Mother (介護日記)
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2003年03月24日(月) 入院1日目 ( セキが止まらない )

いつもなら人が来ている時にはセキもせず唾も出ないのに、
昨日は、少しむせるような感じだった。

そして、私が夕寝をしている時にもセキが出ていて、熟睡できなかったわけだが、
その後もセキが続いていて、日付の変わったこの時間、未だに母は眠ることができない。

余程、夜間の救急外来に連れて行こうかと思ったが、今回はレフティーが消極的だ。

9月末に行った時、点滴で2時間ぐらいかかったので帰宅は深夜の3時だった。
明日の仕事のことを考えると、レフティーが消極的になるのもわかる。
私がひとりでタクシーで連れて行ってもいいのだが・・・
点滴を待っている間は眠くても付き添いが寝るようなところはなく、
深夜は冷えて寒いがタオルケットさえも借りることができず、
ソファで仮眠を取っているレフティーが風邪を引くのでは、と心配をした。
次回からは毛布やダウンジャケットを持参した方が良いと思ったものだ。

今夜はこのまま、おそらくはセキが続き、みんな眠れないだろうと覚悟を決めた。
レフティーには、ハルシオンを飲んでもらおうかと思ったら、
こんな日に限って缶チューハイを飲んでしまった・・・




 * * * * *




まもなく明け方の5時になる。
案の定、眠れない夜となってしまった。

私は2時過ぎから添い寝をしながら、背中をさすったり叩いたりしてみたが、
一向にセキが止まらない。

息も絶え絶えに話すことの内容は、現在と過去が混同している様子である。

「明日は退院できるかしらね?」

亡くなった父とレフティーが重なるのか、父と自分が重なるのか、
はたまた自分が父にしてあげられなかったことの後悔か、親戚に責められたことなのか・・・
「お父さんは痩せちゃって。栄養のあるものを食べさせないからだよ。
 自分達ばっかり体重を計って、お父さんには計らせないんだもの。
 豚の一枚肉のステーキでも食べさせてあげればいいのに。
 お父さんは56,7kgだろうよ。レフティーさんは61kgだってさ。」

料理が苦手な母は、父の死後、叔母に随分責められたようであった。
そのことが、気に掛かっているのかも知れない。



「家に帰ってもゴチャゴチャでしょ? 考えるだけで頭が痛くなっちゃう。」

父が亡くなった時のことなのか・・・


「アリュール、旅館なんかで働くもんじゃないよ。大変だからね。」

「働き過ぎちゃダメだね。私は長いこと働き過ぎて疲れちゃった。」

「おまえはもう寝なさい。もう何もしなくてもいいから。
 おまえが先に死んじゃったら、絹江が困るから。
 絹江はまだ小さいから、何にもわかんない。」

絹江は15歳であり、これから高校生になるので「小さい」という表現は合わないように思う。
父が亡くなった時の小学4年生の私と混同しているのだろうか?
父の葬儀の際は、私はまったくの無力であった。


「長生きなんてするもんじゃないね。楽じゃないよ。子供に迷惑掛けて。
 死んじまいたいよ。」

「セキばかりしているから、おなかが痛くなっちゃった。」


今も母はセキが止まらずに、苦しんでいる。

入院の準備を整えてから病院に電話をかけてみたが、
救急外来だと薬も2,3日分しか出せないので、
数時間待って朝8時半からの一般外来にしてはどうか、とのこと。



 * * * * *



朝6時。

おむつが濡れていると言うので、ついでにトイレに連れて行こうと思ったが、
起き上がりに補助が必要で、ベッドからの立ち上がりも非常に不安定。

おしりが熱いので熱を計ってみたら、37.9。
風邪を引かせてしまったのだろうか? 昨日は比較的暖かだったが・・・

セキの拍子に再びおむつが濡れたというので、取り替えようとしたが、
先程に増して動きが悪く、支えていなければひっくり返ってしまう。

起き上がれそうにないので、寝かせたままでおむつを破ることにした。

新しいおむつをはかせるのも、また一苦労だった。
それでも何とか、腰を浮かせてくれたので、寝たままでもできた。

一晩中セキをしていて、一睡もしていないため、少し頭が痛いと言う。

私も、頭が痛い。
しかも、こんな時に限って、花粉症の症状がひどい。
鼻をかみっぱなしである。 私の頭痛は、花粉症からか?


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