ヤグネットの毎日
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2003年03月20日(木) 劣化ウラン弾

朝は、近鉄富野荘駅からスタート。7時半すぎからハンドマイクで訴えさせていただいたが、アメリカのイラク攻撃が秒読み段階にはいったこともあり、ハイテンションで訴えてしまい、山本よし子議員にあわててマイクのボリュームをさげられた(笑)。
 午前中は、寺田東地域を街頭宣伝。地元の三品さんが自ら作った原稿で、味のある宣伝。人柄がにじみでていた。お昼は、休憩する喫茶店がお休みだったので、家に帰りカレーライスを食べる(インスタント)。
 午後からは、久津川と寺田中地域で宣伝。わりと広めのスペースでライブ宣伝をやった。すると、アパートの一階の窓があき、お年よりの方がじっと聞きはじめてくれた。歌い終わると、小さくやさしく拍手をしてくれた。僕は、かけよって、「ありがとうございます。」「戦争がはじまるとかと思うと、いてもたってもいられず、ギターと歌で平和への思いを伝えさせていただきました」というと、小さく「がんばってくださいね」と声をかけてくれた。服装からすると、風邪かなにかで横に臥せていらっしゃったのかもしれない。申し訳ないおもいと、目にうっすらと浮かべられていたものをみて、「よかった」という気持が交錯した。

 演説では、とくに、アメリカの劣化ウラン弾の問題を強調した。大量破壊兵器の所有の問題でイラクを攻撃するのなら、まずアメリカの劣化ウラン弾や核兵器こそ率先して廃棄すべきである。
 劣化ウラン弾とは、放射能をばらまいて人体に影響を与えるものである。ところが、戦争でつかうばあいには、「敵」に対してのみ放射能をばらまくので、かまわないという理由で、1991年の湾岸戦争などで、劣化ウラン弾をアメリカは使用している。
 だが、実際には、「敵」地には、無辜の市民がいるのだ。田中宇さんのメルマガによれば、湾岸戦争のとき、クウェート国境近くのイラク領内で米軍が発射した大量の劣化ウラン弾からばらまかれ、「その放射性物質は、砂漠の砂塵に混じって周辺の村々やバスラ市内に到達し、湾岸戦争が終わった数カ月後の1991年夏ごろから、バスラ一帯では放射能の影響と思われる白血病やガン、奇形児の出産が増加した。 」という。

 まさに、末子の代まで重い後遺症がのこるのが、この劣化ウラン弾なのだ。森住卓さんの写真をみると、その恐ろしさがわかる。これが、戦争の現実だと戦慄が走る。

http://www.morizumi-pj.com/iraq/iraq.html

 午後の宣伝の最後のころ、公園で遊んでいた小学生の女の子たちが、駆け寄ってきた。
 
 小学生:「おっちゃん、選挙にでんの?」「ポスターの人?でも、似てへんやん。」といきなりつっこみ。
 ぼく :「そんなことないで、おっちゃんが、あのポスターの人やで。」
 小学生:「え〜〜っ。でも、全然似てへん。だって、もっとポスターの写真、細いで〜」
 ぼく :「そか(爆)」
 
 小学生の前で「ヒロシマの有る国で」をライブ宣伝した。小さくてかわいい拍手が心の中にしみわたった。
 この子たちが戦争の惨禍で苦しむようなことだけは、絶対にさけなければいけない。

夕方の宣伝の最後、新興団地で演説しているときのことだ。あるお家の勝手口の向こうで、最初じっとたって聞いている人影がみえた。ちょうどシルエットのようにみえたから、もしかして僕の演説を聞いてくれているのかな?と期待した。すると、こんどはその勝手口が開いて、高校生ぐらいの男の子がその裏庭にでてすわりこんで、演説を聞きはじめた。演説が終わると、拍手。それが、団地のなかに響き渡った。ゆっくりとした拍手だった。僕は、お礼をいって、21日の集会のチラシをわたした。「がんばってください」と声をかけてくれた。うれしかった。本当に、


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