騎馬民族

2002年06月14日(金) やっぱり私は

みーんなに助けられ、支えられ生きてるようです。


会社を早退した。
夕方からの神楽に出るために。
厳粛な気持ちで神楽を舞わせて貰った。
参拝した時に心の中で願ったことは「どうか私にできることがあるなら、何でもさせて下さい。どうぞ、私をお使い下さい。何もできないけど一生懸命させて貰います。」


そういえば去年は兄ちゃんとマキちゃん(兄嫁)さえ母が来てくれたなぁって思った。
神宮の近くにマキちゃんのおばあちゃんの家があって、そこに車を置かせてもらった。
初めての出会いだった。

家に帰り、少し寝た。
なんだか身体が疲れていて2.3時間眠ったら電話が来て、あのシャンソンを歌う方のお店に28日にあるシンポジウムのパンフレットを貰いに行くことにした。

電話を切った3秒後、兄から電話がきた。
兄の声がいつもと微妙に違う。
「マキのおばあちゃんが交通事故で今日、亡くなった。」と言った。
ビックリした。

今日は何もできないので、明日マキちゃんの所に行こうと思う。

そのまま少し遅れてススキノに行った。
その時から考えていたこと。

それは私は命の増薬(ぞうやく)をもしかしたら頂いてるのかもしれないと思った。
毎日の生活が当たり前では無くて、もしかしたら増薬を頂いてるのかもしれないと
うっすらと思った。

マキちゃんに今年も見に来てね。と誘っていたら、もしかしたらおばあちゃんは事故に合わなかったかもしれない。
合ってたかもしれない。

そう思ったら、もう少し私に何かできたかもしれないと思った。
何も変わらなかったかもしれないけれど、変わったかもしれないから、そう思った。


お店に着くとすぐに、その方のライブが始まった。
泣きそうになった。
「レッド イット ビィ ミィ」という曲のあと
最後に「神のお側に」とその方が言った。

私とその方を繋げてくれたお姉さんは帰り、私一人になった。
その方はビールを持ち、私の話を聞いてくれた。
そしたらまたビックリした。
その方と私の知り合いが知り合いだったのだ。

結局4回のライブを聞き、私は今ココに居るのだけれど
その方は本当にあったかい女性でした。

人の命はいつ亡くなるのか命の長さが違う。
だけど、いつか消えるその日まで私は私をいっぱいに輝かせたいと思う。

父がその方のファンだと知ったのは家を出る10分前。
北海道では有名なんだぞ。と言った父に色紙を渡された私が持ち帰ったのは
父の名前と「みんなは一人のために、一人はみんなのために」と書かれた色紙だった。


メールを見た。
励ましのメールだった。
毛布を提供したいけど、1枚しか無いんだという言葉と共に、最後には一緒に歩いてくれてる看護婦さんへのねぎらいの言葉も添えてあった。

あったかいです。
すごくすごくすごく。

私ができることは本当にちっさくて少ないけれど、いつも皆のことを思っています。

有難う。


そして今日、今ここにある命に感謝。
有難う。
私の命様。
有難う。
一生懸命動いてくれる身体様。

でわ。
明日も1日、頑張ります。

そして電子の向こうの皆様。
住んでる場所は違うけれど、遠い北海道からパワーを送ります。
しっかり感じて下さいませ。
あの人もこの人も。

みーんなだよ?


でわ。
おやすみなさい。



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