日だまりに咲く

2007年11月25日(日) 祖母

祖母が先月25日に亡くなってからひと月経ちました。

だいぶ落ち着いたと言うか、平穏な日常に戻りつつあると言うか、
気持ちの上ではとっくに区切りがついているのですが
祖母の住んでいた借家を年内に退去しなければならず
その片付けに追われて何となくバタついた日々を過ごしています。

人ひとりが亡くなるということはやっぱり大変なことなのだなぁと
色々な意味を含めてそう思います。

人生勉強だなぁと思えるほどの入り組んだ人間模様を目の当たりにして
祖母の死よりも先に、複雑な人の心の痛みを
たくさんたくさん実感してしまって、
聞き流せるほどの寛容さを持ち合わせていない自分は
結局それを自分の痛みとして受け取ってしまった部分もあって
大きな心の傷を負ったように思います。

祖母について考え、親について考え、親戚について考え、
兄弟姉妹について考え、子供について考え、儀父母や継母について考え、
ただグルグルと尾ひれのつく痛みを追いかけて
その渦の中でもがいているだけのようで辛い日々でした。

セラピーという手法を持っているおかげもあって
その痛みの逃し方を知っているので
今はもう自分の中からは手放すことができましたが、
未だそれを引きずっている周囲を見ていると
人の持つ感情の難しさをつくづく感じます。

祖母は可愛そうな人だった、と周囲がそう言います。
確かに、産まれ育った環境も幼い頃から複雑で愛情の希薄な人生だったようで、
常に悲観的かつ閉鎖的なところがあって、徒然に書き綴った日記にも
自分はなんて不幸なんだ、相手はなぜ自分を受け入れてはくれないのだ、と
嘆く言葉ばかりが並べられていて
いつの頃にも決して幸福であったと感じていない祖母の悲しさが見て取れました。
ずっと寂しくてずっと求め続けていた祖母の心の声が聞こえた気がします。

けれど同情的視点で可愛そうな人だったと
祖母の人生を一区切りにまとめて欲しくはないなぁと思うのです。
臨終の際に病室に入りきれないほどの人が来てくれた
それだけをとっても、祖母を取り巻く人々の中で
決して祖母は孤独ではなかったことを感じました。
祖母自身が自分の人生の歩みの中から
寂しさを手放して光の世界へ戻ってくれたらいいなぁと
今はそう思います。

祖母の心境を汲んだ周囲の複雑な心模様だけが波紋を残している現状が
少しでも早く解消することを願って
今は祖母の遺品をひとつひとつ片付けながら心で祖母との会話をしています


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里伽 [MAIL]