を求めていたのに、本日はその資料がない。行革は、議員削減だけではなく総合的な視点で取り組むべきなのに、資料がなければ検討できない。従って審議不十分」として、継続審査を主張した。
 一方、民主党系の緑の会、自民党市民クラブ、公明党、市民クラブ、ひびきの会は、「議員削減は社会の常識」「議員だけが聖域であってはならない」「市民の声にそった請願」「数が減っても民意の反映は十分可能」などとして、定数削減に賛成。
 
 議論の焦点は、十分な審議を尽くす立場から継続審査とすべきか、審議はつくされており採決に入るべきか、に移った。実は審議の冒頭で山崎委員長は、「十分な資料とは言えないが、審査をお願いしたい」と自ら、資料の不十分さを認めていたのです。なぜ、それをはずしたのか?の理由はなかった。委員長としては、万全の資料のうえに審査をお願いするのが、当然の態度ではないのか。しかも、委員のなかから、審議の前提となる資料がないので、継続して審議をしてほしいという声がでているのに、「審議は十分尽くされた」と言い放ち、自民党の安村議員からは、「継続審議も一つの意見、採決すべきも一つの意見。見解の相違があるなら、多数決で決めたらいい」などの発言まで出された。
 ことは、議員定数という地方自治の根幹にかかわる重大問題である。それを、異なる意見が存在し、審議がつくされていないので継続して審議したい、という声があるのを押しとどめるような議論が許されるのか?
 僕は、「十分な審議がつくされた、というのなら冒頭の『不十分な資料』との発言を撤回してほしい」と主張したが、山崎委員長は撤回しなかった。

 不十分な資料だが、不十分だと思うなら自分で調べておけ。多数が審議が尽くされたといっているのだから、採決で結論を出す」というのが、委員長以下、賛成の議員さんの態度のようだった。

 結局、継続審査を求める意見には、城志会の吉野議員と日本共産党の松永議員と私が賛成し、他の北尾、宇治、安村、鈴木議員が反対。
 主旨採択を求める意見には、他の北尾、宇治、安村、鈴木議員が賛成し、城志会の吉野議員と日本共産党の松永議員と私が反対。
 本採択ではなく、「主旨採択」なのか?のまともな説明はなかった。休憩中に、反対の立場の議員以外をまわって、「主旨採択…」と耳打ちしてまわる議員もあり、急いで打ち合わせをしたのかもしれない。
 舞台は12月議会の本会議に移される。未提出となっている資料がなぜ出されなかったのか?議員削減が議会活性化につながるのか?議員の数が少なくても、民意の反映に問題はないのか?さらに徹底して追及していく決意だ。
 なお、直前にお願いしたメルマガ読者のみなさんからのアンケートでは、次のような意見が寄せらたので紹介したい。
 「大西市長が助役なしだったものを、二人も助役が必要だという行政ベテラン市長がおかしい」(40代・男性)

 


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