日記
日記です。なんかあれば書こうと思いますです…。

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2006年07月29日(土) 単位


離散数学も再試になった。次回とれなければ必修科目ゆえに留年がきまる。信号処理もそうだったが,単位が取得できないその原因が何なのかはまったくわからない。勉強時間なのか,理解なのか。少なくとも出席はできている。勉強時間もたりている。問題はにも関わらず理解できていないことなのかもしれない。離散数学は50人履修中とれたのは25人ほど。ということは講義にでている人の半分しか理解できていなかったということになるのか。

単位がとれている人ととれていない人で何が違うのかは俺にはわからない。みる限りみんなまじめな連中だ。単位に対しての情熱・危機感は空気で感じる。

1つだけいえるのは,この状況だと別の進路を考える必要性もある。すなわち,大学を卒業できないという状況。それにそなえて親に報告と相談する必要があるかもしれない。

フリーターかさもなくば…。やるだけのことはやっているはずだ。何がいけないのか俺にはわからない。

勉強時間においては,大学設置法で考えればいいのだろうか。すなわち,セメスタにおいては15時間は大学内での講義,残りの30時間を大学学外での自主勉強時間とみなすとあるが…それに準じていたとは思うんだが…

高専のときは単位は講義に出席してノートをとって見直して答案にノートの内容を書けば単位はでたんだが…大学では違うのか?確かにガイダンスでもそのへんの説明はなかったが…。

googleで検索した。

大学の授業は面白い?

大学の講義は、たわいもないことを難しく、理屈っぽく、わからないようにしゃべるのを一方的に聴かされる、とんでもないものだという人がいます。
 私も同感です。同感ですが、意味がない、くだらないものだという意見をいう人がいれば、「それはそうは思わない」と思います。
 どんなにとんでもなく、わからない講義にも意味はあると思うのです。講義を聴いたけれども、よく理解できなかったとします。それは自分がその講義を理解するだけの基礎知識がないのかもしれません。話している教師にはできているのだが、自分にはできていない論理の展開ができなかったのかもしれません。
 わからない講義を聴くと、少なくとも「まだまだ自分にはわからないことがある。」ということぐらいは、自覚できます。それは、大きな発見です。大げさに言えば、自分の脳を開拓するきっかけになるかもしれません。
 もう少し欲張る事にしましょう。わからなければ、わからないなりに、たとえ1つでも2つでもわかることを探しましょう。全部わかろうとすると、少しわからないことが出てきただけで、そのあとの講義を放棄したりします。それは少しばかりもったいない気がします。わからないことは、ちょっとしたメモでいいから残しておきましょう。そのうちわかるときがくるかもしれません。こないかもしれません。わかってもわからなくても、大した違いはないのです。ただわかった方が、少し楽しいんだというぐらいに思っていないと、やっていけません。


それで単位がとれるならいいが,全部わからないと単位とれないよ…。

今日も緊急でもう一回やりなおす。だが前回解答にかいたとおりの答えになる。何が違うんだ?

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