おおみち礼治のてくてく日記 DiaryINDEX|past|will
そんなことより自分のこと。それについて自分は何もすることが出来ない。だが、大事なのは自分のことをきっちりやってゆくことだけだ。どうすることもできないものにとらわれない。
少し前なら、台風がどう火事がどうといい、イチロー万歳とか外側のことをずっと言っているだけ――ただ、時間がたっただけ。自分を生きていない人が多い。 誰かが、これがいいんです、という。その人はそれでいいのかもしれないが自分は関係ない。頭から違うと否定することはないが、合わせもしない。本当に自分をやっているかどうか。 「それ」をするのは、自分の快適のためであって、ほかに理由はない。義務や、いいことだから、という理由でやっていても続かないし身にならない。 まだ、自分をさらけ出し切れていないな。わかったような顔をしているが、本当に相談したいことを口にしていない。何とかなるさ、と根拠なく思うことで、恥をさらけ出すことを避けている。 今の若者は、困ったら誰かが何とかしてくれる、与えてくれる――ひどいのになると、かっぱらえばいいと思っているらしい。まるで自立していない。親に飼育されている――というが、大して変わらないよな。<自分 頼れるのは最新の治療法でも有能な医師でも薬でもなく、自分(の細胞)しかない。その細胞を大切にすること――自分に失礼のないように、また、自立していくこと。明日から急に完全に自立できるかと言ってもそれはできないから、いまは目の前のことを坦々とこなしていくしかないんだけどね。……ちょっと、焦ってしまった。 分かりにくい話しで申し訳ない。
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