ヤグネットの毎日
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午前中、地元党支部の方と地域要求を住民参加で政策化、運動化していくための組織の立ち上げについて相談。いま全国で従来型の公共事業から、ソフト重視で市民がボランティアで事業に参加するユニークな公共事業が広がっている。従来型の土木偏重、ハコモノ重視への大型の公共事業への真摯な反省のうえに、個々の事業がもたらす経済効果なども住民に十分説明をしてきめ細やかな公共事業をすすめるならば、雇用確保にも地域経済の活性化にもむすびつくだろう。城陽のまちで何ができるか?僕なりに今真剣に考えている。
よく演説で、「深刻な不況で市民の暮らしは大変」というフレーズを使う。いま必要なのは、この不況で苦しめられている人たちの思い、声なき声にどれだけ心をよせ、「ともに政治を変えよう」と確信を持って訴えきれるか、だと思う。 日に日に大きくなるわが息子の笑顔みながら、自分の生い立ちをふりかえるときが多くなった。自分のこれまでの人生で何を「こだわり」続けているのか。 僕の父は、地方銀行のサラリーマンだったが、僕まだ小学校にあがる前、友人の借金の保証人となり、実印を貸してしまった。その人は借金が返せずに失踪し、父親が借金を背負うことになった。あまり不自由を感じなかった生活が一変した。 サラ金からの電話攻勢がつづき、父親は借金の返済に苦しみ、銀行もやめざるを得なかった。父と母の喧嘩が多くなり、生まれ育った家も抵当に入り、家族はバラバラになった。 大学時代のことだった。兄から「親父の借金絡みで家が壊されることになった。」と電話が入った。 二階の階段をあがったところにつけた柱の傷。兄たちに背の高さをはかってもらったときのもの。卒業アルバムなどもまともに整理する時間もないまま、ブルト−ザ−は僕の思い出をふみつぶしていった。 「サラ金地獄」という言葉がある。返せない状況をつくり出してもうけるのがサラ金。このサラ金に資金を提供しているのも、大銀行だ。もうけ第一主義のルールなき資本主義のなかでともすれば個人の生活もズタズタにされる危険性とつねに背中あわせにさせられている。人を幸福にするはずのお金がなぜ私たちの家族を苦しめるのかーーこのことで僕は、とても悩んだ。 個人の責任もあるかもしれないが、もうけ第一ではなく人々のくらし、家族のだんらん、そういうことが当たり前のように営めるような世の中をつくろう、そのためにも社会のしくみを変える必要がある、政治を変えよう、とよびかけてくれたのが、日本共産党の人たちだった。 小泉内閣がすすめる構造改革は、不良債権の最終処理で100万人を超す失業者を生み出すものだ。サラ金ではなく、ふつうに銀行からお金を借りていても、返す見込みがないと判断されれば、倒産に追い込まれる。一口に100万人の失業といっても、ひとりひとりに守るべき家族がいる。そういう人たちに痛みを平気でおしつけるーーこれは、政治がやるべきことではない。 お金にルーズとか、家族より自分の楽しみを優先するという個人の性向を問題にするのは大切なことだ。だが、それも社会から切り離されたものではなく、人間性を歪めるような経済のしくみや社会のあり方を変えて行くなかでこそ、個人の不十分さというものもただされていくものではないだろうか。 政治は何よりも人間が自らの力で豊かに成長するための条件を整えるためにこそある。個人の力では解決できない課題に全力でとりくむことこそ、政治の役割ではないだろうか。このことを自らの人生を通じて世の中に示していきたいーーこれが、僕の「こだわり」である。 もちろん、その方法は議員といういまのあり方がふさわしいのか、それ以外の道もあるだろう。だが、「自分の幸せだけではく周りの人の幸せを実現したい」というこの根っこだけは、変わることはないだろう。いや、絶対に変えてはならないのだ。そのことを伝えるためにも、もっと言葉に心を込めたい。人の心に響くことばを探したい。 午後は、溜まりにたまったデスクワークをこなす。夕方は、息子を迎えにいく直前から急いでコーンシチューをつくる。メークインはグツグツ煮ている間に、トロっと溶けてしまうことがわかった。
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