会社の帰りにさえ姉の家へ。 今日はジンギスカーン。 姉の旦那様も帰宅をし 皆でワイワイと晩御飯を食べた。 久しぶりのジンギスカン。 実は私の家の冷凍庫にもジンギスカンは眠っているのだが 勿体無いので食べないのである(貧乏性 まぁ、眠っている食材は豊富であり それは北海道産が多い。 刺身だったりホッケや宗八、シャケ、糠にしん 母特製のフリカケやらお餅やら。 明太子やタラコも入っているが、すでにどっちがどっちか わからない状態にぃ...(涙
我が家の冷蔵庫の話は置いておき さえ母が我が家に泊まりに来た。 前回は布団が無かったのだけど 頂いた布団やら毛布やらで我が家には 一応、人が泊まれる程の設備が整っている。
姉の家から私の家まで歩いて10分。
ほら、さえん家、行くよ。
と、さえ母はおもむろにマクラを抱き、パジャマ代わりにしている スエェットの上下のまま外へ出た。 違う意味で危ない格好だ。
暖かい夜だったけれど、歩いて行くと時間がかかるので 自転車の後ろに母を乗せ走った。 お、おもい。。。
札幌に居たときは車だったし 我が家に自転車は無かったので 母を自転車の後ろに乗せて走るのは東京に来てからだ。 なかなか、良いもんです。
近くの稲毛屋で買い物をするのに 私が自転車の鍵を抜いてる隙に マクラを抱いたまま、右手にフルーツ。左手にマクラを抱き 歩いている母がぁ...(遠い眼
家に着き、買ってきたばかりのフルーツを食べてる母は 普通に札幌の実家に居るときと同じスタイルである。 うむ。どこに居ても変わらない人だ。
布団の中で地元での皆の話を聞いた。 毎日、変わらない日を送っているように見えて 少しずつ変化している日々の生活は 何ヶ月・何年という単位で大きく見たときに 変化の大きさが分かる。
私自身は東京に来て、去年1年は身体も心も かなり辛かった。 辛かった中に、親を安心させたいという思いが 強かったけれど何かを完成できる訳でも 良いことを報告できる訳でも無かったことが 自分の不甲斐なさを象徴しているようで辛かった。
けれど、さえ母が遊びに来た初日に 姉ちゃんの家で、乾杯をした時だった。
姉: さえは、親に心配をかけないようによく頑張ったよね 母: 親だから、そりゃぁ心配にはなるけどさ? でも、あんた文句も言わずに本当、良く頑張ったよ
と言いながら少しだけ泣いたのだ。
そして我が家に来た母が
お父さんもね、あんたのことを褒めてたよ。 自分の道を切り開いてるなぁ..って
この1年半。 心の奥底で渦巻いていたモノが一瞬にしてどこかへ行ってしまいました。 東京へ来て、頑張ってて良かったと思います。 自分から見た自分は本当に何もできなくて 何もしていないようなナマケモノですが 離れて住みながら、いつも応援してくれてる両親が 私よりも私を見ていてくれたことに感謝致します。
有難う。お父さん。お母さん。
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