2週間前に退院した祖母が、今日再び入院しました。
私のお誕生日のお祝いにと、沢山のお友達から メッセージ、メール、お葉書、贈り物を頂戴していながら ずっと落ち着いてお礼も出来ないままですみません。
このひと月、いろいろと考えさせられることがいっぱいあって 頭の中でボーッと考えてはいるものの 行動がなかなか伴いません。 というか、動き出すタイミングを見計らっているのかもしれません。
ここ最近の私は、いろいろな出来事のその中で いくつものサインやメッセージとして 自分の中に大切な何かを投げかけられているようで、 祖母の入退院から突きつけられる現実を 私なりにどう受け止めて行き、どう行動に移すのかを 懸命に考え、ひとつひとつ確実に消化していこうと思い始めています。
愚痴や不安や不満や意地、苦しみ、悲観、憎しみ、否定。 人が生み出すマイナスの感情の中から聞こえる 心の奥に隠された淋しさ人恋しさが伝わってくる語られざる本音。 憎しみあっても、意地張り合っても、互いを避けあっても そこから光は生まれない。 みんな気付いてるはずなのに。
もっと素直に、もっと真っ直ぐに、 どうして「ありがとう」って 何故「ごめんね」って、言えないのでしょう。 きっと心から、ひとつひとつ言葉を紡ぎ出せば伝わる思いなのに。 ちゃんと思いを込めて自分を差し出せば解かり合えるはずなのに。
私はやっぱり、人と人との心の縺れをほぐして 手を取り合って優しい気持ちで笑い合える そんな未来へ繋いで行きたい。 様々な場所に築かれてしまった垣根をひとつひとつ取り除いて 今よりうんと楽にずっと素直に、みんな笑顔でいられる時間を共有したい。
仕事を終えて病院に行く。 日が落ちれば急いで自宅へ戻って主婦になる。
祖母は時々、うっすらと瞳を開けて周囲に視線を配るものの 大半は眠ったままの状態になってしまいました。 意識もはっきりとは覚醒せず、言葉を返すことも億劫なようですが、 私がいることは認識しているようで 時々視線を合わせて口の端を上げニッコリ笑っては すぐにまた寝息を立て始めます。 そんな祖母の傍にいて、ジッと座っているだけですが 今の私、何故だかとても温かい気持ちでいっぱいです。 ありがとう・・・おばあちゃん、ありがとう。
「もう自宅に帰ることは出来ないかもしれないね」と 伯母が消沈した表情で言いました。 もしそうだとしても、私は祖母の死をそれほど恐れてはいません。 前世でも未来世でも関わりの在る人だと知っているからなのかもしれませんが 死がすべての終わりだと感じていないからでしょうか。 傷みも苦しみも無い形での入院なので それもまた気持ちの余裕なのかもしれません。 87歳。色々苦難に満ちた人生だったと、先週笑顔で話していた祖母。 もしかしたら、今が一番穏やかな時間の流れの中にいるのかもしれないですね。
夕方5時のチャイムが鳴ったとき、そっと目を開けた祖母は 私の顔を見て言いました。 「早よ帰りん。お父さんと子供達が帰ってくるで」 そう言うとまたスーッと寝息を立てて眠ってしまいました。 「大丈夫だよ、ありがとう。心配はいらないよ^^」 眠ってしまった祖母の傍で、またしばらく静かにジッと座っていた私。 夕方6時、ようやく病院を後にしました。 また明日も、仕事帰りに病室へ顔を出すつもりです。 そんなこんなでバタバタと慌しく過ぎていく日々だけど それでも私「忙しい」とは思っていません。 「忙しい」は時間を有効利用できない自分への言い訳だと思っているので。
少しの空き時間が出来れば、今向き合うべき 疎遠になってしまった人たちへのつなぎ役として 何かひとつでも自分が役立てるよう動いてみるんだ。そう決めました。 祖母がそれを本当は望んでいるから。 きっと今変わらなければこの先もずっと変わらない。 今がベストなタイミングなのかもしれないって感じます。
隣の人と顔を背け合うんじゃなく、手を取り合ってみよう。 もう立ち止まって振り返ってるばかりの今は必要ないよ。
私が大好きなみんな!さぁ前を見て歩き出そう、ね。 ******************** ありがとうございます(^人^)♪

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